共感としての「分かる」は距離を生む言葉

「分かる」は相手に共感して安心感を与えてるようで、何も考えず無闇やたら使うと危険な言葉だな、という話でございます。

「分かる」とは「わかつ(別かつ)」ことでもあり、一心同体に近づくと言うよりむしろ、相手との境界線を引きます。そうして主体と客体を別かち、客観視することで見えてくるものも大いにありますが、相手との距離は離れてしまいます。

それが「本当の共感」と言えるのか?というのが最近自分自身に問うてることです。

以前新R25のインタビューで「共感される虚しさ」について語ったことがありますが、この辺について色々考え中です。だから「分かる」という言葉よりも、別の言い回しに気を使いたいところです。

「分からないまま、まるっと受け入れてしまえばいい」

これは詩人谷川俊太郎さんの言葉です。

「現代アートとか詩とかよく分からない」と日常的に言われますが、それでいいのだと思います。無理に分かる必要はないし、なんなら分からなくていい。

人は分からない未知のものに恐怖を抱きます。それはもちろん僕も同じ。でも、言葉になる前のもの、感情、事象、そうしたものを丸ごと身体で受け入れていく。そうした神秘的なものを大切にしていきたいですな〜(誰)

言葉は全て過去でしかない

インターネットに載っているもの、さらに言うと言葉にできているものは全て「過去」のものです。

先日会った子が「社会についてもっと知ろうと思ってYouTubeでニュース見てます」と言ってましたが、間違ってないけどそれだけじゃない気がしていて。

アリストテレスは「詩人(芸術家)はこれから起こるであろうような出来事を語る」と言いましたが、芸術を読み解くことで未来が見えるのではないか。

僕も本めっちゃ読むしネットで情報収集もするけど全てそういう前提で100%鵜呑みにしない。芸術も全然信用してないんだけれど。笑

この文章も思考を言語化した「過去のもの」。テキトーに読み流してOKなんです。

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