「自由」という最も厄介なものに捕まった男

先日読んだ記事の中で、糸井重里さんが面白いことを言ってました。

糸井さんは矢野顕子さんのドキュメンタリー映画のタイトル依頼を受けて、「ピアノが愛した女」というタイトルを付けたそうです。矢野顕子がピアノを選んだのではなく、ピアノが矢野顕子を選んだ。その世界に連れていかれた、と。

そういう人は、なんでそこまでやるんだ。苦しいなら辞めればいいのに、ギリギリのとこまでやる。主語が自分ではなく、好きなことのほう、つまり、その好きなことに「捕まってしまってる」わけです。

紅白歌合戦で米津玄師さんとコラボした世界的に有名なダンサー、菅原小春さんもドキュメンタリー番組で「毎日辞めたいと思ってる」と語っていたのが衝撃でした。おそらく菅原さんも、ダンスに捕まってしまったのでしょう。

選んだのではなく、選ばれた人たち

僕にもこの経験があります。学生時代の時間を捧げたブレイクダンスも、楽しいけど同じくらい辛かったです。最終的に解放されましたが。

詳しくはプロフィールに書いてます

ポエトリーリーディングに関しても詩の方に捕まってしまったのだと感じます。とある曲に4年前に捕まり、シーンに引きづりこまれました。だから、詩を作るの超辛いです。笑

詩を描いてるとき別に楽しい訳でもないし、ポンポン言葉も出てこない。人前で読むのとかもう最悪で、緊張通り越して体調悪い。「なんでこんなことやってんだろう」って本番前いつも思ってます。

 

でもやっぱり、やり切った後はそんなことも忘れるほど気持ち良くて、「またやろう」ってなります。これ、完全にポエトリーの思惑に捕まってます。笑

ちなみに絵に関しては今のところ全く辛いとかなく、楽しい気持ち100%なので主語は僕なんだと思います。まあどっちが良いとか悪いとかではないんですけどもね!

 

そして書いてて思ったんですけど、僕は「自由」というものにも捕まってしまったと思います。

だからプロ無職とか名乗って、しんどい想いしながらも真の自由を探求してるのでしょう。

自由なんて、刺すような孤独と責任との戦いで、常人なら数年も持たないとつくづく感じます…。哲学者のエーリッヒ・フロムは「自由からの逃走」という本を書いたくらいだし。

よく「るってぃさんのようなライフスタイルがしたい・羨ましい」みたいな声を頂きますが、万人に全くオススメできないし、ならない方がいいくらいです。

でも僕は本当の自由を研究し、みんなに発信していくことから逃れられないのでしょう。たぶんそれが自分の使命っぽいのです。