2023年振り返り 自分の表現はどこまで通用するのか

めっちゃダッシュで1年を振り返ります!

昨年の振り返り記事の最後に「もしもうまく行けば来年秋からはフランスに行くかもしれません。」と綴ってましたが、今このブログをフランスで書いています。今年はそれかなやっぱり。

昨年、東京藝術大学大学院に入ったと思ったら、もうその環境と制度を利用して別の国にいる。がむしゃらで、目の前のことで精一杯ですが、でもそれくらいのスピード感の方がちょうどいいのかも。

正月、俺は真冬の海でひたすら砂を投げていた

《Throwing Sand》Still Photo

どんな新年のスタートだよ…笑

大学院の映像の講義の課題で作品を作っていました。地元金沢の海からロシアの方面に向かって砂を投げ続けるというパフォーマンス。

ここで先生からもらったフィードバックはいま制作の上で意識するようになったし、それとは別でパフォーマンス中に得た仮説は、後々面白いことに繋がるのではと予感しています。

そんな感じで1年に及んだ映像の講義は終了!後述しますが、作ってきた作品は留学先のパリの大学でも展示してフィードバックもらってます。

有楽町ソノアイダでの滞在制作と展示

昨年、「A-TOM ART AWARD 2022」でソノアイダ賞を受賞した副賞として、新有楽町ソノアイダでの1ヶ月間の滞在制作がスタート。

あまり好きではないオフィス街と真冬のビル風、そして慣れない環境に苦戦していた記憶が…笑

ここで「ホットサンドメーカーズクラブ」をやるイメージが沸かず、レジデンスなのでその場所性を活かした作品作りにチャレンジしたいと思い、時間ないくせに前半2週間は有楽町界隈の歴史(主に占領期について)のリサーチに注力してました。そこで気になる史実を見つけ、三つの作品を作りました。

ON LIMITS / Shinyurakucho#Sonoaida(Tokyo, Japan), 2023
《Eating Tour For Freedom#1》Performance, single channel video, installation

滞在制作やリサーチの進め方、協力者を巻き込んだ制作など非常に勉強になりました。1ヶ月半で多くの先輩アーティストや関係者とも繋がれて良い経験となってます。

大学院修士2年 金沢をメインの拠点に

ソノアイダでの展示が終わった後は金沢に戻りました。そう言えばここから東京拠点ではなく、金沢をベースに生活をはじめます。

修士2年から必修で東京に通わなければいけない講義などなく、修了制作に向けて各自で研究に勤しむ感じです。思えば昨年の8月くらいからバタバタだったので、ようやくまとまった時間ができました。

引き続きリサーチ進めたり、ポートフォリオまとめたり、コンペや助成金にアプライしたり。

名古屋でもホットサンドパーティーやったね

金沢でゆっくりしていた期間に生まれた新作のアイデアを、翌月東京で試すことになります!あとこの時の俺に強く言いたいけど、なんでお前このタイミングで語学勉強せんかったんや!!後々お前を苦しめるぞ!!!

東京滞在〜新作の撮影など

5月に修了論文の主査・副査決めの面談のために1週間東京に滞在するはずが、結果としてそのまま5週間住むことに…!滞在場所を用意してくれた株式会社リバ邸のれんと、サポートしてくれた今井さんありがとう!!

そして、新作の映像作品の撮影に取り掛かります。東京23区内に唯一存在する米軍基地「赤坂プレスセンター」でのパフォーマンス。

《Eating Tour For Freedom #2》Still Photo

藝大の先端芸術表現科の修士2年には「WIP展」という、修了制作の途中経過を見せる展示があるのですが、ここで撮影していた映像作品を展示しました。

EXHIBITION WORK IN PROGRESS 2023 / Tokyo University of the Arts (Ibaraki, Japan), 2023

講師としての仕事やったりビザの準備やらなんやら

6月から、ソノアイダでの滞在制作でもお世話になった株式会社A-TOMが主催する「OUT SCHOOL」という1ヶ月で現代アートを学ぶ講座の、富山側の講師をやることに。僕が金沢に住んでいたことでお声がけいただきました。

東京・富山の二拠点同時開催
こっちは東京側。1月に滞在制作したソノアイダで開催!

これまで美術を学んできて今回初めて教える側に立ちましたが、こちらが学ぶことだらけでした。友達もめっちゃ増えた!こんな機会いただけて改めて感謝です。

漂流のゆらめき / merika(Toyama, Japan), 2023

並行して大使館行ってビザ申請したり、仕事の話で夏は全国飛び回ってた記憶あります。

そんなこんなでバタつきながらフランスに渡りました。

留学するまでの過程についてはこちらにまとめてます。

東京藝大からパリ国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に交換留学するまでの過程

フランス留学スタート~ボコボコにされてます~

パリに着いた日から留学先の大学のオリエンテーションがあり、正直この3ヶ月間は結構やられてました。泣

とにかく目まぐるしかった。着いていくのに必死!自分をプレゼンするのに必死!インフレ円安で目の前の生活にも必死!!

