世は諸行無常…!
「プログラミングを学べば食っていける」とか「SNSフォロワーを増やしておけば安泰だ」という言説から
そもそも、人生において安泰とはない
安泰とは何か
なんのために生きているのか
という哲学モードに入ってきたので、このブログを急いで書いてます。
捨てらるか。裸になれるか。
言葉さえも疑ってるのでこうやって文字にすることに関しても半信半疑なのですが。
個人的に何かを成し遂げて地位や名誉を得ても、それを捨てられる(または次世代に継承する)ことが安定に近いのではと考えています。
それに加えて「すぐに人前で全裸になれるか」も、どこへ行っても通用する(かもしれない)汎用スキルです。はい、ふざけてます。でも真実です。
つまり、恥ずかしいことを恐れずに挑戦できるか。どれだけプライドを捨てれるか。
なんかどんだけ偉そうな人も聴衆の前で全裸になってチンコ見せることもできないって思うとめっちゃおもしろくないですか。笑
ちなみに取材された新R25の記事でも言ってましたw


臆せず人からみたら恥ずかしいことをできる人って割とどこ行っても適応してるし、誰よりも自由に感じます。
ホリエモンとか、なんだかんだその辺がすごい。演劇とかやっちゃってますからね。
僕にとってポエトリーリーディングは最も恥ずかしい経験だったけど、「解脱」に近い感覚がありました。周りから顔が変わったとすごい言われる。
人間力について問い続ける
まあ何が言いたいかというと、最終的に大事なものって「過去を捨てる勇気」だとか「プライドを捨てられるか」といった“人間力”という死ぬほど曖昧なものじゃないかって。
バーチャル化が進むからこそ必要になる「人間力」ってなんだろう
「人間力ってなに?」って感じじゃないですか。人や時代によって定義違うし。つまり言語化されてないので、学問としてなり得ず、取得が難しいもの。大切なことって、全部曖昧な気がする。現代人も1000年前の人も、食・恋愛・睡眠・人間関係と同じことで悩んでます。もちろん未来の人も。解決策などない、曖昧なものだから。
僕が書いてるこの話自体胡散臭いので、何を信じるかは自分の美意識に判断を委ねましょう。最短距離より、普遍的で本質なものを磨きたい。SNSやこんなブログより、古典読みましょう、古典。
そして、いつでも全裸になれるように筋トレして、全ての毛をかきむしっておこうと思います。