宗教意識のはじまりには隔絶した二つの極があらわれる(鈴木大拙)

死ぬほど怪しいタイトルから失礼します。

石川県に拠点を移してから禅を世界に広めた鈴木大拙の本ばかり読んでいます。

以来、これまで全く考えてこなかった「宗教」について考える日々です。

書評「宗教と霊性」そもそも宗教ってなんだろう?語源から考えてみる

鈴木大拙が語る”宗教とは何か”

「宗教」とは何か。鈴木大拙は書籍の中でこう語ります。

有限の無限に対する、無常の不変に対する、我の無我に対する、部分の全体に対する、生滅の不生不滅に対する、有為の無為に対する、個人的生命の宇宙的生命に対する関係を感得す。是これを宗教と謂ふ

うん全く何言ってるか分かんねぇ。

つまり相反するふたつが混じり合う世界…二元論の融解(一元化)、キリスト教的に言えば「神秘」や「超越」ということなのでしょうか。

宗教意識のはじまりには”隔絶した二つの極があらわれる”

そして「宗教的意識のはじまり」に関して、こう解説してます。

まず宗教的意識のはじまりには隔絶した二つの極があらわれる。有限と無限、個人的生命と宇宙的生命、等々。こうした二つの極が、二つではなく一つにむすばれ合ったときにはじめて真の宗教的意識が生まれる。二元論ではなく一元論。宗教的意識とは、すべての障壁が打ち砕かれ、森羅万象あらゆるものが「一」となったところにおのずから立ち現れるものなのだ

ふむふむ。やはりそういうことなのかなぁと。

僕はプロ無職として活動してきて、言葉は性質上矛盾を嫌うのに現実は矛盾でしか成り立たないという現実を痛感して、言葉を使わない表現の世界に入りました。それが2018年の話です。

そしてプロ無職4年目でようやく宗教ってものに興味を持ち始めたのですが、特に今は仏教、さらにその中でも「禅堀りてぇ」というマインドです。

てか「プロ」の「無職」という肩書き自体、相反する矛盾を抱えてるわ。

この辺の本めちゃくちゃ面白いです。

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