周りの目を気にする臆病な人間だった。プロ無職るってぃのプロフィール

こんにちは。
当ブログと、Airbnbブログ『エアログ』を運営してます、プロ無職るってぃ(@rutty07z)です!

盛ってもない「ありのままの自分」をこの記事に晒し出してみたので是非読んでみてください。恥ずかしい。。

かなりボリュームあるので動画も用意しました。自信作なのでぜひご覧ください!

簡単な経歴

  • 名前:山口 塁(やまぐち るい)/るってぃ オス♂
  • 生年月日:1991年7月31日爆誕
  • 出身地:石川県金沢市(18歳まで金沢)
  • 出身大学:関西大学卒(23歳まで大阪)
  • 卒業後:大手アパレルメーカー就職→10ヶ月で退社(2016年2月)
  • 現在:東京でプロ無職(今ココ)
  • 趣味:くっだらない企画を永遠に考えること、旅、遊びのマネタイズ化

6年連続通信簿には「落ち着きがない」/るってぃの小学校時代

石川県の金沢市で伸び伸び育つ。雪えぐい。
通信簿に1~6年生まで絶対に書かれていたのは「落ち着きがない」。給食の時間とにかく話しまくるので、隣の静かで地味だったクラスに派遣されそうになるほど。

小学校時代は本当に学校が大好きで、土日が大嫌いでした。
友達にも恵まれ、良い思い出しかありません。

ちなみに小4くらいの道徳の時間にあった『自分の名前の由来を親に聞いてみよう』なるコーナーで、僕の塁(るい)っていう名前は母が付けたのですが、「なんで塁って名前なのー?」って聞いたら「ノリっ!!」って元気よく返ってきました。

おかげさまでノリで人生かいくぐってるような子になりました。

最近金沢に帰省して、最新版の「塁って名前の由来」を聞いてみると「当時ラモス瑠偉とか流行ってたから。今っぽかったから」って。

俺野球もやらなければサッカーもやらなかったよ!?!?

ちなみに小学1年生から「とりあえず体丈夫になっておけ」のスイミング、「少しは勉強しろよ」のくもん、「3つ上の姉がしていたから」で小5からバドミントンを始めました。

スターウォーズと出会ってしまったるってぃ中学校時代

市内でも大きな公立中学校に進学。当時149㎝だった身長も卒業時には172㎝へ。
小学校からの流れでバドミントン部に入部。しかし男子バドミントン部は当時「市内弱小」。入部当初、大会に出場しても午前中には帰ってこれる弱さでした。

対して女子バドミントン部は当時「市内最強」。特に僕の同世代が圧倒的強さを誇っており、悔しさと劣等感の塊でした。思春期。

中学2年の秋、部長に抜擢される。
女子には負けたくないという悔しさから練習メニューを一新し仲間と共に猛練習。

中3の夏大会では見事3位に入賞し、県大会へ。そのまま自分たちの代は引退になりましたが、その後男子バドミントン部は全国で常連になるほどの強豪校になりました。

そして中学時代で忘れてはいけない事件が2005年8月に起こります。

スターウォーズに出会う!!!

中2の夏休み、父に劇場に連れて行ってもらった「スターウォーズエピソード3/シスの復讐」に衝撃を受けてスターウォーズにどハマり。
擦り切れるほどDVDを鑑賞し、グッズを集め、一夏にしてスターウォーズ狂になりました。2005年の夏ほど暑かった夏はない。

結果2015年12月、コスプレをしてスターウォーズ最新作を本場ハリッウドで観るという夢を叶えました。

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マジでしょうもない夢だな

記事にもしてます。

合わせて読みたい

スターウォーズ最新作をコスプレしてハリウッドまで観に行ったのに怒られた話

 

この時からアメリカというか、海外に対して強い憧れを抱くようになり、「映画監督」になることが当時の夢(てゆか今でもワンチャンあると思ってる)で、中3の学祭の総合演劇で総監督をしました。

中学時代も友人に恵まれ、死ぬほど楽しかったです。

ブログとブレイクダンスに出会う、るってぃ高校時代

中学時代も友達に恵まれめちゃくちゃ楽しかったのですが、なんとなく少し環境を変えたくなって隣町の自称進学校に進学。
同じ中学の人がほとんどいなくなったため、とても新鮮でした。

