いかに自分のイメージを特定させないか

情報社会において「◯◯と言えばこの人!」と周りから言われるくらい自分の個性を確立することは大きな強みになります。

だから、プロフィールに分かりやすい肩書きや職歴、自分のできることを書き連ね、

SNS運用においては、ひとつのアカウントでひとつの情報に絞るのはインプレッションを伸ばす鉄則です。

しかしあえて、自分が何者かであることを特定させずに翻弄する(翻弄される)ことを楽しんでいる自分がいます。

変容し続けることで自分を他者に掴ませない。分かりやすいものが求められる社会を挑発し続けてみたい。

そんなことを考えています。

昔の自分は「情報をストックして資産化しよう!」と声高々に叫んでました。

例えば、有益な情報はSNSに流すとバズるかもしれないけど基本的には流れて一過性で終わってしまう。だからブログやYouTubeにもコンテンツとしてアップしてストックしようと。それが長い時間を通して資産として働いてくれると。

最近はアーカイブすることについて疑問を抱いてます。「資産どころか、むしろ負債に働くのではないか?」と。

それは最近のキャンセルカルチャーへの恐れとかではなく、過去の情報によって自分のイメージが特定されてしまうことによる危険性。

意外にみんな実感してないかもしれませんが、それは自分を新しい方向に進むのを、かなり遅らせます。

最近、YouTubeに上げていた一部のコンテンツを消去。ラジオアプリの配信は全て消してましいました。

この一連の行為が何に繋がるか知らないが、西洋の近代化の過程で生まれた「表象を確定させること」や「普遍的なものこそ正義」みたいな考えに疑問を抱きはじめてるのは間違いない事実です。