プロ無職るってぃ(@rutty07z)です。
今日で2016年最後の日ということで、今年1年の自分を振り返りたいと思います。
今年は会社辞めてどうることやら…からスタートしたけど、「いつ死んでもいい」と思うくらい、自分でも大満足な1年になりました!
「来年末にまたこの記事読みたい」と忘備録のために書いてたら、止まらなくなってしまって、マジで長いです(8000万文字超えた)。
たぶん誰かの役に立つはず←
では年末年始の暇つぶしにでも読んでください。
1月 様々な勧誘、並行してこなす企画、勉強…そして退社を伝える
今年の1月は大変だった。本当に一番大変だった。
この時期はまだ勤め人をしてたわけで、仕事自体はやることやればOKだったんだけど、もう完全に心の中は「独立」で固まっていた。
その矢先、知り合いで会社やってる人から「うちの会社に来ないか」的な話、カッコよく言えばヘッドハンティング?←
「◯◯万円出すし、他に好きなことしていい」と言われたもんだから迷ったよね。
こんな話が来たから、どっちにしろ勤めてる会社には「辞表」を報告。
並行してAirbnbブログ『エアログ』の方では企画をこなしていく。
さらに知り合いの税理士さんから「Webで食っていくならフォトショ・イラレは必須だ!」と言われ、その界隈では有名な先生の講義を1日受け、フォトショ・イラレの基本操作を叩き込まれる。
一方辞表の意を伝えた会社の上司はカチキレ。
「独立!?」「無理だ」「考え直せ」と散々言われるが無視を決め込む←
2月 フリーランスとして晴れて独立
そしてあんなに反対してた上司とはうって変わって、さらに上の部長は「別にええんちゃう?」という感じ。
「今週辞めていいよ。俺が君やったら、さっさと辞めて次のこと本気でしたいもん」と言ってくれた。
まぁ今思えば「長く働く気もない新卒社員を引き止めること」に本気でどうでもよかったんだと思う。
でもこの部長のおかげで身内の誰か死んだことにしてまで休もうとしてた社員旅行に行かなくて済んだ。
何回この言い訳使って親戚死んでんだよと。
というわけで新卒で入った会社を10ヶ月で辞めるゆとりっぷりを遺憾なく発揮し、フリーランスになったわけだ。
俺は自由になったんだぁぁ!!!!!
それからは「自分がサラリーマンしてた」なんて嘘かのような生きっぷり。
毎日好きな時間に起きて、好きな仕事して、次の日の仕事の心配することなく飲んで…まるで「学生」の時に戻った気分だった。
いや、学業もないし「学生より最高だ!!」と思った。
エアログも新ドメインに移行し、デザイン含めて大リニューアル。キャラクターも用意し、もっと読者への「伝わりやすさ」を重視していく。
一緒にエアログをやってる相方ケンタロックも会社を辞め、2人で一緒の家に住みながらAirbnbして、そしてパソコンをカタカタする毎日。
会社辞めるまでにエアログ(当時運営半年ほど)を通してたくさんのAirbnbホストさんと知り合えて。Airbnbやってる人って事業者とかお金持ってる方が比較的多いから
「困ったらうちの清掃会社で仕事あげるから」とか「いつでもご飯作るから」と言ってくれたのは本当に心の支えになった。
そして僕もケンタロックも海外での留学経験があったおかげで「日本は平和すぎて絶対に死なない」ことを知ってたから頑張れた。
僕自信は「もし1年後死ぬとしたら、今のままだと後悔する、だから頑張ろう」という気持ちで手を動かした。
そして「独立したら孤独で寂しいぞ」と良く言うが、それもAirbnbをしていたおかげで全然大丈夫だった。
家に帰れば常に「おかえり」を言ってくれる人がいる。しかも世界中から自分の家に集まってくる。本当に毎日が楽しく、無理することなく頑張れた。
3月 「Airbnbといえば”エアログ”」を目指して
もう本当にブログ書きまくってたし、色んな現場に足を運んでた。
