書評「芸術起業論」美術史の文脈で闘うこと。自由な制作は一生評価されない

日本人として初めて作品が1億円で落札された芸術家・村上隆さんの「芸術起業論」を読みました。というか、作家として読まざるを得ません。

2006年に書かれた本ですが勉強になることが多く、また芸術家でなくても参考になります。

個人的に面白いな〜と思った部分をアウトプットしていていきます。

芸術には明確なルールが存在する

  • アートに価値をつけるには現在アートの中心地である欧米、とりわけNYのルールを踏まえないとそもそも評価の対象外
  • 日本の「自由に作れ」とか、曖昧に「色が綺麗」とかはダメ。日本人アーティストは欲望のなさが問題
  • 日本では目の前にある作品を「好きか嫌いか」で判断する。その判断基準だとその時の気分や時代で移ろう。その基軸で戦ってちゃダメ。

冒頭からぶっ飛ばしちゃってるよこの人。

そもそも芸術になんで金銭的価値がつくの?自由にやるもんじゃないの?と思うかもしれませんが、ルールは明確に存在します。

そして、そのルールの外で芸術やっていても一生評価されることはありません。野球場にサッカーボール持っていっても野球できないのと同じで。

けど、日本人アーティストがやってることは結局そういうことじゃないか?という問いです。

バブル期に日本で人気だったラッセンも正に、美術史に乗っ取って制作していなかったゆえに…。

書評「ラッセンとは何だったのか?」大量に売られ消費され、美術界から黙殺されたアート

一番最後の「作品を好きから嫌いかで判断するな」はプロとして当然のあり方やなぁと。

書評「感性は感動しない」感動した現代アートって本当にあったかな?

数億の価値がつく=世界美術史の文脈を更新すること

  • 欧米では「作品を通して世界美術史の文脈を作ること」が価値、つまり一緒に歴史を作れるか、歴史のひとつになれるかが鍵。だからこそ、欧米のルールと世界美術史を学ぶことは最低限必須。
  • 「世界美術史の文脈を作る」とは「観念・概念」を作るということ。ここが認められれば、億

「ルールを知った上で、その常識から外れる」を実行してきたのがピカソやアンディ・ウォーホール、そして著者の村上隆さんも批判を受けながら後世に残る作品を生み出せたのかなぁと。

村上さんは日本のオタク文化を、しっかり日本人の視線からアートに昇華することで世界美術史の文脈を作りました。

では、自分は作品を通してどんな文脈を作れるか?どんなイノベーションを起こせるか?

村上さんも言ってましたが、作品にはなんの価値もなく、ただ布のキャンバスに絵の具塗りたくっただけ。そんな無意味から、歴史を作るのが価値だと。

作品の価値は発言で高める。作品周辺まで想像力を膨らませる起爆剤を仕掛ける

  • 世界に自分の「観念・概念」を伝えるには言葉は重要、だからこそ翻訳にしっかり投資すべき。それは最低限のレベルであり、ネイティブの翻訳者を5~6人入れて、作品のストーリーを徹底的にブラッシュアップして言語化する
  • 芸術作品はコミュニケーションの最大化で決まる。とにかく作品の理解の窓口を増やせ

「翻訳に投資する」は確かに…。自分もベルリンで作品を見てもらいましたが、つたない英語で作品のストーリーどころか、自分の活動内容すら伝えるのも難しかったです。

「?」と思われたら即終了。自分の活動と作品から「観念・概念」を売らなければいけません。

そして観る人と作品の接触頻度を増やすために、発信力も今以上に磨かなければいけません。それはSNSなどのメディア露出だったり。

アンディ・ウォーホールが世界で最も有名なアーティストになった理由は、西洋美術史での文脈を作成する技術を作ること以外に

  • 雑誌「インタビュー」を創刊し、取材を行いながらセレブとの繋がりを増やす
  • ドラッグパーティーを開いて作品に触れる機会を増やす
  • 毛沢東など当時話題になった人をモチーフにした作品を作りスキャンダルを狙う

といった「操作できる範囲の外」も自分の演出かのようにコントロールすることで価値を高めていきました。しかもその活動すらポップアートのコンセプトになっていると。

つまりアーティストとして価値を上げるには、作品制作だけでなく、作品周辺まで工夫をこなさなければいけません。想像力を膨らませる起爆剤をいくつも仕掛けていくと。

顧客のニーズに応えることは創作の邪魔にならない

こういう作品以外の戦略部分のことを言うと「アーティストじゃない」と批判を受けがちですが、村上さん自身は「顧客のニーズに応えることは創作の邪魔にならない」と断言してます。

谷川俊太郎さんだってクライアントワーク中心で詩を作ってますし、ピカソもウォーホールも天才ではなく、こういったど根性物語をやり通した人として紹介されています。

ウォーホールはパブリックイメージのためにカツラを被ってたし、死後のためにロボットも作っていたそうです。

マルセル・デュシャンが作品制作を辞め、30年間チェスプレイヤーとして生計を立てていたこと。その間秘密裏に制作していた「遺作」という作品を、自身の死後に発表したことも全て戦略だと。

優れた人ほど周りにやらしいほど圧力やイメージをかけ、常識を破りながらも業界を敵に回すのではなく味方につけていく。

「果たしてここまでできるか?」と思ってしまうのですが、歴史に名を刻むには、やるしかないのです。

芸術家が受けるべき仕事の特徴とは

村上さんは受けるべき仕事は以下の2つであるべきと本書で語ってます。

  • その仕事で達成される質の高い作品への探究心はあるか?
  • その仕事の生むコミュニケーションへの好奇心があるか?

さらには「他人と何かを共有できるか」を追求すべきとも語ってます。

素晴らしい芸術はジャンルを超えて、思想に革命をもたらすはずなので、じゃあ自分は仕事や表現を通してどんな革命をもたらしたいのか深く考察することも大切なのかなぁ〜と考えます。

革命とは、根強い習慣・因習を振り切る衝撃のこと。

では、今の日本や世界が持つ根強い習慣は何か?その中で自分が変えたいものは何か?さらに言うと、自分にしかできないこと(自分がやる必然性があること)は何か?

を深く考えないといけません。

美術の世界の価値とは「その作品から歴史が展開するか」で決まります。

プロとしてルールに則って芸術をやること

自由気ままに芸術をやるのか?それとも美術史の中で芸術をやるのか?

この辺の意識が、日本の美術教育にすっぽり抜け落ちていたものだと感じます。そこがプロとアマの違いなのかなぁと。

そもそも、この選択のどちらかを選ぶ必要もなく、両方の良いとこを組み合わせて、別の選択肢を作れる人が新たな歴史を作っていくのでしょうね。

一応念のために言っておく、村上さんの発言だけに囚われない方がいいと思います(あくまで参考に!)

「芸術闘争論」も合わせてぜひ。こちらはより具体的に美術的価値を作っていく方法について語られています。

村上さんが経営するカイカイキキでの若手アーティストの指導方法も勉強になることたくさんありますよ。

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