「天職は自分で作ればいい」日々の雑談でメシを食う人に話を聞いてみた

「今の仕事、どこかしっくり来ないんだよな…」

働き方は多様化し、今までに無い働き方を実践する人も増えてきました。

SNS上でも自ら新しい肩書きを名乗り、仕事をする人たちの存在が目に入ってきます。そうした生き方に憧れる人もいるでしょう。

今回取材した黒田悠介さんも、そんな生き方を選んだ1人です。「ディスカッションパートナー」という肩書きを名乗る黒田さん。どうやら、議論することで飯を食っているらしい…?

・週10時間労働で年収が800万円
・友人との雑談が仕事になった
・相手がいればなんでも解決できる仕事

そんな謎多き仕事について今回聞いてみました!

ディスカッションパートナー 黒田悠介

「フリーランスを実験し、世に活かす」という活動ビジョンを掲げて自分自身を実験台にしているフリーランス研究家。

スタートアップから大企業の新規事業までディスカッションパートナー(プロの壁打ち相手)として年間30社の事業立ち上げを支援。

多彩なメンバーがディスカッションで繋がる会員制サロン「議論メシ」代表。

ディスカッションパートナーは壁打ち相手。方向性決めを手伝う仕事

——黒田さんは「ディスカッションパートナー」という肩書きを名乗られてますが、どのような仕事なのでしょうか?

黒田:簡単に言うと「新しいプロジェクトの相談役」ですね。経営者の方が新しい事業を始めるときの壁打ち相手。その構想を話してもらい、それに対するフィードバックや質問を返します。

要するに、相手のプロジェクトに対する方向性決めを手伝うのが私の仕事です。「そんな需要あるの?」って感じだと思うんですけど、あるんですよね(笑)

——すごいですね…現在の「方向性決め」という仕事に至るまでの経緯は?

黒田:社会人として、一番最初はWebディレクターという肩書きで活動していたんですよ。でも、プロジェクトのスケジュールを合わせたりとか、ディレクションするのは好きじゃなかったんですよね。だからWebディレクターという仕事の中の、一番好きなことだけを取り出してやっているのが、今の「ディスカッションパートナー」の仕事なんです。

「方針をどうしようか」って感じで、大枠を決めることが昔から好きで。そこだけで食っていけたらいいなと思ったものの、まあ難しいですよね。

「成果主義」って言葉があるように、成果を明確にしないと食っていけない。じゃあディスカッションの成果って何?と考えると結構難しくて。

——理想はありつつも、はじめは不安があったんですね。

黒田:そうですね。「行ける!」って思ったのは、ディスカッションパートナーという肩書きで活動を始めて、一発目の仕事が上手くいったときかな。そこですごく感謝してもらえて。

当時は数ヶ月の契約で、週3日8時間がっつりディスカッションしてました。時給も今の6分の1でしたね。値付けもまだよく分かっていなかったので。

今の仕事を始める前に、社長として新規事業の立ち上げを経験したんですけど、そのおかげで仕事につながった部分が大きいですね。自分の経験がこんな形で仕事に活かせるんだって感じて、大きな自信になりました。

仕事時間は驚きの週10時間 「雑談は仕事でもあり趣味」

——ユニークな仕事だなと思うんですけど、仕事はどうやって受注してるんですか?

黒田:今やってることって仕事でもあり、趣味なんですよね。ディスカッションが一番好きで、仕事と生活が融合してる感じです。だから営業したことは全然無いんですよ。自分にとっては一番生きやすいライフスタイルになってます。言い方はあれですけど、雑談していたら飯が食えたって感じで(笑)

黒田:ランチを食べていることよりも、その時間の雑談にすごく意味があって。雑談に目的をもたせるとディスカッションになる。すると、より有意義なものになるんですよね。

雑談からその人の問題意識や課題意識を見つけて、できるだけ解決の方向へ向けていくってことを考えてました。すると、それに価値を感じてくださる人が出てきたんですよ。そこから続きは有料で、みたいな感じで普段の仕事につながっていますね。

——本当に仕事になるのか、ちょっとまだ疑ってます(笑)ぶっちゃけどれぐらい稼いでるか、教えてもらえたりしますか!

黒田:良いですよ(笑)年収ベースでいうと、800万円ぐらいですね。稼働時間で言うと、平日にだいたい1日2件ぐらいお仕事を受けていて、それぞれ2時間ずつぐらい、合わせて4時間ぐらいのディスカッションになりますね。

ただ、仕事をしない日も多いので、平均すると1日あたり2時間といった感じでしょうか。なので、週10時間ぐらいしかこの仕事をしていないってことになりますね!(笑)時給換算すると2万円ぐらいです。

天職は自分で作る。既存の肩書きに縛られずに生きる

——肩書きである「ディスカッションパートナー」ははじめから名乗っていたのでしょうか?