しかしここで色々ともがき苦しむことになります。

遅めの中2病発症。

高校は真面目に部活などせず、帰宅部で「放課後に青春ごっこするのが美徳」と勘違いし、中学まで割と本気で続けていたバドミントンを辞めました。

バイトをしながら、高校の友達と遊ぶ日々。
「高校生と言えば文化祭!目立ちたい!モテたい!」という理由でギターを始めるも長続きすることもなくあえなく終了。

高1の終わり頃から高校生活がだんだん飽きてきて、楽しかった中学の友達と頻繁に遊ぶように。結果高校も行ったり休んだりを繰り返すように。

入学当初は特進クラスにいたのに、勉強もロクにすることもなくなり、成績はドベに転落。

本当に当時は「何か目立つことをしたい!新しいことをしたい!」と思いながらも全ての行動が中途半端で、そしてそんな自分が嫌になって、それが更なる悪循環を生んで。

と、かなり自暴自棄だったと思います。今思えば圧倒的黒歴史。

そんな痛い高校2年生だった自分に、2つの転機が訪れます。

人生で初めてブログを始める

僕が高校2年生だった2008年、世はガラケー時代。そうあの「プロフ」全盛期です。

めっちゃ懐かしくない!?!?プロフ!wwww
好きな子の「リアル」とか追跡しまくってたなーwwww

プロフとか知らねーよという若物世代はこれを見よ。

matome.naver.jp

僕も流行りに乗りプロフを作り、その中でブログを始めます。
当時みんなから「るい」としか呼ばれたことはなかったのですが、この時に初めて「るってぃ」と名乗りブログをスタートさせます。

高校生活の日常を書いていたのですが、当時からブログスタイルはほとんど今と変わってません。

このブログがウケた。非常にウケた。
金沢市内の高校生から多少知られるようになり、地元のアルプラザで歩いてる時に他校の女子から「るってぃさんですよね?ブログいつも見てます!」と言われた時は相当に勘違いした。

今でも地元に帰って友達と飲むと、話題として上がるほどです。

高校2年の秋から大学入学まで1年半続け、僕の今の「ブログ好き」のルーツは紛れもなくここから来てます。本当にこのブログのおかげで「見たこと、体験したこと全てネタになる」ということを覚え、一気に高校生活が楽しくなりました。

高2の冬、(また)モテたい一新でブレイクダンスを始める

当時擦り切れるほど見ていたDVD↑

昔から好きなテレビが「めちゃいけ」で岡村さんが大好きだったんですよ。
で、岡村さんってブレイクダンスができる芸人として有名じゃないですか。

3つ上の姉がすでにヒップホップダンスをしており、母親から「あんたもすれば」と言われてたのですが、バドミントンの時のように「姉がしていたからなんとなく自分も始める」みたいなのが嫌で無視していました。

しかし、あの番組で思春期の僕に衝撃が走ります。

「オカザイル」

あのめちゃいけの岡村ライブ乱入シリーズが大好きなのですが、このエグザイルの時は本当に凄かった。マジでカッコ良すぎた。擦る切れるほどビデオを見た。

エグザイルは正直どうでもよかったけど、とにかくあの「ウインドミル」がしたかった。ブレイクダンスではなく、ウインドミル。

こうやって回るやつ。

当時同じクラスにたまたまブレイクダンスをしてる奴がいて、朝早く学校行ってひたすら教えてもらってました。モテたい一心で。ありがとう山田くん。

そしてウインドミルができるようになり、そのままブレイクダンスにのめり込むことに。その流れで高校3年生の最後の文化祭へ。
全くモテはしなかったけど、「高校生活、文化祭で目立つ」という高1からの目標は当初予想もしなかった「ブレイクダンス」という形で叶うことになりました。

夏休みも終わり、9月。ブレイクダンスも一休みし、受験に突入。
「映画監督になる」という思いから立命館の映像学部志望でしたが、「学費が高い。無理」という理由であえなく却下。

「就職に強そう」というなんとなくの理由で、関西大学の商学部を受験。
ずっとE判定だったけど、半年間本気で勉強し(ブログもしつつ)、なんとか合格。

本当に嬉しかったです。18年住んだ金沢を離れ、実家を離れ大阪へ。

関西大学に入学!もちろんダンスサークルへ

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ダンスサークルの同期

 

関西のマンモス私立校、関西大学に入学。
全国各地から集まる人たちに、片田舎で育った自分にはカルチャーショックが大きかった。初めての1人暮らしに大都会大阪、本当に何もかもが新鮮でした。

