映画評「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」泣ける映画を求めるのは日本人の母性

この2日でアニメ版ヴァイオレット・エヴァーガーデンを一気見して、劇場版もみてきました。本当に素晴らしい作品でした。開始5分で泣くとは思いませんでしたw

こういう「泣ける!」を前に出した映画やコンテンツってあると思いますが、そもそもなぜ「泣くこと」を求めるのでしょうか。

自分は幼少の頃から人前で泣くことなど滅多にありませんでした。映画を観る時は感情移入の邪魔にならないように必ずひとりで観に行きます。

もはや「泣きに行く」という感じで、涙を流すことでスッキリしてストレス発散になります(泣くという行為によって人は、他人や自然の姿に自分の経験や想像を投影することで、社会と自分とのつながりを確認するそうです)

それで気になって調べてみたら面白いブログを発見して、「宗教性の違い」が如実に現れてて面白かったんですよ〜〜。

キリスト教は父性を重視

キリスト教は父性を重視する(父・子/イエス・精霊の三位一体)ので、精神的に母親を殺す(自立する)ことで強烈な自我や個性を確立します。

だから欧米でよくある昔話は、主人公が成長しながら、ラスボスを倒し、姫と結ばれる…アイアンマン、スーパーマン、スターウォーズ、大体そう。ハリウッド映画に「泣ける」は求められなくて、求められるのは「エキサイティング」と「エンターテイメント」です。

そして、キリスト教の根元にあるのは「二元=切り離し」。男と女、善と悪、光と闇、1か0か…主客を分かつことで、客観的に覚めた目で相手を見る批評性を持ち合わし(だから欧米はジョークや皮肉が主)、科学や近代思想は西洋で発展しました。この辺の話は17世紀の哲学者デカルトが「私」を自立させたという話とつながります。

要するに欧米では男が人前で泣くのは「男らしくない」とか「弱みを見せるな」とかそういう風につながっていきます。女性もそうです。フランスでは早い段階からの自立を促すために赤ちゃんをひとり寝させる…という話も興味深かったです。

日本の昔話は母性を重視

一方、日本の昔話は母性が重視されるそうです。

源氏物語やとりかへばや物語(「君の名は」制作にあたって新海監督が参考にした)など、作中の男は和歌を読み、涙を流す。

昨日鑑賞したヴァイオレット・エヴァーガーデンにおいても、男性キャラもワンワン泣きます(そしてそれに自分も涙を流す笑)。

日本の古典文学における「かなし」は「哀しい」であると共に「愛し」も内包するそうで、日本人は悲しいから泣くのではなく、泣くことによって共感や一体感を感じてるのだと。

まあその一体感や和、空気を読むみたいな同調圧力が生き辛さを生んでるのもまた事実ですが…だから自分は22歳でNY行ったとき欧米との価値観の違いにぶっ飛ばされました。

宗教を知ることで、無意識的に僕らが持ち合わせる価値観や世の中の商売を成立させている根本的な仕組みを理解できたりします。