「わからない」を引き受ける

「どうして表現しているの?」

そう聞かれると、簡単に答えられるようで、言葉にするのは難しい。

独学でやってたところから大学院に入って、この前同級生から「課題とかないのによく表現活動できますね」と言われ、少し驚いた自分がいました。

確かに締め切りなんてないし、作らなくても誰からも怒れられません。

たまに冷静になって「やらなくてもいいのに、なんで作ってんだろ」とか思う時普通にある笑

本質的には「暇だから」で間違いないし、好奇心が止まらないってものありますが、なんでこんなことやってるのかなーと考えたり。

世の中わからないことだらけ

表現する理由のひとつが、自分にとってわからない人や出来事が多すぎて、知ろうとする作業なんじゃないかなぁ…。

例えばいま「DELIVERY DRAWING PROJECT」というUberEatsなどのドライバーさんと一緒に作品を制作してるんですが、僕はフードデリバリー配達員をやったことないし、正直やりたいと思ったこともありません。

なのでフードデリバリー業界の実態や、現場の当事者性みたいなものを持っていないのですが、だからこそ一緒に作っていて知らないことを知れて興味深いし、自分の想像を超える出来事がたくさん起こります。

リサーチ通して、単なる配達員という働き方を超えた、社会や人類共通の問題とか感情が見ええてきたり…。

要は、自分も含めた「わかりあえない人たち(わからない人たち)と少しでもコミュニケーションするため」に表現してんのかなぁと思ったり。

スザンヌ・レイシーの「誰に語りかけたいか」「あなたの観客は誰かのか」「そしてあなたはどこにいると想定されるのか」の問いに対する回答は、現時点では上記です。

「わからない」は希望

最近読んだ本にあった

「わからない」は希望なんですね

あるいは、「わからない」ということ自体が、「あいだ」にある状態だと考えることもできると思う

という言葉がすげぇ良いなぁと。

わからないことって基本的に面倒くさいし、怖い。

でも、自分の理解や想像を超えて面白い発見もあるから、向き合ってみたり、もっと知りたい。あえて「わからないまま」を楽しむこともある。

だから表現してるって言うとあまりにも臭すぎますが、みんな、自分が全然わからないと思うことを題材にしてるんやと思います。

てか、アーティストの存在意義ってまだ言葉になってない、理解し得ない領域の「あいだ」に入ることっすから。「わかる」は「分かつ(別つ)」でもあるかねぇ…。それは危なかったりもする。

日比野克彦さんが授業で「わからないことを引き受けるアーティストがもっともっと必要」って言ってて、はい、ほんとそうだなという感じでした。

取手キャンパスに来て最もわからない存在は「ヤギ」です。

おしまい。