「Airbnb=エアログ」をひたすら目指した。ホームステイ型Airbnbホスト(自宅でAirbnbをする本来あるべき姿の民泊)を守る為、『We Love Airbnb』という団体を僕の年上の相棒、Books&Appsのカズさんと作った。
定期的にミートアップを開催し、自宅型ホストさんはできるだけ結束して、法律に対して訴えかけていこうという啓蒙活動をはじめた。
これを機にAirbnb Japanの社員の方とお話しするようになり、お花見ミートアップのMCを任せられたり、関わりを持つようになった。順調にAirbnb界隈では知名度を伸ばしつつあったと思う。
4月 夢だったのゲストハウスを大阪で開業へ
そして4月に1つの夢が叶うことになる。
相方のケンタロックが大阪で「ゲストハウス引き継ぎ」案件をネットで見つけた。なんでもオーナーが引退し移住するとのことで、ゲストハウスの後任オーナーを募集しているとのこと。
それも低家賃で家具・家電フル装備(+漫画3,600冊)、そして簡易宿所付きの物件。
Airbnbが法律によって風当たりが厳しくなる中で、「簡易宿所の許可取得済み」は相当魅力的だった。
というわけで応募。
しかし時すでに遅く、10件以上の応募があった上に、すでに1組(しかも法人)と契約を進めているとのこと。
「あ〜遅かったか〜」と少し落胆したが、後日オーナーからメールが。
「法人との契約がつまづいている。ブログを読ませてもらったが、君たちに魅力を感じる。1度大阪に来てくれないか?」
夜行バスに飛び乗り2人で大阪に向かい、オーナーと対面。
本当に気さくでいい人で、エアログを読んで、直感で僕たちを選んでくれたらしい。
その場で法人さんにお断りの連絡を入れてくれて、晴れてゲストハウスを運営することになった。
「30歳までにゲストハウスを運営する」という夢が叶った。
2014年にニューヨーク留学から帰って来て「日本でも外国人と交流できる仕事したいな〜」と思ってた矢先、相方のケンタロックが大阪のゲストハウスでバイトをしてた。
そのバイトを紹介してもらい、学生しながら2人で同じ場所で働き始めた。
それから2年で、こんなに早く2人でゲストハウスオーナーになる時が来るとは思わなかった。 エアログハウス-Commic Inn-
てゆうかブログがすごい。まさに「積み上げる名刺」。
メールのほんの下に「これが私のブログです」とちょっとURLを張り付けとけば、向こうは読んでくれる。自分のことを知ってくれる。仕事が獲りやすくなる。
ブログの可能性をめちゃくちゃ感じた出来事だった。
5月 交流の幅が一気に広がる
大阪のゲストハウスのセットアップをマッハで終わらせ、運営兼管理はケンタロックに任せることに。
自分は東京の家の管理を担当。
このころから、今までの交流がなかった分野への関わりを持つようになる。
ブロガーと交流
言わゆる「ブロガー」と呼ばれる人たちと交流を持つようになった。
ブロガーと聞くと「根暗」というイメージがあったんだけど(死ぬほど失礼)年齢近くて、みなそれぞれ「野望」をもって活動してる点ですぐに仲良くなれた。
「おもしろAirbnb物件泊まってみた」企画に巻き込んでみたり、家を断捨離した(?)ブロガーを自宅に泊めてみたり
自宅に招いてAirbnbゲストと一緒にパーティーしたり
今までAirbnb界隈の、しかも年上の方々としか関わりがなく、相方と細々とブログ運営をしてた自分にとってとても新鮮だった。
やはり彼らは「発信力」があるので、学びも多い。
自分たちもこの辺からその「発信力」を意識するようになった。
人生初!ブログでバズった
発信力が強くなったと確信した出来事は、人生で初めて「バズる」を経験したこと。
エアログがテレビ朝日のスタッフさんの目に止まり、民泊の現状を伝える立場として「報道ステーション」に出演させて頂いた。
