100年後、200年後も最強な「コミュニケーション能力」について

先日「老害にならないためには?」という話をしながら友人と飲んでました。

老害、なんて呼ばれたくないしなりたくないですよね。若い子からもリスペクトされてずっと一緒に飲める、そんなオッサンになりたいと願います。

ではどうしたらそうなれるのか、まずは自分の過去の話なんてしないこと笑

するとしても面白く話せること、つまりコミュニケーション能力という結論しかなかったです。

友人と話してたコミュニケーションの方程式これじゃね?という形が

コミュ力=面白い体験(インプット)×伝える力(アウトプット)×他者への想像力

例えば、僕は91年生まれなのでバブルの時の日本を知りません。

当時の日本は狂ってたそうでで、おそらく相当な面白い体験をみんなが仕入れてたはずです。

しかし「あの時の日本はな〜」とか、クソつまんなく話した途端響きません。愛想笑いしながら「はよ帰りて〜」と思ってしまってるやつです。

つまり、体験を面白く伝える力(アウトプットする力)がない人は老害と化すんじゃね…?と(あ〜恐ろし)

逆に過去の体験を

・おもしろおかしく
・わかりやすく
・勉強になるように

いずれかの項目を満たすように話すことができれば、それは若い世代に響くのではないでしょうか。

つまり老害どころかリスペクト。さんまさんとかはこの究極だからこそ、幅広い世代から愛されてるんだろうなぁと思います。芸人さんのアウトプット力すごいですよね。

面白く過去の体験を話せば、それは次の世代にもずっと語り継がれて、やがて蓄積されて歴史になると。すごく壮大な話ですが、コミュニケーション能力やストーリーテリングが上手い人たちが歴史を形作ってきたとも言えるのではないでしょうか。

加えて、その場の空気感や目の前にいる相手の気持ちを考えて話す想像力も大切です。一方的に長々話すオッサンきついですもんね。

事実をねじまげず、様々な視点から物事を見て、目の前にいる人にあわせておもしろおかしく話す。やれプログラミングできれば食いっぱぐれないとか色々言われてますが、もはやコミュニケーション能力こそ最強のスキルであり、人間が存在する限りそれは普遍的に揺るがないのではないか、と思うこの頃です。

この前、面白い話を聞きました。

僕はいま絵画に熱中してるわけですが、アートとはなにか?ということは長らく議論されており、誰も決定打を出せずにいたそうです。しかし千住博さんは現代という時代がその答えを浮かび上がらせてきたと。千住さんはアートとは「人と人とのコミュニケーション」だと結論づけました。

アートは言葉が生まれるはるか昔から存在するわけですが、その役割が重要視されたのは18世紀の産業革命以降のこと。機械化により人間のコミュニケーションはどんどん希薄になり、こんなことをしたらどうなるかという想像力も欠如し、結果として犯罪や事故も増えました。かつては当たり前に存在していた創造的で豊かなコミュニケーションが失われた時に、そのバランス感覚を取り戻す手段として芸術の役割を浮かび上がらせたそうです。

人間というのは「人の間(あいだ)」と書くでしょう、その文字のごとく、人と人の間で互いにコミュニケーションすることで人間は人間らしく生きられる。実はそれこそが、芸術の意味だと僕は考えています。芸術的発想がなければ人間は、人間らしく生きていけないということです。昔、岡本太郎が「あなたの職業は何ですか」と聞かれて「人間だ」と答えていますが、芸術とはイコール人間そのものなのです。

出典:「混沌」を示すことが、現代を生きる芸術家の使命でもある【第1回】「芸術とは何か」についての考察

ただ壁にスペースがあったから装飾品として絵を飾るだけでは確実に衰退していたでしょう。

一見無意味に見えるように見えるアートの本質と役割は、人間が生きていく上で最も重要なコミュニケーションにあると。つまり表面的なもので埋めれられない心の溝を埋めるもの、満たすもの。

だから人間が存在する限りなくなりませんし、むしろインターネットによるコミュニケーションの多様化・希薄化、これから訪れるVR(仮想現実)時代において、より求められるものになるでしょう。

もっと世界を移動して面白い体験を仕入れるし、それをおもしろおかしく伝える話術も鍛えますし、コミュニケーションを最大化させるような作品作ります。「コミュ力 is 最強」です。

仕事だけしてれば、ネットだけで完結

絶対それだけでは満たされないものが出てくるはず。コミュ力があれば食っていけるとかそんな話ではなく、長い人生、向き合うべき何かだと思うのでーす。