僕の友人になっとう娘という肩書きで活動してる友達がいて、久しぶりに会って「発酵っていいよね」「発酵編み出した日本人(良い意味で)頭おかしいよね」なんて話をしていたら
「でも、なんか最近発酵足りてなくない?」という話になりました。
周りに流されずに自分の思考を発酵する
トレンドの移り変わりとコンテンツの消費スピードが激しく、作っては出し作っては出し、の繰り返し。
自分の思想や哲学をしっかり発酵・熟成させられる「時間」をかけられないと言いますか、周りの活躍を見ると焦ってしまったり、周りの声に流されてしまったり。
あのレオナルド・ダヴィンチですら生涯の作品数は11枚だったわけですし、ピカソの5万点の作品の中でも、本当の傑作は何枚なのか。一生のうちに、一枚でも傑作と呼ばれる作品を作ることができるのでしょうか。
いま東京にいるんですが、やっぱりとてもノイジーです。
何もかも早すぎて、発酵できる場所が足りていない。空間的なトレンドで言うとサウナやシーシャなんでしょうが、本質的にそういうのじゃない気がします。
「お遍路」はリアルな発酵の場だった?
MIKKEのたくみくんと話してて思ったけど、例えば禅寺やヴィパッサナー瞑想、お遍路って昔から存在していたリアルな発酵プラットフォームだったのではないかと。
お遍路って、2ヶ月とかかけて歩いて回るんですよね。それくらいの発酵期間が必要なわけです。
効果の実態は知りませんが、事実としてスペインのお遍路は世界中から人が集まってます。
しかも、お遍路の良いところは途中で辞めて一旦家帰って、また再開してもいいこと。
でも現代社会、特に日本ではなかなか会社休むって中々難しい。一旦市場に出ると、積み上げ続けなければいけない。それが西洋的合理主義、資本主義の厄介なところです。
ドレスアップの方法はネットにたくさん載ってるのに、ドレスダウンの方法はどこにも載ってないし誰も教えちゃくれないんです。
刹那の感情の吐き出し場所、思想の熟成場所
最近自分は、考えをSNSに上げることがめっきり減りました。
代わりにどんな些細なこともまずクローズドの月額マガジンの中で書いてみます。
そうした「発酵する場」がもっと必要だと感じるのです。
喜怒哀楽、自分の感情を言葉にすること、さらに言うと、SNSに上げてスッキリさせること(また誰かに見られて消費されること)だけで終わらせるのは勿体ない。
どうせならその刹那の感情を、自分は絵描きなのでキャンバスにアーカイブしたい。
あの時、あの瞬間、自分はこういうこと感じて生きてましたって絵や、いろんな表現のカタチで記録したい。
悲しいことやムカつくことがあっても、あえて言葉にしたくない、人に見せたくない。無でありたい。
表現者なら言葉以上のものに昇華する。そんな感じです。