言わずもがな、サークルは関西大学唯一のストリートダンスサークルへ。

しかし当時、大学の「サークル」といえば「活動は週1であとは飲みのウェイウェイ系」というイメージがあり、自分が入ったサークルもそんな感じだろうと舐めてました。「ゆるくチャラく、適当に彼女とか作って大学生活うぇいしよwwwうぇいwwww」とかマジで思ってました。

が、違いました。

なんと関西大学のダンスサークルは全国でもレベルが非常に高く、特に自分が専門としてるブレイクダンスの先輩たちは昨年全国大会で2位に輝くほど。

そこにあった光景は「週1の活動・週6のウェイwww」ではなく、週7の練習でした。

めちゃくちゃ上手くてかっこいい先輩たちに感化され、そしてそこでも素晴らしい同期に恵まれ、大学時代は完全にブレイクダンスに全てを捧げることになります。

本当に楽しすぎて、授業が終わった夕方から明かりが消える22時半まで練習、みんなでご飯を食べて駅に移動し、深夜1時から外が明るくなるまで練習をしてました。

もちろん寝る時間は授業中。単位もいっぱい落とさせて頂きました。卒業できて本当にヨカタ。

大学3年 全国大会へ向けてチームを結成し予選に出場するも…

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当時のチーム(2012)

 

大学3年時に、僕らの先輩が全国で2位となった『BUZZ STYLE』という学生No.1を決める大会に初めて出ることになりました。

『BUZZ STYLE』の仕組みはまず『東日本予選』と『西日本予選』があり、それぞれ優勝・準優勝だった2組ずつ、西と東の計4組が全国大会に出場できます。
全国の舞台は『Zepp Namba(当時はZepp Osaka)』、あのステージに立つことを目指して頑張ってきました。

大阪の大学なので僕らはまず西日本予選へ出場します。
遠くは沖縄から猛者が集まってきます。予選の2ヶ月前からチーム練を始め、上位2組に入れるよう頑張ってきました。

チームは8名で構成されてたのですが、当時の僕は他のメンバーの中でぶっちぎりに下手でダンスに個性もなく、相当チームの足を引っ張っていたと思います。

他のメンバーは本当に上手くて「絶対に足を引っ張らないようにしなきゃ」「ミスしないようにしなきゃ」とビクビクしながら踊っていたと思います。自分が原因でよく怒られていたし、当時の練習は精神的にきつかったです。「ダンスは楽しいからやるもの」なのに、「ダンスが部活」みたいになって楽しめてない自分がいました。

そして西日本予選当日。

僕らは準決勝で敗れました。

ベスト4、つまり上位2チームへ1歩届かなかったんです。
その時僕は「負けたのは絶対に自分のせいだ」と思い、自分のダンスが大っ嫌いになりました。

そして他のメンバーに合わせる顔がなくなりました。
西日本予選が終わった後、僕は練習場所に行けなくなってしまいました。

気持ちは「ダンスがしたい!」のだけれど体が動かない、完全に体が練習場所に行くことを拒否してたのです。

本当はダンスがしたいんだけど、みんなと会いたくない。一緒にダンスがしたくない。
あんなに毎日練習していたダンスを一切しなくなりました。

そして僕とは正反対に、どんどん関西のダンスシーンで頭角を現していく同期たち。当時は本当に見ていて辛かったです。

初めて「ダンスなんて始めなければよかった」とさえ思いました。

大学4年。逃げるように単身ニューヨークへ留学

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大学3年の12月、同期たちは就職活動を始めていましたが、僕はどうしても海外に留学したいと親にお願いしていました。場所はアメリカのニューヨーク。

留学先にニューヨークを選択した理由は「どうせ留学するなら世界1の都市でしょ」とか、本当にそんな理由でした。

同時期に姉の結婚と出産が被り、山口家の家計は大パニックでしたが、なんとか無事に手続きを済ませ、2013年8月、僕は就活と当時のダンス仲間たちから逃げるかのようにニューヨークへ留学しました。

22歳、この時が初海外でした。
単身で海外(しかも初)へ渡る不安よりも、当時は一刻も早く日本を出たかったという気持ちでいっぱいでした。

ニューヨークの熱いダンスシーンに気持ちが再燃

英語は全く話せない、知り合いもいない。
とにかく日本から逃げたくて、何も考えずがむしゃらにやって来たニューヨーク。

さすが「人種のるつぼ」と呼ばれる世界都市。人種も肌の色も文化も、何もかもが違う人々が集結した街でした。

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人の目を気にせず大声で笑う人々、敬語のない英語という言葉、自分のスキルでお金を稼ぐ子供達。

