胡散臭い(うさんくさい)、それは「何となく疑わしい。何となく怪しい。」という意味で多くの人はこの言葉にネガティブな印象を抱くと思うし、できれば「うさんくささ」なんて消したいと思のではないでしょうか。
うさんくさいの対義語があるとすれば「わかりやすい」とかかなぁ。
この前「あいだの思想」という本で文芸評論家の加藤典洋さんのことを書いたら、こちらの本の加藤さんの回を是非、との紹介を受けまして。
読んでみたら「自分をうさんくさい存在にしなさい。うさんくさい場所に飛び込み、自分をイオン化しなさい。」という僕の大好物っぽい出てきました。
テーマは「人、人に会う」だったんですが、「イオン化」というのはH2Oが、H+とOH−の2つのイオンに分かれ、不安定化して別のものと結びつきやすくなっている状態だと。そういう人は自分に対して「うさんくさくしている」状態だと加藤さんは言うんです。
自分を他人にうさんくさく思われる場所に投げ込むことが必要だと。
つまり、うさんくさくあることとは意味を定型化せず、何かと何かのあいだを生きるということではないでしょうか。
これ自分が昨年書いた「いかに自分のイメージを特定させないか」という話や「迷うことについて」という話と近いはずです。
今日久しぶりに会った子に「相変わらず何やってるのか分からなくて安心した」と言われて安心した。るってぃと言えばこれ!を作らない。専門家にならない。イメージを特定させない
— Rui Yamaguchi/プロ無職るってぃ (@rutty07z) February 25, 2022
「迷子になる、つまり世界の手掛かりを失って、はじめてわたしたちは自分自身を探しはじめる。そして自分がどこにいるかを理解し、自分を取り巻く無限の可能性の広がりに気がつく 」
— Rui Yamaguchi/プロ無職るってぃ (@rutty07z) January 20, 2022
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー
僕が特定の職種を規定せず「プロ無職」と名乗るひとつの理由です。プロ無職なんてうさんくさすぎるし、状態が不安定。だからこそ、ブロガーにもYouTuberにも詩人にもアーティストにだって、何者にもなれるし、多様な人と出会える。
僕からしたら、固定の職種やイメージを保ってる人の方が胡散臭い笑(あえて漢字で書きます。)
別の本で養老孟司さんが「自分はずっと自分であり続けるという思い込み」という話をしてたんですが、人は10年経ったら細胞が相当数入れ替わるから、ある意味別人になっているとも言えます。
しかし、西洋の考えが日本に入ってきてから「自己というものは永続している」という考えが一般的になります。西洋では普遍性こそ美徳であり、変わることを嫌いますから。
鴨長明の方丈記、さらに遡れば古事記や日本書紀には「変わっていくこと」が当たり前だっと書いてあります。
あまり自分というものを信じず、意味やイメージを固定せず、イオン化してうさんくさい存在にして、うさんくさい場所に飛び込んでみることのススメです。
「一人にならないと、一人には出会えません」という言葉も良かったです。