瞑想の習慣化を辞めた理由。良い瞑想とは「すでに入っている」

目的を持った瞬間、大意から逸れることってあると思います。

僕にとってそのひとつが「瞑想」でした。

2020年4月から瞑想を習慣化させようと思い、毎朝・夜1回ずつからはじめました。

はじめはタイマーで時間を測りながら、3分の瞑想からはじまって、5分、10分と徐々に瞑想時間が伸びていきました。

そしてカウントダウン方式で測っていたものが、自由に瞑想するようになり、そしたら30分とか平気で瞑想するようになりました。

瞑想自体はいいものです。でもそのとき「あ、これ時間測ってる時点でなんか違うわ」と悟りました。(自分で言うな)

良い瞑想とは目的ありきではなく「すでに入ってる」とき

完全に瞑想を辞めた訳ではないのですが、たまにやるときは時間を測ることはありません。

毎朝やるとか、習慣化することもないです。

好きな時に、自然にやってる。

自分が気づく前(意図する前)に、やってる。

つまり、常に自分をメタ認知していれば瞑想をする必要すらないと思うんです(常に瞑想状態と言えるから)

後から「俺いま入ってたな」と気づくことが度々あります。

日常生活の中に瞑想性を見出す

悟りの世界とは、時間すら超越するはずなのに、時間を測って瞑想することや瞑想を習慣化することを目的にしてる時点で、本来の意味を逸れるんですよね。

たぶん理想を言えば「悟りに入る」ではなく「すでに悟ってる」という状態。

だから、僕は瞑想の習慣化を辞めました。

それよりも、例えば部屋の掃除とか皿洗いとか、絵を描くとか仕事するとか何でもいいんですが、普段の日常生活の中に瞑想性を見出す方が大切だなと感じます。

些細な日常生活を大切にすれば、わざわざ瞑想をする必要がないなと。

そもそもマインドフルネス、瞑想、座禅、それらの意味の違いを理解することも大切です。

それにこれは、言葉で伝えて理解できるものでもなく、自分で気づかないと本当に意味がないので参考程度でお願いします。

最初は時間測ってやるのも全然いいし。むしろ、正解などありませんから。

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