初海外にそんな所を選んだもんだから、カルチャーショックは相当大きかったです。
何より地下鉄の電車の中や、駅でブレイクダンスでチップを稼ぐ集団に頻繁に遭遇。

ニューヨークに来て次第に、自分の体が「ダンスがしたい!踊りたい!!」と言っているのが分かりました。その瞬間、駅のダンサー達に話しかけました。

「どこで練習してるの!?練習場所教えて!」

当時英語も話せなかったから地下鉄のマップを渡して、練習場所のある駅に丸をつけてもらいました。
次の日、教えてもらった練習場所に行ってみると、たくさんのBBOYがいました。

そして僕は数ヶ月ぶりにニューヨークという街でブレイクダンスを再開させました。

周りの目を気にしない、自分に自信を持って全力で踊ることの大切さ

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外国人って本当に周りの目を気にせず、自分に自信を持っていて、思ったことは意見として口に出します。

「周りの目を見て、自分の意見を押し殺す」間違ったことは言えない風潮のある日本と大違い。

正直言ってダンスの細かい技術的な所は日本人の方が上でだと思います。しかし、お世辞にも上手いと言えないような人でも「自分が1番だ」かのような自信ある踊りをするし、相手をdisるし、相手の目を見てバトルする。

そんな彼らを見て、日本で周りの目を気にしながら踊っていた自分がアホらしくなってきました。
それ以来自分の中で大きな何かが吹っ切れました。

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完全にニューヨークのダンスカルチャーに魅了され、気づいたらダンスを始めた時のように「楽しすぎて」毎日練習場所に現れるようになりました。


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各都市を巡る旅、初めてダンスで結果を残した日。

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マイアミからさらに4時間かけて進んだセブンマイルブリッジ

 

「平日は語学学校、週末はダンスバトル」というように、日本ではあんなに自信がなくて苦手だったダンスバトルに出まくってました。

そしてフロリダの世界大会や、フィラデルフィア、バルチモア、ボストンなど他の都市のバトルにも遠征するようになりました。

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そして日本に帰国直前、人生で初めてソロのバトルで準優勝までいきました。

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嬉しすぎてホテルで1人で嬉し泣きしました。

帰る前に、ニューヨークの現地のダンス仲間たちから「俺たちのチームに入らないか」と誘われ、加入。かけがえのない仲間が世界にもできました。

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「Titanz」というチーム。今でも超仲良しのかけがいのない仲間

この留学で学んだことは2つ。

もう日本人みたいに周りの目を気にして、空気を読んで生きるのは辞めよう。
自分に自信を持って堂々と生きてやる、ということ。

そして「自分が思いっきり楽しむこと」を追求すれば結果は後で必ず付いてくるということ。

留学中は、一度嫌いになったダンスが、本当に楽しくて楽しくてしょうがないレベルに達してしまい、後から自分の求めていた結果が全部付いてきました。

言葉も通じない知り合いもいない。そんな環境に飛び込んだけど、ダンスに助けられ、僕の7ヶ月のニューヨーク留学は終わりました。けど僕の人生はここから始まりました

「海外行って人生変わった」とか、リア充が言うありきたりな言葉だけど、僕はひっくり返るほど変わりました。

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このときはなぜか本当に「怖いものなし」状態だったな〜

本当にあの時、無理して留学させてくれた両親には頭が上がりません。今せっせと親に借金返してます。

日本に帰国後、取り巻く環境が一変した

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ミラクルが起こったのは帰国後でした。周りから「本当に変わった」「上手くなった」と言われました。

正直たったの7ヶ月しかいなかったので、技術的な向上はそんなだと思いますが、メンタル的な変化が大きかったのだと思います。

入学当時から憧れだった先輩たちからもバトルに誘ってもらえるようになり、日本でのダンス環境は留学前と一変しました。

そして2014年10月、あのBUZZ STYLEに2年越しに同じチームで出場することになりました(去年が僕も含めた多くのメンバーが留学でいなかったため不参加)。

そして大幅にパワーアップした僕らは敵なしでした。

西日本予選優勝

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全国の切符を手にしました。

卒業前にもう1度ニューヨークのみんなに会いたくなり、アメリカへ。

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ここでも結果は残し、さらに自信をつけていく。

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そして全国優勝、ブレイクダンス日本一という夢を叶える

2015年3月に開催されたBUZZ STYLE  FINAL

東日本予選を勝ち抜いた2組と、僕達を含めた西の2組が『ブレイクダンス大学生No.1』を争います。

大学1年から憧れ続けた夢のZeppの舞台。

一体何度、夜寝る前にこの舞台に立つことを想像しただろう。

死ぬほど緊張したけど、あの時のチームの一体感は無敵でした。

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そして

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僕たちは優勝しました。日本一です。

歴代の先輩たちもなし得なかった全国制覇を達成したんだ!!

