忘却こそ最高の保存方法

先日、僕のブログで度々取り上げている宇宙人の山口さんと金沢で会う機会があり、山口さんを通じて初めてフェートンの坂矢さんともお会いしました。ヤバすぎる体験でした。

その時に、僕も含めた3人の共通点が「忘れっぽい」という話になりました。「え、そんなこと言ってましたっけ?」ということがよくある。笑

そこで山口さんがおっしゃった「忘却こそ最高の保存方法」という言葉が、もう、むちゃくちゃ共感というか、腑に落ちました。

記録のためではなく「忘れるため」に言葉にする

かつての自分は、その時の感情や体験を忘れないために、こうやってブログを書いてアーカイブしようとしてました。

当時はアウトプットを「忘れないために身体に定着させること」と捉えていたのです。アウトプット方法は動画や写真だったり、人それぞれあると思います。

でも最近は考えが変わってきて、記録のためではなく、むしろ忘れるためにブログを書いてるんじゃないかと。

言葉にしたり、写真を撮って「コト化」することで忘れていくのだなって。

宮沢賢治は「無意識即でないと言葉は信用できない」、中原中也は「名辞以前」と言いました。忘却の彼方の、無意識下に積もり積もったものが人の本質だと思ってます。

意識できてる時点で、信用できないという。

言葉に急速に興味を失いつつある理由

思い返すためのモノやデータを残さない

この話を掘り下げたのは、昨日「手放すこと」をテーマにしたWSに参加したんです。

各々「どうしても手放せないモノ」についてのエピソードを紹介するのですが、まあ自分、ミニマリスト?やらせてもろてるじゃないですか?(ウゼェ)

ないんですよね。手放せなもい「モノ」が。みなさん「大切な人からもらった手紙」とか「昔乗ってた車のエンブレム」とか素敵エピソード紹介していたのに。おいら、モノは全部捨てれるタイプの人間。5分で引越しできる。

無理やり挙げるとしたら、金沢のアトリエにある大量の「本」と、コレクションした他の作家さんの「アート作品」でした。

これらも手放せすことはできるんですが、できれば、その思想や作品を周りの人と共有したく。例えば、みんながその本を自由に読める図書館のようなものを作ったり、作品も、自分の家に留めることに全く興味なくて、みんなが鑑賞できる場所があれば置きたいくらいです。

僕が集めた作品や紙で購入した本は、未来の人たちのために後世に残すべきものだと勝手に義務感を抱いてます。だって、残らないとおかしいくらい良いもん!!いつか美術館に寄贈したい。

まあつまり「モノで何か想い返す」とかそういうのがあまり自分はなく、むしろばんばん共有していきたい人間なのだとWS参加して実感しました。自分がブロガーやってる理由とか分かったかもしれません。

シェアして、忘れて、前に進む

大切にしてた車が廃車になって思い出のためにエンブレムだけ残すということ、自分であればモノは残さず、その体験を「ブログに書くんだな」と思いました。

そうやって言語化してコト化して、周りにシェアすることで自分は忘れるけど、他の人に覚えさせて後世に継承させることが「最高の保存方法」なのでは、とも思えてきます。教育ってそういうことなんでしょうね。

自分の中のモノはどんどん手放して、容量広げないと新しいもの取り入れることできませんから。排泄と一緒です。

この辺の話は「時間は未来から過去に向かって流れている」と完全に繋がってますね。

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