映画評「太陽の塔」岡本太郎は大きく勘違いされている

友人に「鈴木大拙と南方熊楠も出てくるから観た方がいい!」と勧められたドキュメンタリー映画「太陽の塔」を鑑賞。

文芸評論家の安藤礼二さんが好きでよく出されてる本読む僕にとって必聴の内容でした。曰く、太陽の塔は曼荼羅であり、過去現在未来全て繋がってるそうです。

出演:岡本太郎, 出演:織田梨沙, 監督:関根光才

岡本太郎は大きく勘違いされている(と思う)

やはり後年バラエティ出てた影響か、岡本太郎と太陽の塔って勘違いされてると思うんですね(本人は「勘違い大いにけっこう」と語ってますが)。

21世紀は科学の時代と呼ばれ、産業や化学は人間の生活を良くする、幸せにするということを大衆に啓蒙するために開かれた大阪万博。それは即ち古いものはダメ、新しいものは良いという価値観です。

「人類の進化と調和」というテーマに統括プロデューサーに就任した太郎は、太陽の塔を持ってノーを突きつけました。70年当時、万博に対して反対活動をする「反博」という言葉があったのですが、万博に関わったアーティストは「権威に従属した者」として片っ端から非難の対象になったそうです。

太郎なんてとびきり目立ってたのでそれはすごい罵声だったそう。青山のアトリエに毎日誹謗中傷の電話が鳴るという日々。それに対して太郎は笑って、「反博?一番の反博は太陽の塔だよ」と言いました。言葉じゃなくて、表現で実行したのは太郎だけです。

前衛芸術家として権威と争ってきた太郎が国家と仕事することの葛藤もあったでしょう。しかし現実は、科学技術の発展の弊害や公害を無視し、日本の調和は調和ではなく「妥協」であり、近代社会は民族間抗争してきました。そんな科学技術のコントロール以上の、神話やビジョンを描こうとしました。それが出来るのは表現者のみです。

芸術家としてのエリート街道から民俗学の道へ

「なんかぶっ飛んだ人」というイメージあると思いますが、美術家としての彼が出発点はスーパーエリート街道です。

表現者の両親を持ち、東京藝術大学を中退後1930年に本場パリに移住。その多くが後に偉大な芸術家となるブルトン率いるシュルレアリスムグループの誘いを断り、「芸術を学ぶではなく、人間を学ぶ」と言って民俗学に傾倒したのは有名な話です。

太郎は芸術家が作ったものではなく、普通の人がその土地で生きていくために作ったものに興味を示しました。その時の教授が「民俗学の父」と呼ばれるマルセル・モースです。

著:マルセル・モース, 翻訳:吉田禎吾, 翻訳:江川純一

マルセルは旧石器時代から今なお続く人間の本質は別の形で残ってる、というのを読み解くのが非常に上手い人でした。例えば、民族の仮面は、仮面を作った人たちの世界観や精神世界を形作ってるものだから、読み解き方を知れば理解することができると。神話の中にはビジョンがあって、でもこれら原子生活は近代社会が否定しようとしたものでした。

その後、太郎がジョルジュ・バタイユに興味を持ったことがその後の運命を決定づけました。

バタイユはあらゆる秩序や美の感覚を破壊することに執念を燃やした人でした。例えば「美なんてクソだ!クソを美しいと言えなかったらお前らは終わってる」みたいなことを言いました。

有名なのは「低次唯物論」です。超簡単に言えば、概念はダメ、腐るものじゃないとダメ。つまり、人間を中心に考えないということ。人間は特別なものではなく、他の動物と同じ、自然のひとつなんだよということ。

東北と沖縄で”日本”を発見する

戦後日本に帰国した太郎は「我々日本人は日本に塗れることでしか世界と戦うことができない」と感じ、本当の日本はどこにあるのか?その起源を探すために日本中を旅します。

その中で東北と沖縄で、縄文時代から繋がってる本当の日本と出会い、自分の立ち位置を見定めていきます。また東京の上野博物館で縄文土器と出会い、衝撃を受けます。以降は自身の内なる原始人を呼び起こすことに奮闘するという、つまり「予定調和とかクソ食らえ」精神。自分で自分をぶっ壊し、人の根源的なものに訴えかける表現を追求します。

ご存知の通り、大阪万博が終わって他のパビリオンは撤去されましたが、太陽の塔だけは残ってます。あれは壊さなかったのではなく「壊せなかった」のだと。

社会は太郎を拒絶したけど、作品を壊すことができませんでした。つまり、表現が太郎自身を超え、逆を言えば社会のあらゆるものを個人が受け止め、それの”へそ”となるものを作りました。アーティストはこういう混沌としたものを作るしかないのです。

岡本太郎が残した言葉

「成長社会ではなく、成熟社会を考えなきゃいけない」

GDPとかそういった数字を見れば、日本や世界は成長しているのかもしれない。でもそれはハリボテの数字、肝心の中身は充実してるのかと考えれば、進歩もクソもない。1970年と2020年の50年間で何が変わって何が変わってないか?それを見極めて表現すべき

「アートは腹いっぱいにさせてくれるものではなく、胸いっぱいにさせるもの」

「芸術は決意からはじまる」

「自分だけのモノは作品とは言えない」

「鑑賞者とのコミュニーションがあって作品たる」

例えば渋谷駅にある「明日への神話」が2011年にChim↑Pomを動かした(=太郎は死んでも生きてると同義。文化は常に相互作用的であるべき)

「未来につなぐための神話を作らなければいけない」

岡本太郎って日本では最も有名な芸術家なのに、世界では無名なんですよね。それは美術の枠を超えて、民俗学/人類学のフィールドで活動していたからかも。しかし自分は批評家や研究者の力によって、ここから太郎の再評価が高まっていくと思ってます。