クロード・クロスキーというフランスのメディアアーティストのスタジオに所属。代表1人がキュレーターになって展覧会コンセプトを作り、それに合わせて新作か過去作を展示→プレゼン→議論、というのを毎週やるんですが

いや普通にヤバいw こんなプラクティス藝大ではなかったので、でも実は求めていたことでもあり、後々実りになることを信じて毎週大体落ちてんでます。泣

とりあえずこの1〜2年で作った作品を全部見せてる勢いです

スタジオ展覧会はすでに7回くらいやったのかなぁ。英語でプレゼンは少しずつ慣れてきたし、自分の作品に自信を持ててきてるけど、全然まだまだ、本当の意味でディスカッションする土台に立ててないと思う。やっぱり語学だよ。あと前提の西洋のコードの理解とか。

加えて前期は写真とビデオとサウンドのクラスを取ってみました。あと必修でフランス後の授業か。大学は良い人ばかりで、すごく助けられてます。

あと嬉しい誤算として、パリってモダンアートのイメージが強かったんですけど、コンテンポラリーアートも全然強くてたくさんイベントやってます。

写真オンリーの国際的なフェアParis Photo 面白かったな〜
ルイ・ヴィトン財団で開催されているマーク・ロスコ展

たった3ヶ月でこっちで活動するアート関係の友人もめっちゃ増えてるし、表現活動して生きている人が世界中から集まってるんだなと実感。

ただ一回めっちゃしんどくなって弾丸でロンドン行ったら最高過ぎてめっちゃ回復したwww

Marina Abramovićの展示を観に行った

収まりきらないくらい色々あって、noteの方に現在進行形で起こってること書いてます!

CAF賞2023で日本に一時帰国

そして最後12月!

現代芸術振興財団が主催するコンペ「CAF賞2023」のファイナリストに選出され、展示と最終プレゼンに向けて日本に一時帰国。

Contemporary Art Foundation Award 2023, / Daikanyama Hillside Forum (Tokyo, Japan), 2023

展示した作品は昨年から継続している「ホットサンドメーカーズクラブ -I’M FROM HUMAN -」で、この1年やってきたワークショップの映像と共に展示しました。

《HOT SANDWICH MAKERS CLUB – I’M FROM HUMAN –》2 channel video, installation

今年の目標のひとつであった「コンペでグランプリ獲る」を実現できず、めっっっちゃ悔しかったですが、 やっぱりそう簡単にはいかねぇかと。美術全然甘くねぇわと。

これはパリでもっと修行して来いという意味と捉え、今週帰ってきてこの振り返りブログを書いてます。

というわけで2024年は

シンプルにフランスでかまします。

CAF賞も終わり、100%フランス留学に向き合います。

自分の表現がどこまで通用するのか。日本人としてここでできること、やるべき仕事は何か。足りないものだらけなのでとにかく学び尽くす。

こっちで新作も作るし、発表していきます。ネットワークを広げベースを作っていきます。コンペやアーティストインレジデンスなどにも繋げるしユーロも稼ぎたい。一応、大学院の修了制作も控えてるので着手していきます。

相変わらず周りのサポートのおかげで自分のやりたいこと100%で生きれてます。活動を支えてくれるコレクターさん、ずっとお世話になってるリツアンSTC、スポンサーになってくれたしゅうへい、そして友人各位、今年も本当にありがとうございました。

ちなみにここで振り返ってることはほぼ全てnoteの月額マガジンにより詳細に綴ってます。購読いただければ全文読めますのでぜひぜひ。今年大学院で発表した研究内容とか講評のフィードバックなど公開してます。

では良いお年を!

Photo by takumi YANO

東京藝大からパリ国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に交換留学するまでの過程

東京藝術大学の交換留学プログラムで、パリ国立美術学校(エコール・デ・ボザール)への留学がはじまりました!

かつての芸術の中心地パリ、350年の歴史ある名門ボザール、自分の表現をもっと磨きたい!海外でどこまで通用するのか試したい!

パリ到着した初日からオリエンテーション、翌日からフランス語の授業など、バタバタしながら新生活に慣れようと食らいついてます。

交換留学は自分の所属大学の学費のまま他の大学に留学できます。(藝大は国立=学費が安いのでクソ高いアメリカの美大に留学するとお得!)

海外の大学院進学もありやなーと思っていたこともあり、藝大入学前から留学制度は活用したいと考えてました。

可能性と選択肢を漠然と広げること

でまあ、入学前はまさかフランスに来ることになるとは1ミリも思ってなかったのですが、どうしてボザールに来ることになったかなどの流れや準備したことを綴っていきます。

ちなみに大学院休学して留学しているので、修了はもう1年伸びる予定です!

藝大から海外の大学に交換留学するまでの流れ

—修士1年—

  • 9月 交換留学の情報が藝大側から発表される
  • 10月 TOEICの試験受ける、研究テーマ/留学理由を書いて藝大に応募〜審査
  • 12月 藝大側の審査通る

—修士2年—

  • 4月 ボザールから案内がくる(6月締切)
  • 5月 ポートフォリオ作成や応募書類の英語添削など
  • 6月 ボザールに書類提出〜受理される
  • 7月 ビザ書類の作成〜フランス大使館に提出
  • 8月 留学準備〜資金調達
  • 9月 出国、授業開始!

だいたい1年前から準備する感じです。

度々言ってますが、自分が大切にしているのは「とりあえず出してから考える」です。

本当に留学したいのか、行けるのか、そんなことわからないけれど、とりあえず書類作って出してから考えましょうと。

審査通って「やっぱり違うな」となったら最悪めっちゃ謝って辞退すればいいし、落ちたら落ちただし、通ったらお金のことなどはそれから死ぬ気で考えます。とにかく出す!動く!