そしてブログにはAirbnbをやっていて日々感じる「日本人の外国人に対する差別、心の鎖国」という鬱憤をぶちまけた。
書いた翌日の朝は忘れられなくて、いつも朝起きたらアナリティクスでブログのアクセス数を確認するのだが、朝8時の時点で「2万PV/日」とかいっててリアルに「?????」ってなった。
調べるとフェイスブックを中心に拡散されてて、結果2日で6万人近い人に読まれた。
人とに価値提供しまくることの重要性
5月から実験的に「炭水化物コンサル」をいうのを始めた(このサービスはもう終了してます)。
「飯奢ってくれればAirbnbのコンサルしますよ」というもので、1ヶ月で40組ほど依頼が来て、ご飯をご馳走してもらい、その代わり1~2時間全力でコンサルした。
飯なんて安けりゃ1000円以下。けど提供する内容は自分では「1万円以上」と自負してる。
この企画が後に色々繋がってくる。
6月 パン屋再生に乗り出し、インバウンドは商店・地方創生への鍵だと認識する
炭水化物コンサルで知り合った方から「近所の潰れかけのパン屋を助けたい」という依頼を受け、Airbnbのことなら任せとけ!ってことで協力することに。
そしてまさかの、自分の居住スペースも用意して頂き、代々木にも拠点ができた。ここでもAirbnbゲストとの交流を楽しみつつ再生を手伝った。
ブロガー仲間もよく来てくれて、彼らは発信力はあるもんだから口コミでパン屋がどんどん広がった。
復活したイエローモンキーのギターの人とか来た。
おかげでパン屋は今潰れずに済んでいるし、あんなに暗い顔してたパン屋のマスターも少し姿勢も伸びて笑顔は増えたし、今では外国人とも普通に接客できるくらいになったのだ。
初のセミナー依頼。仙台で東北復興Airbnbセミナー開催
また、これも炭水化物コンサルで知り合った方から、初めてAirbnbセミナーの講演依頼を受けた。しかも仙台。
仙台に行くのは初めてで、被災地も案内してもらった。
東北に外国人を誘致し、東北を盛り上げようぜ!というわけでAirbnbのセミナーを開催。その場でAirbnbホストが5人も爆誕した。
本当に仙台の人たちは暖かく、そして全員が被災によるバックグラウンドを抱えている。
震災の影響で自分で商いをしなければいけなくなった人、家族を守るため、地元を変えるため、理由は様々。
セミナー受けて「背中押されました!」といま東北で頑張ってる人がいる。コンサルで出会った人、仙台でのセミナー、代々木のパン屋再生。
自分の幸せは「自分ごと」によって決定するのでなく、「人を幸せにすること」が大きいと初めて感じた。
「自分大好き。自分良ければ他人の人生なんてどうでも良い」と思ってた僕にとって、信じられないほどの心境の変化だったと思う。
7月 蒔いた種が一気に開く
7月は本当にいろいろあった。地道に蒔いた種が全部開花した。
アジア初のホームシェアリングクラブ設立
3月に『We Love Airbnb』を創設した僕たちですが、Airbnbジャパンから「ホームシェアリングクラブ東京を立ち上げよう」という話に。
これもまさしく「ホームステイ型のAirbnbホストを守る会」で、世界中のAirbnbホストがAirbnbを愛する余り立ち上げている。
東京はアジア初の快挙で、世界で54番目。
ホームスステイ型民泊の健全さをしっかり伝え、より良い法律ができるようロビー活動を行っていく。
選挙期間中に議員さんの事務所に訪問し、民泊を楽しむいち有権者として、民泊の素晴らしさを伝える手紙をみんなで作って届けたりもしました。
今でもホームシェアリングクラブのミーティングを毎月行って、イベントや効果的なアプローチの発案を行っている。
北海道旅行
北海道に1週間「暮らすように旅」しに行った。
特に何の予定もない普通の旅行になるはずだったが、思わぬ出会いや収穫が。
