主語の自分を失われたものとすることは、未知と出会うためのひとつの方法である

批評家レベッカ・ソルニットの「ウォークス」があまりにも面白すぎて、歩行や移動について考えまくる日々です。

それに派生して最近は「迷うこと」について考えています。

最近道に迷いましたか?

僕はと言うと…道に迷った記憶なんてここ最近ほとんどないです。

それは確実にスマートフォン、Googleマップなどのテクノロジーのおかげで、仮に道に迷ったとしても検索してほとんど解決できます。

それって何かヤバいことなんじゃないかと。(何が)

例えば僕らが普段何気なく歩いてるこの道も、人を効率よく動かす(どこか目的地へ到達させる)ための意図やデザインが介入しています。

そうした意図に、無意識に従うのってなんか怖いよね、という超漠然な感情と、「本当の意味」で迷わなくなっているような気がするんです。

いま通ってる現代アートの学校で「心理地理学」という概念をシチュアシオニスト・インターナショナルというグループが作りだしたことと、アーティストたちがそうした地理が与える心理効果に抵抗する作品を制作してきたことを学び、非常に関心を寄せてます。

迷うことについて書いてる本

というわけで、同じくレベッカ・ソルニットが執筆した「迷うことについて」を読みました。

「ウォークス」に比べエッセイ寄りになっており、ソルニットの私情と挟みながら「迷うことについて」文章が綴られていきます。

個人的にフランスのアーティスト、イヴ・クラインの話が非常に面白かったです。