「どうでもいい」という感情は優しさなのか?

友人が僕の絵を観たいとのことで、2年ぶりに会うことになりました。

お互い久しぶりなので、近況報告に会話が弾みます。

彼女は楽しくなかった仕事を辞めてノープランで上京してきたのだが、持ち前の愛想とコミュニケーション力で困難を乗り越えてきました。

久しぶりに話を聞くと、いまはバイトをしながらなんとかやってるけど色々悩むこともあるらしい。

楽しく話してると、彼女の使う言葉の中で気になる部分が少しあった。

それは色々助けてくれるオジサンたちを「カモ」と呼んでいたことでした。

SNSを見て応援してくれるオジサンたちに何か買ってもらったり、時にアッシー(死語)として行きたい場所に連れてってもらうこともあるらしい。

自分的にはそういう「カモ」という言葉を使ってるからこそ、いま彼女は経済的に困窮してるのだと感じます。そりゃ、20代の可愛い女子に色々構いたくなるオジサンたくさんいるでしょうよ。笑

彼らもギブして反応くれるだけで喜んでるからwin-winだし。(パパ活にも近い?)でもやっぱり、その言葉を使うことに引っかかりはあったなぁ。

2年前もそんな感じの言葉使ってて「変わってないな」と思ってしまいました。

思ってるとしても、わざわざ口に出さないしな…上手くいく人ほど使う言葉をきちんと選んるはずです。

言語を変えれば思考が変わる。思考が変われば運命が変わる。

そして何より興味深いのがその話を聞いている自分で、「カモとか普通言う!?その潔さが逆に面白いじゃん!」とおもしろがってしまうのです。

僕は言葉に人一倍関心がある一方、空気が読めるブラックジョークやストレートに汚い言葉を言う人を好きな一面もあります。

僕からしたら彼女は「どうでもいい」存在なのかれしれないので、それを注意することなく、むしろ面白がってしまっているのです。

もし彼女が、僕にとって本当に大切な人だったりしたら、当たり前に注意すると思う。

でも昨日は注意することなく、むしろそのあまりのストレートな潔さに笑って終わったのは、マジで「どうでもいい」からなのかもしれない。

注意とか怒るのって疲れますよね。でも、フリーランスやってると、叱ってくれる人、正してくれる人の存在は貴重です。

でも、「どうでもいい」し疲れるからそんなこと言わない。

近々引っ越すらしく、いならい食器が欲しいと言われたのであげました。これも「どうでもいい」からなのかもしれない。彼女も、食器も。