もっと曖昧になんとなく生きたいんですけど

気づいたら6月終わって夏はじまってました。こんにちは。俺だよ!!

見事に泥酔した図

2022年も半分終わったな〜下半期も変わらず”アゲ”で行きたいと思います。

さて。タイトルにもある通り、俺もっと曖昧に、なんとなく生きたいんですけど、社会が全然それ許してくれない感ない…?

明確な未来や目的を決めず、あてもなくふらふら彷徨い続けたい。

自分はそれを定型化しないって意味で「不定形の生活の実践」って言ってるんですが、行き当たりばったりの人生最高なのに「なんかあいつ迷走してない?」と後ろ指さされがち。

無目的で歩けなくなったのはいつからなのか。最後に道に迷ったのはいつだろうか。

というわけで「些細な抵抗」を日常の中で取り入れる、みたいなことやってます。

道に迷いたいという友達になれそうなあたおかはソルニットの「迷うことについて」を読むといいと思います。

この前フィンランドから一時帰国中の森と「計画的偶然性」とかについて話してて、今の自分が所属している環境や行動の理由は基本的に「なんとなくの偶然」だった訳で、まあ理由を答えようと思えば答えられてしまうんですが、なんか喉元引っかかるんだよな。だって、マジで偶然そうなったでしかないもん。

もっと曖昧なことや、分からないことを楽しみたいワ・タ・シ

「わからない」を引き受ける