いまは何を言うかより「いかに言わないか」を大切にしたい

誤字ってますが、最近の自分のSNSの使い方についてツイートしました。SNSには制作過程やどこに行っていま何を考えてるかの備忘録を発信してます。

こう考えるようになった理由は、自分が美術はじめた理由とイコールになるんですけど、言葉の矛盾性や限界性について常に考えさせられています。

もともと言葉を使ってガンガン発信活動してましたが、別の表現手段としての美術について考える時間が増えました。

なんとなくSNSでアテンションを集める投稿の仕方とか、マーケティング的なものが分かってしまうからこそ、そうした自分を一度根本からぶっ壊したい。

というわけで(虚栄心や承認欲求からか知らないけど)なんでも話したくなる自分が今は「いかに言葉にしないか」を前提に絵画をやっていて。真意は分かりにくく、でも深く。良い意味で簡単に「分からせない」ように。

言語化で全て解決できると思ってる人たち

もちろん言語化することの重要性も十分理解してます。

言葉にすることと向き合うことから逃げてもダメだと思っています。

だけど、それが過剰になっていて課題解決から遠ざけてるケースをたくさん目にしてるので、気をつけていきたいところ…。

最近「Clubhouse」が流行ってて色んな人とオンラインで会話できて楽しいですが、めちゃくちゃマッチョの世界だし「うわ〜言葉こえ〜!」みたいなシーンもあってヒヤヒヤしてます。

言葉の恐ろしさを認識しつつ、「何を言葉にして言うか/言わないか」をしっかり取捨選択していきたいと思います。