教授と面談(2022年7月)

確か夏休み入る前に藝大の教務に行って「いつ2023年度の交換留学の情報が出るか」を確認しました。

おそらく9〜10月くらいと言われ、それまでにできることは「交換留学先の大学の情報を調べる(先輩に聞くなど)」と「語学の勉強」くらいしかないと言われたことを覚えてます。それと、当然ですけど作品つくってポートフォリオを充実させることですかね。

東京藝術大学 取手キャンパス

夏休み前の研究室の面談で、来年度交換留学する意思があることを教授に伝えます。

今思うと、藝大大学院入って3ヶ月で次年度休学して留学するの伝えるのなんか不思議ですよね。もうお前別の環境行くんかい!みたいな。

「君の技術では海外はまだ早い…」とか言われるかとビビってましたが、「山口さんはガンガン海外行った方がいい」と言われたのは嬉しかったです。

決定的に「海外行きたい」と思うことが起こる(2022年8月)

ちょうど1年前、世界的な芸術祭であるドクメンタ15やヴェネツィア・ビエンナーレを観にヨーロッパを回ったのですが、noteで連載してる月額マガジンにはこう書いてました。

やっぱり、自分も海外で勉強したい気持ちが強くて、そんなタイミングで藝大の来年の交換留学の案内が来て、締め切りがもう10月末で(はえーよ)、全然お金も、来年の見通しもないのだけれど、気持ちがそっちに向いてる自分がいるのです。

ここから完全に僕の偏見や愚痴も混在してるのでスルーして欲しいのですが、終わりゆく日本のぬるま湯感や閉鎖感がどうしても拭えず、2年半ぶりに外に出たら相当思考停止やってんなという自分への怒りの気持ちが湧いてならないのです。

いや、こんなに平和で安全で物価が安い(安すぎて心配になる)最高な国ないのですが、それゆえに、世界で起こっている様々な向き合わなければいけない問題に、どうしても他人事のように思えてしまうというか。

もちろん日本にも向き合うべき問題は山のようにあるんですが、レイジーな僕はすぐに環境に甘えて遊んでしまう。

引用元:次の挑戦のフィールドは

というわけで自分の現時点での表現が海外でどこまで通用するか知りたい、もっと美術を勉強したいと思い、留学する意思を強くします。

第一・第二希望の交換留学先を選ぶ(2022年9月)

藝大の交換留学先の情報が発表されます。

こんな感じで、派遣先大学と定員数、留学できる学部、留学できる期間(1セメスター or 2セメスター)や必要な語学条件を確認します。

これは2024年度の美術学部交換留学派遣募集要項

興味のあったシカゴ美術館附属大学の募集がなぜかなく、どこに行こうか迷います。

お世話になってるキュレーターの方に相談するなどして、第一希望をパリ国立美術学校(エコール・デ・ボザール)、第二希望にウィーン応用芸術大学を選びました。

研究計画書/留学計画を藝大に応募〜審査(2022年10月)

留学先をフランスにした理由は

  1. 自分の研究テーマとパリの関連性(ベンヤミンの「フラヌール」、シチュアシオニスト・インターナショナルの「漂流」や「心理地理学」、フランス現代思想、移民 etc)
  2. ボザールは著名なアーティストが指導しており世界中からハイレベルな学生が集まっている印象を受けた
  3. 高い英語のスコアが求められない(藝大の審査時にフランス語ではなく英語で出せる)
  4. ボザールの教授との事前面談がなく、留学後に現地で直接面談できる

これらの理由を400文字以内(短くね???)で研究計画書/留学計画書としてまとめ、自分の所属学部の国際交流委員の教授と、研究室の教授からサインをもらい、藝大に書類を提出します。

3に関して、アメリカやイギリスだとTOEIC/TOEFL/IELTSでゴリゴリ高いスコアを求められます。ヨーロッパ諸国の大学はその国の母国語のスコアを使うか英語のスコアを使うか選べるので、そういう意味では狙い目かもしれません。後述しますがTOEIC550点でも通ってます(オイ)

ちなみにフランス語はまっっったく喋れません。そのせいで今ヒイヒイ言ってますが。

4に関しては、海外留学する人ってこのアーティストの下で学びたい!という人が多い印象で、事前に現地の大学訪問して面談してたり、研究室の教授に紹介受けたりするらしいのですが、自分はそういうコネクション0だったので、ボザールの「現地で直接作品と研究計画を見てもらい所属スタジオが決まるやり方」が合ってると感じました。偶然大好き。

要項にも書いてありますね☟

2024年度の美術学部交換留学派遣募集要項

それと藝大側から「ボザールは留学希望者が殺到している関係で、1セメスター(半年間)しか受け入れできない可能性が高い」と伝えられており、了承の上で第一志望にしました。

※こちらも後述しますが、自分は2セメスター(1年間)の受け入れになりました。

周りからは「ボザールは(特に油画科から)人気でめちゃくちゃ倍率高い」「たぶん落ちる」などと言わてましたが、結果的に大丈夫でした。倍率やどういう基準で選ばれるのかは正直わかりません。

それと藝大経由でTOEIC IPテスト(オンライン受験できる安いやつ)を受けて、そのスコアも提出します。550点しかなくて笑いました。(確か700点くらいは必要)

いや昔はね…800くらいあったんすよ…一応NYに留学してた経験も…数年英語使わないとあっという間に腐ります。

藝大側から受理される(2022年12月)

英語のスコアが低いため「条件付き派遣」となってますが(笑)、藝大側からOKが出ました。

これで交換留学できるわけではなく、あくまで藝大側から受理されただけで、次は先方の大学の受理も必要になります。

ちなみに語学に関してはこれ以降、藝大からもボザールからもスコアを求められることがなくそのまま渡航できました。ラッキー!!!!!!

