プロ無職の俺がアートをやること自体に意味がある?

明後日から開催される「NEWTOWN」での展示に向けた構成を考えてます(遅い)

自分の作品を通して何を伝えたいか考えてみたけれど、特にありませんでした。

ないというか、まだその答えが明確に見つかってません。

多くのアーティストは何か伝えたいことがあるから表現手段のひとつとしてアートや美術を選択していると思います。でも自分はいま「描きたいから描いてる」だけ。でも、それで良いと思ってます。というかやりたいことに理由なんて必要ないから。

思えば、やりたいことが全くない人生でした。漠然と子供のころから「自分は世界に行く人間だ」とかデカいこと思ってたけど、肝心の手段としてのやりたいことやなりたい職業はなかったのです。小学生のとき「13歳のハローワーク」を読んでピンと来る職業がなかった時、未来に軽く絶望しました。

そこからは、好きなことを見つける格闘の日々でした。一度ヒップホップダンスの見学に行ったし、ギターもやったし、キーボードも買ってみましたが、どれも全く続きませんでした。

それでも興味を持ったことは手当たり次第やりました。「やっぱり違うわ」と辞める度に死にたくなったけど、それをずっと繰り返してたら高校生の時にブログとブレイクダンスが当たり、いま自分が選んだ職業は無職。笑

つまり、なりたい職業がなかったから無職を職業にしました。企業スポンサーがついてるからプロの無職。遊びが仕事とか子供みたいなことやってます。

つまり俺の人生は消去法で決められてきました。好きなことなんて分かりません。ただ、やっててつまんねーなとか嫌いなものはハッキリと分かります。

消去法を繰り返してたら残ったのは「嫌いじゃないもの・やってて苦痛ではないもの」。その嫌いじゃないものを続けてたら「好きなもの」に育っていきます。最近も今まで4年間書いてたブログを消し、去年はオンラインサロンも辞めました。

平和で裕福な世の中だからこそ、自分が生きる意味や好きなことを見つけられずに生きづらさを感じてる若者は多いと感じます。俺もその1人でした。でも見つけられたしできると思います。どんどんやっては消して、残ったものを育む。伝えたいことは「」そんな生き方がアリなんだ」ということくらいです。

今年はじめた絵に関しても、油絵とか抽象画とかクラシックな絵画が好きなのか、美術に関して全くの無知だったから自分でも分かりません。だからとにかく色んな人の展示見て、いいなと思ったのを試してみる。絵が評価されるためにはアカデミックな美術史の知識がいるとかデッサンしろとか絵の意味や背景がどうたらとか「うるせーな」とも思います。まずはやって楽しんで「嫌いじゃない」と感じることが大事なんじゃないかなぁ…。理論なんて一旦後付けでOKです(オイ)

特に日本でアートって、僕自身もそうだったけど「選ばれし者しかやってはいけない」みたいな風潮ないですか。周りの目を気にして発表することも憚られるみたいな人も多いけど、やってみて思うのは「誰でも好きなようにまずやってよ」です。

もちろんアーティストとして生計立てていくとなると話は違います。でも、興味あるならまず筆取ってよくない?やってみて嫌いじゃなさそうなら続けてみていいんじゃない?それで、好きになってしまったのなら、苦しみながらもアートしていこうよ。伝えたいのはそんな感じです。

さきほど「絵を通して伝えたいことがない」と言いましたが、「画家歴半年の俺が絵を描いて展示をやってること」に何か少しでも意味があるのだと思います。俺がやるから意味があるんだ。俺にしか伝えられないことがあるはず。

13歳のハローワーク読んで絶望したことも、好きなことを見つけようともがいたことも、結果プロ無職になったことも、全てがここに至るまでの伏線です。ありきたりの言葉ですが、人生において無駄なことはひとつもないです。今この思想があるために全部必要な経験・要素でした。だから俺がいま絵描いてること自体に意味があるはずだし、伝えられることがあるはず。

だからあなたが画面の前でこのちぐはぐな文章を読んでることも今日あった嫌なことも何もかも無駄じゃないんだよということを伝えたいし肯定してあげたい…です。絵おもしろいよ、この2000文字近い文章も28年分の人生も全て1枚の絵で表現できるから。

10月19日・20日、東京で暇してる人はぜひ遊びにきてください。喋りましょう。