洞爺湖に「北海道の母」ができたり(るってぃは47都道府県に「お母さん」を作ることを人生の目標にしており、現在金沢の実母、東京、北海道にいる)


財政破綻した町、夕張市に初訪問。そこで未来の日本の縮図を見たような気もした。
この町で何かできないかと思い、北海道のAirbnbホストさんと協力し、9月に夕張や外の人を巻き込めるようなでイベントを開催することが決定した。
7万円入った財布を落とし、人生初のクラウドファンディング挑戦
また北海道から帰る直前に7万円入った財布を落とした。人生で初めて財布無くした。
北海道旅がパーフェクトだっただけに「逆にネタにしたろ」精神が沸き起こり、人生初のクラウドファンディングに挑戦することになった(こんなカタチになるとは)
これが4時間で目標の7万円をサクセスし、結果として17万円が集まった。まさかの黒字。
5月にはじめた炭水化物コンサル受けてくれた人が支援してくれたケースが多く、クラファンの大変な所含めて仕組みを理解することができた。
そして「るってぃさん見て自分もクラファン挑戦してみようと思いました!」と声をたくさん頂いた。
そりゃそうだ。財布落としてクラファンがあるならみんなできるわなと。ハードル下がりまくり。
Airbnb創業者 ジョー・ゲビア来訪
そしてAirbnbファウンダーのひとりジョー・ゲビアが「Airbnbでパン屋再生ストーリー」を聞きつけ、サンフランシスコからやってきた。
Airbnbのおかげで人生が動きはじめた自分にとって、Airbnbの創業者に会うことは夢だったし、直接感謝を伝えたかった。
そして人のために価値を提供し、発信することで、自分の想いは世界にも届くし、夢は叶うってことがよく分かった。
こうしてパン屋のストーリーは世界中でも発信され、なお現在も潰れずになんとかなってます。
8月 世界に行きたいと思った
しかし、ジョーにあった翌日に悔しい思いをする。
それはジョーと「対等な立場」で仕事する日本人の姿を目の当たりして。
この時漠然と「世界で活躍するような人間に自分もなりたいなー」と思うようになった。
そんな話をAirbnb JapanのTomoさんに話したら「るいくんはもっと世界見た方がいい」と言われ、11月のAirbnbオープンでロサンゼルスに行くこと決まっていたので、「どうせならシリコンバレーとかで勉強してみよう!」
ということで、その旅の資金も全てクラウドファンディングすることに決めた。
だから8月からその準備を始めた。
ブログを通じて、とにかく人に会いまくってた記憶しかない。
ニューヨークから親友が来て、フリーランスの素晴らしさに感動
8月にはニューヨークのダンス友達が日本に2週間やってきた。
これが本当に嬉しくて、2週間付きっきりで色んなところに案内した。
ほんとにフリーランスになって良かったと思った瞬間だった。
9月 夕張でイベント・仙台へ来訪
Airbnbを通して1つのお店を再生できることが分かったので、「町で何かできるのか?」と思い、7月に訪問したした夕張でイベントを開催!
全国から人呼んで、夕張で活動する方々に廃墟や名所を案内してもらったり、美味しい夕張のご飯を食べたり、お風呂に川遊び、ドローンやキャンプファイヤー、廃校に宿泊など、最高すぎた。
結果として30人ほどの人が集まって頂き、その魅力をブログでも発信。北海道新聞にも2度取り上げて頂いた。
また6月に訪問した仙台でマリオカートが導入され「マリオカート×Airbnb」、「ドローン×Airbnb」など、地方で遊びに遊んだ。
全力でその土地で遊ぶことが、何かしらに繋がると思っているので、一生遊び続けれるようにしたい。
ちなみにエアログとは別で、9月にこの個人ブログを開設。「多様な働き方」や「ライフスタイル」を中心にHACKしたい。
10月 クラウドファンディングサクセス!