パリ国立美術学校から案内が来る(2023年4月)

しばらく時が経って、4月ごろにボザールから交換留学の案内が来ました。提出を求められたのは以下の通り

  • 作品のポートフォリオ 20〜25枚
  • ボザールで学びたい理由と研究計画
  • 所属希望スタジオを第一から第三希望まで(理由もあわせて)

もちろん全て英語かフランス語で作成。

あとは学生寮の入居を希望するかなどを書いて、6月1日までに提出することを求められました。

ポートフォリオの作成、応募理由の添削など(2023年5月)

良いタイミングだと思いポートフォリオとWebサイトを一新することに。こういう機会ないと中々更新しないですからね。

それと英語での提出が求められるので、ちょうど藝大で英語で作品のプレゼンテーションをする授業を取っていたので、先生(ネイティブ)に添削してもらいました。結果的にめちゃくちゃ英語の誤りがありました。Deepl翻訳だけに頼るのは危険。特にアート用語は専門の人に見てもらうことをオススメします。

ボザール側にメールで書類を提出して、あとは結果を待つのみです。

パリ国立美術学校への留学受理(2023年6月)

そして6月中旬に無事に受理の連絡が。

しかも、半年(1セメスター)ではなく1年間(2セメスター)ボザールに通えることに。

受入許可書。学生ビザの申請で必要になる。

あわせて学生寮にも住めることになりました。

いまはパリ6区の立地の良い寮に住んでいて、大学まで徒歩で行ける距離なので運が良かったとしか良いようがありません。パリでの家探しは本当に大変らしいので…。

寮からの風景、エッフェル塔が見える

学生ビザ申請の準備〜フランス大使館に提出(2023年7月)

さあこっからが本番というか大変というか…。一気に現実的な話。

6月中旬に留学受理の知らせがきて、9月初旬から授業開始なので、ビザ申請の時間が全然ないことに気づきます。

ビザは申請してから降りるまで1ヶ月とか、繁忙期だとそれ以上かかったりします。ちなみに申請時がその繁忙期間んんんんんっ!!!

速攻でフランス大使館の面接予約をしましょう。ちなみにこの時点で8月下旬しか空いておらず軽く絶望しましたが、心配することなかれ。「交換留学生」においては、毎週水曜の9時〜12時は予約不要で書類を提出しに行けます。

ただ長蛇の列を並ぶことになるので7月のクッッッソ暑い中朝8時から麻布のフランス大使館前の行列を並びました。今思うと熱中症でぶっ倒れそうだったこの時が一番辛かった。

ちなみにこの時はじめて1年間の受け入れだと気づくというアクシデントが起こるのですが。(ずっと半年間だと思っていた)割愛しますが、ビザ申請は大変なので丁寧且つスピーディーに!!

留学準備〜資金調達(2023年8月)

ビザの申請をして結果を待つ1ヶ月のあいだに、留学準備を進めます。当たり前ですが、次に問題になるのはやはり留学資金です。

学費はかかならいので必要なのは家賃、食費、制作費、交通費、交際費といったところでしょうか。

もともと物価の高いパリ、そして昨今のコロナと戦争によるインフレ+円安ですんごいことになってます。ヤバいです。外食はほぼなしで、節約生活して込み込み月15万円が最低くらいかな〜。いやそれでもしんどいかも?

自分は30歳を超えているので「トビタテ!」などの留学奨学金を応募することができません。財団の助成金やプログラムに応募もしてましたが今回はダメで、ほぼ自己資金でなんとかしなければいけません。

しかし自分はスーパー諦めが悪く何がなんでも実現させる奴なので、頂いた仕事をやりながら全国飛び回って、友人各位にプレゼンして作品買ってもらったり、資金調達に回りました。スポンサーになってくれたしゅうへい(@shupeiman)本当にありがとう!いつもサポートしてくれるリツアンSTCの皆様もこの場を借りて感謝です。

引き続き仕事等絶賛募集中です!お気軽にお声がけください!

そして申請から1ヶ月かかってビザ承認(7月19日大使館申請、8月17日自宅着)。出国が9月3日だったのでギリギリ。ビザに関しては早めに大使館行けるように動きましょう!

1年間やったるぞ!

フランスあるある早く言いたい〜。フランスパンで口内ズタズタ&翌日まで顎痛い

そんな感じで、最後の3ヶ月くらいはバタバタでしたが、なんとか無事パリに辿り着いて授業を受けてます。

半年前から使ってるMacbookのパスワードを「go to france」していたのですが、本当に色んな人のサポートのおかげで実現しました。毎日打ち込むので自己洗脳して叶えるという僕がよくやる自己洗脳ムーヴなんですがオススメしておきます。

それとこっちでダンスの練習もはじめています。

勉強するぞ〜作品作るぞ〜〜!!こっちで生活していて感じたことも発信していけれたらなと思ってます。

パリに来た時は連絡ください!では!

10年前、ニューヨークに飛び立った

先日32歳になったエントリーを書いたのですが、今年は自分にとってもうひとつ特別な記念日がありました!

ちょうど10年前の8月10日、大学4年生の時にニューヨークに留学しました。
毎年この時期になると思い出すのですが、丸10年!びっくりですよ。

その時のfacebookにあげてた投稿です。

キラついとんな〜。実際はそんなモチベで行ったわけではないんですけどね。詳しくはプロフィールに書いてます。

ちなみにこの時が初海外。色んな媒体で言ってますけど、結果として今の自分が形成されるほど大きなインパクトがあった経験がこのニューヨーク留学。

大学でブレイクダンスをやっていて、大学4年生のときにニューヨークへダンス留学をしたんです。そしたら頭がパッカーン!って弾けて、いわゆる“マジメ”に働く気がなくなっちゃって。

出典:https://r25.jp/article/570888727721531625

当時ごりごりブレイキンやっていたので、自分のダンスと周りのbboyに助けられ、今の自分があります。もし行ってなかったら、今頃死んでたのでは。笑

マジで、全部ここからなんだよな〜。

それからプロ無職になって、色々、本当に色々あって今は「美術」をやっとりますが、この原体験を通じた根本の考えは変わっていないと思います。

・環境や言語が自分を形成するということ
・22年間日本でしか生活してなかった自分が国境を超えたこと
・ブレイキンという、身体ひとつでコミュニケーションできる表現

それが「スマホ1台旅」といった境界線や自身の身体を使った表現に繋がっているはずです。

やっぱり、今の環境から別の環境へ出るの良いですよ。

そして次に向かうはフランス、パリ!

