書評「宗教と霊性」そもそも宗教ってなんだろう?語源から考えてみる

日本の飲み会で話してはいけない三大テーマは「政治・宗教・野球」と言われています。いろんな話を野球で例えだすとオヤジの始まりという俺調べです。

日本では宗教と聞くとそれだけでアレルギー反応を起こしてしまう人いますが、そもそも宗教ってなんだろう?

そんなことを考えていたとき、こちらの本をたまたま手に取って読んだら、「宗教」という言葉は明治以降に”religion”の翻訳として当てられた、つまり割と最近作られた言葉だったことが分かりました。

明治以前までの宗教の語源

明治以前までは禅宗の経典で「仏教の根本心理」を意味する言葉として「宗教」は使われてはいましたが、一般的ではなかっそうです。

また、中期大乗仏教経典の一つ「楞伽経(りょうがきょう)」では、宗教とは「成就され完成されたもの」を意味するサンスクリット語「sidhanta」の誤訳でもありました。

ちなみに漢字からアプローチしてみると、「宗」という文字は神殿、神や祖霊への奉献を意味し、そこから「尊い」とか「主たるむね」といった意味が派生したと考えられます。

西洋諸語のreligionの3つの意味

それに対して西洋諸語の「religion」はラテン語「religio」を語源とし、3つの説があると言われています。

 “religio→re-legere”(再び拾い、読む)

哲学者キケロが唱えた”religio→re-legere” (再び拾い、読む)という説。

つまり「神話や儀礼を反復すること」を意味します。

“re-ligare”(再び結びつける)

4世紀のキリスト教父ラクタンティウスの”re-ligare”(再び結びつける)という説。

つまり「神と人とを結びつけること」を意味します。

神の戒めを破り、エデンを追放されて神と離反していった人間が、神の独り子であるイエス・キリストとその代理人であるキリスト教会を通して再結し、和解するということになります。

ちなみにこの説では「宗教=キリスト教」になってます。

“根源的な畏怖心(いふしん)”

19世紀古典学者オットーによる”根源的な畏怖心(いふしん)”という説。

聖なるものや不可思議な物事に直面したときの深い畏れの感情が、”religio”の現代語訳であると説いたそうです。

世界畏怖とは、同時に世界感謝の心情でもあり、よく勘違いされるが「畏怖=恐怖」ではないと。

怖れ畏みつつ感謝するということ。それが宗教であり、宗教心の根幹だと説きました。

自分の場合、圧倒的な自然を見た時(体感した時)に感じるのが畏怖心に近いなのかぁと感じました。美しいのだけど、デカすぎて恐れ慄くと言いますか。

もっと宗教を知りたい

語源から宗教を探ってみるとこれまで持っていたイメージと違って親近感を持てました。

日本人が「宗教=ヤバいもの」というイメージを持ったのは95年のオウム真理教の地下鉄サリン事件が発端としてるのではないかと個人的に思っているのですが、世界を旅してると外国の人と宗教の話は当たり前に出るので勉強したいところです。