本気のクラウドファンディングがスタート。
内容は「アメリカの起業家・フリーランサーに取材し、最先端の生き方・働き方を勉強したい!」というもの。
目標の30万円をすぐクリアり、結果的に54万円の支援をいただいた。本当に感謝です。
他にも、フォトショップ・イラストレーターの知識を深めようと思い、同い歳の脳内アーティスト稲沼のデザインレッスンを受講。
おかげで画像、バナー、フライヤー、名刺などは外注なしでも1人でできるようになった。
「自分ができること=スキル」を1つずつ増やし、渡米の準備を進める。
またイベントに二度スピーカーとして登壇。
独立1年目で何を偉そうに人前で喋っとるという感じだが、「誰か人の背中を押すの好きだな」と思った。
11月 アメリカで取材〜勉強〜
そして11月は3週間アメリカへ!
ロサンゼルス、シリコンバレー、ニューヨークで、紹介しもらった8企業1大学を訪問し取材。
ロサンゼルスで開催されたAirbnb Openでも僕らは紹介されてめちゃくちゃ嬉しかった。世界は広く、外に出るたびに自分の世界が拡張していく感じが本当に楽しい。
アメリカでインプットしたことをアウトプットしに、来年1月から全国6都市で講演イベントやらせてもらうよ!
12月 アメリカで学んだことを消化し自分のものにしてるとこです
11月がほとんどインプットだったので、12月はひたすらブログ書いてる。
アウトプットすると学んだことが自分の体に取り込まれ、レベルがまた1つ上がる気がする。そう、気分はまるでドラゴンボールのセル。
他には東京大学で民泊に関するワークショップをやらせてもらったり、このブログも運営開始3ヶ月目で月間10万PVを突破。
今年1年の収穫
今年独立して1年で学べたことは主にこの3つ。
1.お金の本質と稼ぎ方が少し理解できた
独立1年目ということもあり、会社員時代よりお金について考えることが異常に多かった。
「どうすれば遊びを仕事にできるのか」
お金が「どうやったら」生まれるのか
特に炭水化物コンサルをはじめた5月あたりからその辺の仕組みを少し理解できた、気がする。
価値提供、キャピタライズ、マネタイズ…この辺の考えを言語化したい!
2.頭のおかしい人が超絶増えた
Airbnbをはじめて一番の収穫は「収入が増えたこと」ではなく、(良い意味で)頭のおかしい友達が増えたこと。
- 知らない外国人を自宅に泊めるサービスなんて、ほとんどの人怖がってしない
- 安定した仕事を辞めて独立する人も少ない
そういう人たちと、Airbnbとブログを通して出会える。たぶんこの1年で3~400人には会ったんじゃないかな。
たくさんの人に支えられて、独立1年目は死なずに済んだよ。
3.人の思考は1年で変われることを実感
ブログで発信する理由やお金稼ぎたい理由なんて「モテたい」「チヤホヤされたい」「ワイン飲みながらタワマン住みたい」とかなのに
- パン屋再生→自分の幸せは他人を幸せにすることで得られる
- Airbnb創業者と会う夢を叶える→自分も世界で戦える人間になりたいと思う
- 夕張に訪問→未来の日本の縮図を見て、地方で何かしたいと思う
- 良い服欲しいタワマン住みたい→モノよりおもろい「体験」を買いたい
という風にたった1年で自分でもびっくりするくらい思考が変化した。
というか、たった1年で思考を変えられることを実感できたのが大きい。
マジで何が起こるか分からね〜。まず行動。
2017年どう生きる?目の前のこと淡々とやるのみ
2017年の目標は、特にない。
目標掲げるのあんまり意味ない気がする、これだけ思考がぐにゃんぐにゃん変わるんだから!
でもシリコンバレーから帰ってきて、色々ヒントを得たので「やりたいサービス」が2つほどできた。簡単に言うと「日本人プロ無職化計画」。笑
みんなプロ無職なったら、俺と遊んでくれる人も増えるじゃん!ってこと。
これ目指してやってきます。
というわけで2016年は会社辞めて笑われたり、たくさんバカにされたけど、想像以上に自分が変化して大満足な1年だった!
何より最高に楽しかった!もういつ死んでいいとさえ思った!
来年も自分のペースで遊びに遊んで、人に会って、プロ無職ライフを楽しみたいと思う!
以上!!!来年もよろしくお願いします!
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