ニューヨーク留学以降世界中飛び回りましたが、長期で海外で生活するのはそれこそ10年ぶり。正直、若干ビビってるというか「めんどくせー」みたいなのはあります。日本人なので、当たり前に日本って死ぬほど快適じゃないですか。

でも日本で生活しているとなんとなくモヤることもあり、思考が硬直していく感覚というか。そんなことを昨年、2年半ぶりにヨーロッパ回った時に感じたので、一旦出ます。日本で生活して「積み上げてしまった余計なものを」を全てぶっ壊すくらいの感じで。

ちなみに、ブレイキンは来年のパリオリンピックから正式種目になります。時間はちゃんと経っているんだよなぁ。

自分がすべき「仕事」をやる

今日、32歳になりました。

最近、というかこの歳になってようやく「仕事とは何か」について考えます(おせーよバカという声やめて)

昔から日本における「仕事」とか「労働」というワードにあまりポジティブな意味を見出せなくて、24歳ごろからプロの無職を名乗って、こうやってネット上で色々発信しながら好き勝手やってきたわけですが。

20代後半から美術をはじめて、今は常に「自分がすべきこと」を探っています。

その時代、その場所で、自分がそれをやる意味
都市や歴史の文脈
継承すべき技芸、生み出すべき物語
それを誰とコミュニケーションしたいのか、伝えるために適した素材やフォーマットは何か

自分の仕事はあらゆる境界を軽やかに横断していくことにあると思っていて、その過程で、別々の何かを繋げたり、いま見えてないつもりのを可視化したり。

最近の自分のartworkをあげておきます。もっぱら街に出てパフォーマンスとそれを記録した映像表現を探究してます。(※詳しくはポートフォリオサイトに)

Rui Yamaguchi《Eating Tour For Freedom #2》(2023年)
Rui Yamaguchi《Eating Tour For Freedom #1》(2023年)
Rui Yamaguchi《ホットサンドメーカーズクラブ – I’M FROM HUMAN》(2022-2023年)

そして、自分たちが地球上でやるべき仕事はたぶん山積みです。

やりたいことのために自分が苦手なことは向き合わなければいけないけれど、マジで必要のないブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)をやってる時間は1ミリもないです。

ありがたいことに、周りにはすべき「仕事」をしてる尊敬できる人が多いです。

そんな感じで俺は俺の研究テーマを深掘りするために、やるべきことをやるために、技術を磨くために、フランスのパリ国立高等美術学校(Beaux-Arts de Paris)という大学で勉強しながら向こうで制作活動をする準備を進めています。

そして今は作品制作のスポンサーさん探しに奔走中です。興味ある方はお気軽に連絡をば!(ツイッターやインスタのDMでもなんでも)

100BANCHからインタビュー記事が公開されました

昨年から制作場所のサポートで超お世話になっている100BANCHからインタビュー記事が出ました。

ブログやYouTubeで発信してたところからアーティストになったキッカケや、ここ1年で制作した作品についてまとめてもらってます。

「道草を楽しめ」予想外が人生を豊かにする DELIVERY DRAWING PROJECT:山口塁

結論言ってることハンターハンターのジンと同じで、本当いつも偉そうですいません!!!

2022年振り返り 環境が自分を作るということ

恒例の1年の振り返り!!

気づいたら大学院の夏休み以降一度もこのブログ更新してなくて、それくらい後半一気にバタついて今に至ってる…泣

2022年はじめにこの言葉を自分に刺したのですが、文字通りそうなった、かもだし、何にも変わってないのかもしれない。

事実ベースで言えば、今年は何と言っても東京藝術大学大学院に進学したことが大きいと思う。やっぱり環境が人を作るよな〜。制作に励む同世代の仲間ができることがこんなにも嬉しいのか、と!まあ同期はほぼ僕より歳下なんですけど、最近は徐々に仲良くなってきてると俺は思ってる。笑

下世話ですが、藝大入ったことによって行ける場所、掴めるチャンスなどもあります。自分はそこんところ包み隠さず共有していく次第です。

というわけで振り返っていきまーす。

2021年振り返り ブレまくらないと軸は定まらない

受験準備とか準備とか…

2022年入って1〜2月はとにかく作品制作&ポートフォリオ作りに勤しんでましたね〜…。

1月下旬まで通っていたアートトの最終講評では、あまり納得のいくところまでクオリティ持っていけず苦い記憶があります。

キャンバスなどわかりやすいフレームに収まるものばかり作っていた自分にとって、「作品とは何か」ということを思考錯誤していたような。去年のアートトのアーティストコースは試練で、たぶん後述しますが、今年夏のドクメンタ訪問で完全とどめ刺されました。

で、なんやかんやあって1次試験(ポートフォリオと小論文)、2次試験(面接)を経て藝大の先端芸術表現科の修士課程に合格。

情報全然なくて苦労したので受験記をまとめてます。

東京藝術大学大学院合格しました〜受験した感想や試験対策など【先端芸術表現】

100BANCH入居、「スマホ1台旅」WS開催など

3月は受験が終わり少し落ち着いて、100BANCHに入居。渋谷で作業することが多かった1年でした(クソお世話になりました🙇‍♂️)

KDDI総合研究所と共同研究してる「スマホ1台旅」のワークショップも開催。協力してくれた友人各位本当にありがとう…!(いま頑張ってるよ)

大学院合格を祝ってくれる旧友とそれを通して再会することが多く、そして嬉しい言葉をたくさんいただいて幸せ感じてたなー。(合格祝いしてくれたみんなマジでありがとーー!!)