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何をするにも長続きしない中途半端な自分が、初めて自分の意思で始めたダンスで仲間にも恵まれ、結果を出せたんです。

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この経験は後のフリーランス独立にも大きな影響を及ぼします。

ちなみに人前で泣くことが大嫌いで、小中高の卒業式でも一切泣かなかったのに、上京前夜に一緒にダンスをしてきた仲間と居酒屋で爆泣きしました。3年生の時に初めて挑戦した大会の時から、色々と思い出して泣きました。本当に自分でも信じられないくらい泣きました。声を出して泣いてました。良い思い出です。

そして大学を卒業し、上京します。

大手アパレルメーカーに就職、東京へ上京!

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留学後、一応終わらせておいた就職活動。
元々長く働く気がなく、3年以内に個人で稼ぐ力をつけて辞めようと心に決めて就職しました。東京本社配属ということでこのタイミングで東京に来ます。

2015年4月、少しの期待を持って入社した会社。やっぱりそこにあったのはよく聞く話でした。

  • 週末を楽しみに生きてる先輩社員達
  • 終電ギリギリの残業に上がらない給料
  • 喫煙所では上司の愚痴
  • 社内、飲み会での無駄なしきたり
  • 情報感度の遅さ

よく「会社の先輩社員が未来の自分」なんて言いますが、お世辞にも尊敬できる人はいませんでした。

そしてふと、「もしあと1年で死ぬとしたらこの人生後悔しかないな」と思い、行動することにしました。

当初の「3年以内に独立」という目標を「1年以内に独立」に切り替え、大手というブランドをフルに生かしつつ、自分を追い込みながら行動し始めました。

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1年後死ぬとしたらどうしますか?2パックが行動を起こすキッカケになった

 

衝撃のサービス『Airbnb』との出会い〜エアログ開設へ〜

学生時代のバイト先だったゲストハウスのお客さんから教えてもらったAirbnb(エアビーアンドビー)。2015年5月に東京で始め、僕はこのサービスに大きな衝撃を受けます。

元々「ゲストハウスを作りたい」という夢もあったためか、会社員をしながらどっぷりとこのサービスに浸かることになります。

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合わせて読みたい

Airbnbとは?ホテルより民泊を使う4つのメリット | エアログ

 

そして当時まだそんなに認知度もなかったAirbnbが、『この先必ず日本で一大ムーヴメントを起こす…!』と確信し、さらなる収益化とAirbnbを利用した自身のブランディングのため、Airbnbブログ『エアログ』をスタート。

実に高校生以来となる6年ぶりのブログでした。

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運営を楽しみつつも、「どうやったら競合と差別化できるか」「収益が上がるか」「仕事を受注できるか」、独立という目標に向け日々戦略を考えながら記事執筆・発信を続けていました。

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Airbnbゲストとの写真。本当に楽しかったな〜

 

その結果、ブログ開始2ヶ月でAirbnb運営用の一軒家を家賃0円で契約。

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Airbnbブログ開始2ヶ月で1軒家を提供して頂きました

正直この瞬間、「イケる!」と確信し、もっと『自分の好きを追求したい!』と思い、退職する旨を上司に報告。

  • お前、社会ナメとるんか?
  • 将来のこと長期的に考えてるの?
  • とりあえず3年は続けなよ

と上司や周りの友人に散々言われまし、バカにされましたが、自分を信じました。

当時24歳、リスクを取るなら今だし、好きでも楽しくもないことに自分は全力を出せないし、そして1度きりの人生自分の好きな事を全力でやってみたい。

何より、ニューヨーク留学で学んだ「周りの目を気にしない、自分に自信を持って堂々と生きる」「楽しさを追求すれば結果はついて来る」ということを知っていたから。

わずか10ヶ月で会社を退社、フリーランスとして独立!

