書評「ウォークス 歩くことの精神史」歩行は空間の断絶化に抵抗する唯一の手段である

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いま通ってる現代アートの学校には4つのコースがあって、その中で「リーディング」という訳がわからないコースがあります。

なんと「歩くこととは何か?」について考える授業です。

コロナ禍で外出の機会が減り、改めて移動や歩行について考え直すという訳で作られたコースらしいのですが、恥ずかしながら歩くことについて人生で1ミリも考えたことなかったです。なんなら自転車の方が好きだなぁとかバカみたいなこと言ってた。

授業はアメリカの評論家レベッカ・ソルニットの「ウォークス 歩くことの精神史」をベースに進めるのですが、人類が有史以前から行なってきた「歩くことの歴史」について様々な角度から解説してて超面白いんです。

近代以降における「歩くこと」の意味を捉え直す

1825年、世界で初めて鉄道が開通して以降、人は遠くを移動することが可能になりました。

「近代」とは人間が空間と時間を超越したことに他なりません。

もちろんそれは良い面だけでなく、働く場所と住む場所を分ける郊外化、地下鉄の誕生、個人的な空間ごと移動できる車が発増えると、もはや世界は地続きではなくなりました。

例えば渋谷から清澄白河まで地下鉄で行くと、その間にある街の景観を見ることなくワープします。そんなこと、現代では当たり前なのですが。

そういう意味で「歩くこと」とは、連続した空間を旅することであり、空間の断絶化に抵抗する唯一の手段なのだと。

そんな衝撃的な一言からウォークスははじまります。

自分にとって歩くこととは何か

「田舎育ちの子どにもとって免許が取れるようになる18歳は通過儀礼」という話が、金沢で生まれ育った自分には共感でしかなかったです。

18で地元を出て以降、大阪、留学でニューヨーク、東京と、車が必要じゃない都市ばかり住んでたのでこの辺の話はスッと入ってきました。

2020年から10年ぶりに金沢で生活しはじめましたが、車がないと行動範囲が本当に限られる…!

雨降ったら自転車も乗れないし、そもそも外歩いてると車からめっちゃ視線を感じます。「この人なんで歩いてんの?」みたいな。

例えば、よく遊び行ってたロサンゼルスとか「車持っていない人=社会的弱者」と見なされるんですよね。ヒエラルキーは車所有者の方が上だから道も歩きにくいし、そもそも治安悪いから歩いてたら危ない。バスに乗ってる人たちも車を所有できない貧困層が多いので、空気も重々しい…。

それもあってUberが便利なのでよく使うんですが、「俺、街歩きたいのに何で?」とか冷静に思う訳です。

歩くことって、実はとても贅沢な行為なのではないかと。

そもそも人が外を普通に歩けるようになったのはここ100〜200年くらいの話で、貴族が道を歩くことの意味とか、女性が路上から虐げられていたとか、本当に多くの視点から歩くことを捉え直してます。

娼婦は英語で「Street Walker」と呼んだり、英語には女性の歩行を性的な文脈に置く語彙が多いとかはじめて知りました。

歩くことについて歩きながら考えてみる

思想家のポール・ヴィリリオは「せめて自転車までだ」と言いましたが、都市や乗り物の発達が、現代人の思考や身体性にどのような影響を及ぼしてるかについて考えさせられます。

この本をキッカケに徒歩移動も楽しくなりました。2021年読んだ本でベスト3入るくらい面白かったです。

僕は宮沢賢治とか、ローカルにいながら宇宙に行っちゃった人が好きなんですが、歩くこと=考えること=空間を旅することなのだと思います。

友人が移動をテーマとしたコミュニティを立ち上げたのでそこでお話ししたり。

 

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