大学院に入学

そして藝大入学!入って早々学内展示やったな〜(もはや遠い記憶)

大学院生活スタート!自分の想像を超えて行くこと

メインキャンパスが上野じゃなくて茨城県の取手まで通うのめっちゃ嫌だったけど、思いの他すぐ慣れて楽しんでいた気がする。もう勉強することがおもしろくておもしろくて、調子こいて授業取りまくって後に大変なことになりました。

配属先の研究室も決まり、なんやかんやあって移動を中心としたパフォーマンスや映像、インスタレーションに表現技法をチェンジ(というか原点回帰)していくことになります。

その流れで、5年ぶりに「スマホ1台旅(国内)」ができたのも大きかったです。ご支援いただいた方ありがとうございました!

5年ぶりのスマホ1台旅!埼玉で完全ロック〜無目的の旅は難しい〜

スマホ1台旅 2日/3日目!急遽山口県へ飛ぶ〜国内は余裕?過酷?

色々な表現を試してみる

6〜7月はけっこうしんどかったけど、それでもとにかく街に飛び出して「彷徨い歩く」をテーマとしたパフォーマンス/映像作品作ったり

なんかひたすら作ってたなぁ。

大学院の講義でドクメンタ15に出展中の栗林隆さんの講義を聴いてやっぱり行きてぇ!となって、2年半ぶりに海外行く準備をはじめます。

今思うと何をやってるのか意味わからないんですが、2022年はこの辺から一気に駆け抜けます。

ホットサンドメーカー片手に3週間ヨーロッパへ

8月、大学の夏休み入ってヨーロッパに行きます。

前々から温めていたアイデアを実行するためにホットサンドメーカーを持って、向こうで色んな人とのコミュニケーションを試みながら作品をつくることに。

韓国からドイツのフランクフルトに入り、ケルン、デュッセルドルフ、カッセルで目的の芸術祭「ドクメンタ15」を全身で体感し、ベルリン、そしてかなり無理して「ヴェネツィア・ビエンナーレ」を観にイタリアに飛んで、ポーランドを経由して帰ってきました。

3週間、色んな刺激と出会いありすぎて書ききれない!詳しくは俺の月額マガジンのnote読んで欲しい(美術の話は主にそっちに詳しく書いてます。クローズドだから)

正直ドクメンタに関しては、いまでもあれはなんだったのかと食らうものがあり、作品やマインド的にもろ影響受けていると思います…。

ベルリンでグループ展に参加したり。

ベルリンの宿で偶然出会ったウズベキスタン人のRasuは本当に面白かった。彼とのやり取りをベースに、映像作品を作っていきます。

2年半ぶりの海外、そして世界中のアーティストを見て、毎日が衝撃で、当時の振り返りメモにこんなこと書いてたw

・無事海外から帰国して完全に視座上がった。来年絶対留学したい。このまま日本いるとぬるま湯感あってダメになる気がする。もっともっと広い世界を見る。遠くに行けるような、遠くに届くような作品を作りたい。そんな気持ちがより大きくなった。

本当に行けて良かったので、こちらも支援してくれたみなさん大感謝です。感謝ばかりで死ぬ。

帰国後は地元金沢に完全引きこもって、ヨーロッパであったことの思考まとめて制作の日々。

展示/ワークショップラッシュ(記憶曖昧)

もう、こっからぐちゃぐちゃです。

応募していた「A-TOM ART AWARD」というコンペの1次審査が通り、大急ぎでヨーロッパでやってきたホットサンドメーカーの作品を仕上げてプレゼン。

ブラッシュアップして、夏休み明け藝大でもホットサンドメーカー作品を展示!

伝統的なウズベキスタン料理を作り、それを挟んでホットサンドを振る舞うパフォーマンスを行う。講評してくれる教授13名を困惑の渦に巻き込む。

ミッドタウンで2回目となる「100人10」に作品を出展。(こちらは去年のパフォーマンス作品の記録写真)

前述の「A-TOM ART AWARD」でファイナリストに入りコートヤード広尾でグループ展。

賞をいただき、新年1月中旬から2月末まで有楽町のソノアイダにてレジデンスに参加します。

ホットサンドのワークショップもめっちゃやったなぁ。これはレジデンスで滞在した静岡県の富士市で、ブラジルの方々と一緒に。(ホットサンドメーカーはブラジル発祥なのだ!)

この辺りからパン(小麦)食べたらアレルギーでクシャミ止まらなくなったからね。

ほいで、こちらも前々から準備していた企画。取手駅前のアトレ4階「VIVA」にラジオ放送局を立ち上げ、取手藝祭でパフォーマンスを実施!

地元の高校生も乱入するなど予想を超える展開に。やっぱり俺はアート(?)を通じたコミュニケーションが好きなんだと思う。

12月は全ての展示とパフォーマンス落ち着いたと思ったら台湾行ったり、大学院の講義、水面化で進行しているプロジェクトの準備など、あっという間に年の瀬に至ります。まあやっぱり、大学院入学したときと全然予想外の方向に進んでいった1年やった〜〜〜(最高)

2023年は「ここじゃないどこか」に行きたいような

なんとか今年も生き抜けた〜〜!