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2016年2月、新卒で入社した大手アパレルメーカーを10ヶ月で退職。

会社を辞めて感じたのは、今まで会社で繋がりのあった仲の良かったクライアントさんや社員さんとパッタリ連絡が途絶えたこと。

『ああ、やっぱりあの会社の山口塁でしかなかったんだな…』と。

『一個人としての”山口塁”を売り出していかないとこの先絶対にダメだ…!』と強く感じました。

そんな悔しさをバネにフリーに転身後も、ブログでAirbnbを通して学んだことや情報を発信していたら、運営7ヶ月目で本当にゲストハウス経営という夢が叶いました。

30歳までに叶えたかった夢だったのに、ブログのおかげですぐに叶った。
今大阪でエアログハウス – Comic Inn – というゲストハウスを運営してます。

独立9ヶ月目で代々木の潰れかけのパン屋さんをAirbnbで助けることになりました。

このパン屋さんに住みながら再生させるために奮闘していたら、『世界の素晴らしいAirbnbホスト6選』に選ばれ、世界中でこの話が紹介されました。

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ロサンゼルスのAirbnbのレセプションに招待されました!

 

そしてAirbnbの創業者ジョー・ゲビアが来店しました。
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エアログ開設当初の、『Airbnbの創業者に”僕に会いたい”と思わせて会う』という夢が叶いました。

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Airbnbで再生させたパン屋にエアビーの創業者が来店した時、僕の夢は叶った

 

本気で世界で戦える人間になりたいと思った

独立してすぐに、Airbnb創業者のジョーに会う夢が叶って少し天狗になりました。
しかし憧れてるだけじゃダメだ、対等な立場で仕事できるくらいの人間にならないと!と感じるほど、悔しいことがありました。。

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Airbnb創業者と会うだけじゃダメだ。悔しい。もっと成長したい

 

「そうだよ、どうせ生きていくなら世界で戦える男になるのが目標だ!!!」

この件より、以前から興味のあったシリコンバレーに、より一層関心を持つようになりました。

サンフランシスコの若者の間で当たり前となってきてる「モノと会社に捉われず自由に生きる」ライフスタイル。

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-家や車は買わない、必要な時にシェアリングサービスで賄い、余計なローンは抱えず、会社に捉われず、パソコン1台で好きな場所で自由に生きる-

日本では10年後も理解されているか分からないライフスタイルの先端を行く、サンフランシスコのシーンをこの目で見てみたかった。

だから自分で渡米・取材資金をクラウドファンディングし、3週間アメリカで勉強させて頂きました。

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合わせて読みたい

【現地取材】日本とシリコンバレーの7つの思考と働き方の差

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そして今は、「日本と世界の違い」にとても興味があります。同じ人間なのに、国が違うだけでどうしてこうも考え方が異なるのか。

なぜ日本は「働き方」や「生き方」に悩んでる人が多いの?それは教育の違いなのか、文化がそうさせたのか。

僕はこのブログと自分のライフスタイルを通して、もっと「こうゆう生き方もあるんだよ?」「楽に行こうぜ?」っていうのをたくさんの人に伝えたいです。

今は教育面で真髄に関わりたいと思ってます。

愛知の高校で授業したときの様子

そのためにも学んだことはしっかり全国でシェアし、もっともっと世界で勉強して…を来年から繰り返していこうと思います。
そうやって自分も世界で戦える人間になれたら、そして日本人がもっと楽しく働けて、豊かなライフスタイルを実現できたら、きっともっと面白くなりますよね!!!

国内外、合わせて30講演させていただきました。次はヨーロッパ、そしてアジア、アフリカ、南米…..

世界中の国をステージとして飛び回り、そこで得た情報を生き方に悩む同世代に発信し続けたいと思います。

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そんなるってぃを今後ともお願いします!!!

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「今後の目標は?」「将来どうなってたいの?」と良く質問で聞かれます。

僕の答えとしては「わかりません」としか言えません。

これだけテクノロジーが発達してる自体に、将来を先読みするなんて不可能だし意味のないことだと思う。それより毎日を全力で生きる。僕は明日死んでも後悔ありません。いつもそう思ってます。

“自分の生活だけでなく、人の夢をバンバン応援できるほどのお金を稼ぎ、世界中を旅しながら仕事をし、関わった地域と人を幸せにする。世の中をもっとおもしろくデザインしていく”

今の自分のモットーはこれです。3年後までに実現できてると思います!!!

そんな感じで、今後ともるってぃをよろしくお願いします!!!

ぜひ、るってぃのプロフィール記事を読んだ感想をLINE@から送ってください

 

ここまでクソ長いプロフィール記事を読んでくれてありがとうございました。

「おもしろかった!」、「感動した」、「なげーよこら!」など感想ございましたら、下記のバナーからLINE@を登録していただき、ぜひメッセージ送ってください。必ず返信します。

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8 件のコメント

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