黒田:最初は明示してなかったかもしれないですね。肩書きが最初から7,8回ぐらい変わっているので(笑)変えに変えまくって、今の肩書きに至るって感じです。世界中の人にとって、既存の肩書きの中に天職がない可能性が高いと思ってます。

「だったら働き方とか作っちゃえばいいよね。作ってみようよ」というメッセージを伝えたくて活動してる部分もありますね。

——いま、「ディスカッションパートナー」という肩書は自分の中でしっくり来てますか?

黒田:そうですね。自分の中で、CanとWillとNeedがぴったりはまりました。まず、自分のCan(できること)としてディスカッションがありますと。

Wil(やりたいこと)というところでは、自分は下請けにも、先生にもなりたくなかったんですよね。対等な立場で仕事がしたくて。その対等な立場を表す言葉が「パートナー」だなって。

Canである「ディスカッション」と、Willである「パートナー」という言葉を組み合わせたら「ディスカッションパートナー」という肩書きができて。それっぽいし、自分にピッタリだなって思いました。

あとはこれが社会のニーズ(Need)につながれば食っていけそうだなと。そのニーズにも自信がありました。自分と話すことで解決が見えたって言ってくれる人が結構いたので。

CanとWillとNeedが重なる部分って中々無いなって思うし、天職かもしれないなと感じたので、1回突き詰めてみようと思って今に至ります。

もともとディスカッションは苦手だった。自分の評価から、他者の貢献へ

——天職と述べる「ディスカッション」は元々得意だったんですか?

黒田:どちらかというと、苦手でしたね。自分の意見を述べるのが苦手なタイプだったので。人見知りなところもありますし。根っから得意というわけではなくて。

社会人になったばかりの頃は、「自分がこの発言をしたらどう思われるかな」ってことにばかり意識が向いていて、面白くなかったんですよね。

——意外です…!変わったキッカケは?

黒田:変わったキッカケは、26歳で会社を作ったことが大きいかもしれません。世の中に事業を提供していくってなった時に、評価されるのも大事だけど、「自分が世の中にどう貢献するか」ってことを強烈に考える時間が増えて。

目線が自分から相手へ移るようになって、楽しくなりましたね。自分がどう思われても良いから、この人のためになることを言ってみようって考えるようになって。

黒田:知らないことをオープンにすることも恥ずかしくなくなりましたね。「今言ってること全然わからないんですけど、噛み砕いて教えてもらっていいですか?」みたいな感じで(笑)

「知らない」が価値を生む仕事。無知であることが武器になる

——知らないことをオープンに。それは結構大胆だ…!

黒田:そうした言葉をかみくだく過程で、相手が新しい理解をしたりとか、言語化できないことに気づいたりするんですよ。「確かにこれでは伝わらなくて当然ですね」って感じで。当たり前に使っていた言葉の意味を考える機会になるんです。

この仕事って、自分が素人であることを受け入れて、それでも価値が出せるんです。無知であることが活かせる、武器になるんだなって。

コンサルタントの場合は、「知ってます」で行かないといけないですよね。ディスカッションの場合は、「知らないんで、教えてください」が成り立つというか、むしろそこで気づきを与えられる。

なので私、専門家でもなんでもないんですけど、医療系とか、不動産の方ともディスカッションをします。「分かりました!やりましょう!」って感じで(笑)

——なるほど、そういう意味ではコンサルタントとは大きな違いですね!

黒田課題解決の方法は分かっているので、相手がいさえすれば、なんでも解決できる。これはこの仕事の面白いところです。逆に、相手がいないと何もできないんですけど(笑)

相手が課題のプロだとしたら、私は課題解決のプロ。お互いそれぞれのプロだから、対等な立場で話せるすごいシンプルだけど、変わった仕事なんですよね(笑)

取材を終えて

議論で飯を食っている黒田さんの生き方を見て、その正直さに触れました。

「天職は、自分で作ればいい」

そう語る黒田さんは、会社員時代に抱いた「これが仕事になればいいな」という理想を、見事現実のものと変えたのです。

世の中には、たくさんの仕事があります。でも、それ以上にたくさんの個性があります。

無知であることも、日々の雑談も、捉え方を変えれば価値を生むものになります。あなたの好きなことや特技も、思わぬ形で仕事になるかもしれません。

黒田さんの運営するサロン「議論メシ」の詳細はこちらから

Photo by オオニシトモヒロ

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