環境が変わり、やってることも出てくる表現もガラリと変わった1年でした。夏以降、マジ秒だった。

今年唯一の反省点は「プロ無職」をあまりできなかったことで、新年最初はメディア出まくる!と意気込んでいたのに、結局「美術」まみれの1年になってしまいました。それくらい本気、苦しいけど楽しい、ハマっちゃってます。

そして、ヨーロッパを旅したことがかなり大きいっぽくて、来年はいまここじゃないどこかに行きたい気持ちがあります。ってなわけで藝大からの交換留学の書類出したらパリ国立高等美術学校への承諾が一応出て、もしも、もしもうまく行けば来年秋からはフランスに行くかもしれません。スーパー移り変わりの激しい自分やけど「世界に行く」という目標だけはなーぜか1ミリもブレません。

本当に今年もたくさんの人にお世話になりました。なり過ぎた。早く還元できるよう来年も精進します!!

では良いお年を!!!

「TAKURAMI LAB」さんに取材された記事が公開されました。

夏休み〜!イエ〜イ!!(藝大修士1年前期感想など)

みんな〜〜〜!

険しい顔でドイツを目指すワイ

大学院1年の前期が終わりました。はえ〜!あと3/4だよ。

そもそも「人生夏休み」みたいな感じで過ごしてきましたが、数年ぶりに「オフィシャル夏休み」がやってきました。10月まで。めっちゃ大学生っぽい。

あっという間な気もするし、でも色々あり過ぎたので「大学院生活ってどんなもんじゃい」というのをバーっと書いていこうと思います。あくまで東京藝大の修士1年(先端芸術表現科)の話なので、まあ誰かの参考になれば。

制作疲れたらヤギと遊んで癒されてる

授業について

修士1年の前期は「授業取りまくってキャパオーバーさせよう」という作戦に出ました。結果、本当にキャパオーバーしました。5月に書いたブログの時点でヤバく、7月中旬から記憶曖昧です。

どうしてこうなったかと言うと、先端の修士1年は必修の授業は

・毎週ゲストアーティスト呼んで3時間トーク→レポート提出
・研究室の活動
・2年以内に4単位取得

しかないんですね。まあ大学院って基本制作(研究)がメインだと思うし、自分が所属してる研究室がとっても自由で、毎週集まって活動する!みたいなのがないので

大学院割と暇かも→興味ある授業片っ端から取ったれ!

というノリで時間割組んだらこうなりました。


月1 平面表現演習I(取手)
月2 平面表現演習I(取手)
月5 現代芸術論I(上野/オンライン)
月6 ダイバーシティ実践論(オンライン/不定期)

火5 映像演習I 映画(上野/オンライン)

水2 芸術学演習I(上野/オンライン)
水3 アーカイブ概論(上野/オンライン)
水4 共通レクチャー(上野/オンライン)★
水5 共通レクチャー(上野/オンライン)★
水6 メディア特論:アート(オンライン/不定期)

木1 映像演習I★(取手)
木2 映像演習I★(取手)
木4 作り手のためのドラマツルギー概説I(上野/オンライン)
木6 創造と継承とアーカイヴ:領域横断的思考実践(オンライン/不定期)

金2 文化人類学I(上野)
金4 美術史概説I(オンライン)
金5 芸術情報概論A(上野)

集中講義:宗教学★(夏休みに6講義)
5〜6月まで:英語の授業×3
6月から〜:アーツプロジェクト実習


最初余裕〜と思ってたら6月くらいからむちゃくちゃ忙しくなりました。

でも、実際に履修登録したのは★付いてる授業だけで、それ以外は聴講という形で参加。履修登録期間の時に助手さんに相談したら、たくさん履修して欠席とかレポート出せんかったら成績落ちる→奨学金や留学に影響出る、とのことなのでほぼ聴講で行きました。

これがマジで正解でした。履修してたら本当に大変なことになってたと思う。途中「課題多過ぎて課題できなくなる」という謎現象起きてた。自分に合わないなと感じた授業は離脱したりね。なのでみなさん、履修と聴講のバランスは計画的に。

まあ、藝大の雰囲気掴む意味でも大量インプットできて良かったです。後期は学びたいこと絞って、あと面白い授業を先輩たちから聞いたのでその辺取ろうかなという感じです。

個人的に面白かったのは「映像演習」。はじめて映像作品つくってグループ展やって講評受けて…と中々ハードでしたが、やり切れて良かった。後期も履修する予定です。

「映像演習I 映画」は監督から脚本家、美術の人まで、自分が知ってる映画の裏の話聞けるの面白かったです。

「芸術学演習I」は美学に関するテキストの考察、シンディ・シャーマンについて調べて論じるみたいなことやりました。オンラインだけどディスカッション多めなので聴講生なのにすごく内容入ってきました。

「文化人類学I」は基礎寄りだったけど、言語が与える時間感覚の変化とかその辺面白かったてす。

著:エドワード・T.ホール, 翻訳:宇波 彰

いろんなイベントに乗っかってみた

なんか藝大ってやたらメールで案内飛んでくるんですね。音楽堂のコンサートの告知とか、ゲストで映画監督呼んでトークしてもらいます〜、こういうアーティストがプロジェクトでこういう人募集してます〜とか。

自分が取ってた授業に加えて単発で色んな機会があって、それに参加することでアイデアの素がちょいちょい出てきたり。

ヤギの目プロジェクトもそうだし、取手でアートプロジェクトを作る講義にも参加して、これか年末にかけて企画・立ち上げ・実行していく予定です。

環境フル活用

あと工房使えるのがね、やっぱり良い!

