気づいたら6月終わって夏はじまってました。こんにちは。俺だよ!!
2022年も半分終わったな〜下半期も変わらず”アゲ”で行きたいと思います。
さて。タイトルにもある通り、俺もっと曖昧に、なんとなく生きたいんですけど、社会が全然それ許してくれない感ない…?
明確な未来や目的を決めず、あてもなくふらふら彷徨い続けたい。
自分はそれを定型化しないって意味で「不定形の生活の実践」って言ってるんですが、行き当たりばったりの人生最高なのに「なんかあいつ迷走してない?」と後ろ指さされがち。
無目的で歩けなくなったのはいつからなのか。最後に道に迷ったのはいつだろうか。
というわけで「些細な抵抗」を日常の中で取り入れる、みたいなことやってます。
探し物 pic.twitter.com/YnAV3E53cM
— るってぃ(Rui Yamaguchi) (@rutty07z) June 12, 2022
今日の漂流 pic.twitter.com/niwXixnqln
— るってぃ(Rui Yamaguchi) (@rutty07z) June 18, 2022
表参道フラフラ pic.twitter.com/AiBzcTUrem
— るってぃ(Rui Yamaguchi) (@rutty07z) June 19, 2022
道に迷いたいという友達になれそうなあたおかはソルニットの「迷うことについて」を読むといいと思います。
お、第一章無料。迷いたくないコスパショートカット思考多すぎファック社会なので放り込んどく
— るってぃ(Rui Yamaguchi) (@rutty07z) July 2, 2022
“迷子になる、つまり世界の手掛かりを失って、はじめてわたしたちは自分自身を探しはじめる。そして自分がどこにいるかを理解し、自分をとりまく無限の関係性の広がりに気がつく”https://t.co/KK0JV0TeLp
この前フィンランドから一時帰国中の森と「計画的偶然性」とかについて話してて、今の自分が所属している環境や行動の理由は基本的に「なんとなくの偶然」だった訳で、まあ理由を答えようと思えば答えられてしまうんですが、なんか喉元引っかかるんだよな。だって、マジで偶然そうなったでしかないもん。
“理由”を聞かれると僕たちは思わず理由づけをしてしまうけど、本質的には僕たちの理由なんてたいてい後付けで。”こういう理由で発展してきたのです”というナラティブを、むしろ意図しないものであったとして発見し直す試みは、創発的な営みを捉える意味で逆に今面白い気がする。
— 森 一貴 Kazuki Mori (@moririful) July 2, 2022
もっと曖昧なことや、分からないことを楽しみたいワ・タ・シ
社会人7年くらいやっててビジネスでも美術でも「なんとなく」って言葉余裕でタブーなんだけど、俺はそれでも「なんとなく」生きてこの歪な世界をすり抜けるよ
— るってぃ(Rui Yamaguchi) (@rutty07z) June 8, 2022