ささやかに地図やアルゴリズムに抵抗してみる

すみだ向島EXPOの「軒下プロジェクト」参加にあたって、墨田区、とりわけ向島という町を全然知らないのでこの1週間は町を歩いてひたすらリサーチしてました。

まず、すみだ郷土資料館に行って、東京大空襲について大体的に展示されてることに驚きました。

恥ずかしながら、第二次世界大戦はどうしても原爆・広島・長崎のイメージが強いです。

唯一空襲被害がなかった石川県生まれのせいか、祖父母から具体的に戦争体験の話を引き出せたことがなく(富山と福井の空が真っ赤だったという話だけ覚えてる)学校の授業やテレビでは原爆の方が語られてる印象があります。

空襲も相当にひどかったことを残された資料や絵画から感じました。

下町の、しつこいくらいの人情深さは、焼け野原からみんなで助け合って生きてきたから。それは取材の中でほとんどの人が言っていたことでした。

僕は、今隣に誰が住んでいるか知らないし、知ろうともしてません。

そんな現代の暮らしと、隣人と一緒にテレビ見てたという長屋暮らしとまるで正反対。

向島エリアの長屋も、防災の観点から都によって取り壊されマンションが建っているらしく、利権や防災を抜きに、その本質的問題は、近代化の過程で失われた他者への想像性、希薄化したコミュニケーションだと感じます。

レベッカソルニットの「ウォークス」の中にあった、郊外の誕生と共に「精神も郊外化した」という言葉が引っかかりました。都市化するとはそういうことなのでしょう。隣人の顔を知らないから、自分事化できない。想像できない。ちょい論理の飛躍っぽいですが…。

その後、押上でご飯食べてたら、隣の爺さんに話かけられました。

八代亜紀と友達だったとか三島由紀夫がどうだったとか永遠自慢話されてダルすぎましたが(下町の掟、自分の話の前にまず相手の話を聞く)こういうめんどくさい人と出会うことも大切です。

SNSで自分の趣味思想と似た人を事前に精査できる僕らは効率的に生きてるようで遠回りしているのでしょう。

エコーチェンバーの中にいることはとても危険。Facebookを交換して、共通の友人が0だった時にテンションがブチ上がる。コンビニ行く度に、今まで買ったことないものを1つ買ってみる。Googleマップで目的地を決めず、ただふらふらと漂流する。

ささやかに、地図やアルゴリズム、自分の意思決定に抵抗してみます。

世代や考え方も違う人、めんどくさい人と出会うこと、祭りや町内行事はそういう役割もあっただろうが、コロナでなくりました。