色々揃ってるんですけど、前期は主に塗装工房を主に使ってました。

「こんなことできます?」という些細な相談から「こうした方がいいよ」というアドバイスまで、在中してる助手さんが色々教えてくれます。独りでやってるとこういうのないので、できるだけ活用しなければと。

それでもまだまだ環境活用してない方だと思うので、もっと教授に制作相談とか行きたいですね〜。「藝大は(しかも特に先端は)放任主義」はガチなので、こっちから主体的に動かなければいけませまん。

電車通学慣れた(取手キャンパス好きになってきた)

都内から片道1.5時間かけて週2ペースで通ってたんですが案外慣れるもんですね…。電車の中で課題とかやってたら割とあっという間。

後期はちょっとどうしようか考え中です。キャンパス内に学生は1泊600円で泊まれる「利根川荘」という宿があって、そこを上手く活用したい。

最初は「茨城行くのダリィ〜!」と思ってたけど、最近は取手キャンパスけっこう好きです。なんか、何やってもいい感じが(マジで遊びに来て。てか何かしよ。)上野もよく行きますが、あそこは藝大関係者以外は入れないんですね。

入学したときにも書いたんですが「想像を超える展開」を期待していて、まあ実際に想像してなかったアイデアや方向性が生まれつつあるので、おもろいです!その辺のもうちょい深掘りした話(表で出さない話)はnoteの月額マガジンに書いてます。

大学院に加えてこれまでやってきたプロジェクトも進めてます!そちらも早く発表したい。

夏休み終わったら10月に藝大で展示がはじまります。誰でも来れるのでぜひ茨城まで来てください。

ではでは!

もっと曖昧になんとなく生きたいんですけど

気づいたら6月終わって夏はじまってました。こんにちは。俺だよ!!

見事に泥酔した図

2022年も半分終わったな〜下半期も変わらず”アゲ”で行きたいと思います。

さて。タイトルにもある通り、俺もっと曖昧に、なんとなく生きたいんですけど、社会が全然それ許してくれない感ない…?

明確な未来や目的を決めず、あてもなくふらふら彷徨い続けたい。

自分はそれを定型化しないって意味で「不定形の生活の実践」って言ってるんですが、行き当たりばったりの人生最高なのに「なんかあいつ迷走してない?」と後ろ指さされがち。

無目的で歩けなくなったのはいつからなのか。最後に道に迷ったのはいつだろうか。

というわけで「些細な抵抗」を日常の中で取り入れる、みたいなことやってます。

道に迷いたいという友達になれそうなあたおかはソルニットの「迷うことについて」を読むといいと思います。

この前フィンランドから一時帰国中の森と「計画的偶然性」とかについて話してて、今の自分が所属している環境や行動の理由は基本的に「なんとなくの偶然」だった訳で、まあ理由を答えようと思えば答えられてしまうんですが、なんか喉元引っかかるんだよな。だって、マジで偶然そうなったでしかないもん。

もっと曖昧なことや、分からないことを楽しみたいワ・タ・シ

「わからない」を引き受ける

悩まなくなった

平日昼間からサウナブチ決めて頭プワ〜ってなってから考えたことです。

悩みがない。悩まない。

「俺はなんてダメなんだ〜」という種類の悩み方は当然なくて、なったとしても「そんな自分かっこいい」とかで済ませそう、それ is 俺!!

おそらく、自分が対峙していることって本質的に全てどうでもいいことだからなんだろうな、と思った。この前こんなブログ書いてるけど、別に悩んでるとかではく、その現象を客観的に楽しんでたりする。

いま色んなプロジェクトやっているけれど、本当に、心の底から、どうでもいいっちゃいいですもんね。

逆に言えばどうでもいいことこそ積極的に関わりたくて、関わることで「どうでもよくないもの」になりたい、のではいないか。

自分の中の正義感や執着、自我的なものが最近フワフワ〜としていて、むしろ他者との距離感や、やり取り、みたいなものを楽しみながら、偶発性やエコーチェンバーの越境を試みたく…まあ別に超えずに留まっててもいいです。

そんな感じの色々フリースタイルな状態。

むしろ、自分に自信がない人って自分が大好きで仕方ないんだろうな。素敵だよね。俺いま無なんだよね。

あと最近、個人的に気をつけようと思っていることがあって、「オススメしない/押し付けない」ということ。

観てむちゃくちゃ面白かった本や映画があっても「これ読んで!」とか「オススメ!」とかできるだけ言わないようにしたい。

オススメされたりすると、萎えて全然読みたくなくなっちゃうんだよな〜。俺はね。

声も態度もデカいし、言葉による圧がひとよりアレだから気をつけたい。

聞かれた時だけ答えるみたいな。

ただ(自分にとっては)良かった、という事実があるだけ。

修行不足のせいで、全然まだ押し付けやってしまうのだけど。

このブログもできるだけ誰かに何かを押し付けず、情報を情報として、事実を事実として伝えるとか残しておく。読んで何か行動を起こす/起こさない、解釈などはご自由に、のスタンスで。

何かモノを書くとは瞑想だな〜スッキリしました。5月も良い1ヶ月だった!

で、最後にどんでん返しだけど、人生って悩みそのもの。俺たちは悩みに包括されてるんだと思う。でもそれは悪いことや、解消するために戦う相手ではない、のではないでしょうか。