日本に原爆が落ちた日だからこそ書きたいこと

戦争被害を受けてない石川県出身ながら、なぜか昔から第二次世界大戦あたりの話に関心があって

よく広島・長崎の原爆被害者のドキュメンタリーや映画を観ていました。図書館で読んだ「はだしのゲン」や「ちいちゃんのかげおくり」は今も深く心に刻まれています。

広島の街もすごく好きで、訪れるたびにその傷跡や資料を拝見できる場所にはできるだけ訪れてます。

それでなぜか今年、「8月6日はあの平和記念公園で黙祷を捧げたい」という気持ちが大きくなって…スケジュールの都合でそれはできませんでしたが、今日は早起きしてテレビの前でスタンバイ。黙祷を捧げ、放送される式典を最後まで拝見しました。

どうして自分でもこのような気持ちになっているのか、上手く言語化できません。昔興味なかったことが、歳を取ることに興味が出るみたいな。

それは僕がいま、「日本人とは何か?そして、自分とはなんなのか」という己事究明に興味があるからではないでしょうか。

日本人として生きる上で、戦争で負けたことや戦争被曝を唯一経験したことは切っても切り離せないことです。そして、戦争を経験してない僕らの世代でも原爆を落とされたあの日から、アイデンティティのひとつとして刻まてしまったのです。100年後、200年後の人もずっとそうでしょう。

だからこそできる自分の役割というか、訴えられるものがあると思うし、「じゃあ自分は何ができるの?」ということを考えさせられます。

「地球平和」を願う者として、こんなに悲しいことはありません。

学校に行って、働いて、夢を持って、結婚して、子供を育てて

そんな輝く未来があるはずだった14万人の命が奪われてしまったこと。

もしその中に、今世で僕と友達となりうる人がいたとしたら。

そう考えると、とても悲しいことです。

広島出身の友達が何人かいるのですが、戦争経験者の息子・孫である彼らは、下手すると存在しなかったかもしれませんし。

アメリカでは原爆を落としたことは、日本軍が始めた愚かな戦争を終わらせるためにやった最善の判断だった、と教えられる訳ですが(実際いまだに原爆投下は正しかったと答える人は6割)、ここ10年20年で若者は懐疑的に物事を見てると言います。

祖父は原爆投下機に乗っていた。アリ・ビーザーさんが、広島から被爆者の声を届ける意味

原爆を落としたことが善か悪と考えるのではなく、そこから何を考え行動していくか、過去の経験から未来の話を平和にしていきたいですね。今日くらい、戦争や平和の話をしてもいいのではないでしょうか。

上の記事で紹介されているアリ・ビーザーさんもまた、戦争を経験していない世代なのに、原爆をキッカケに自分の運命・使命が動いています。つまり、戦争で失ったものも多いけど、逆にそれで繋がる縁や運命があるわけで、つくづくこの世はif(もしも)の連続だと感じます。

最近思うのは、本当この世界は上手いこと等価交換の原則・表裏一体の原則でできてるなと。プラスがあればマイナスがあり、マイナスがあればプラスがある。無意味なことなどひとつもないという。

だから、僕ら日本人も今日くらい、戦争や平和について考えませんか。

来年こそは8月6日に広島にいたい。というより、戦争で感じたことをアート表現したいと思います。