みんなSNSやブログを消しだした

いかにGoogleに載せないか」という記事を書いた翌日、友人のひろきさんがブログを消した。ひろきさんもPV・収益共に高かったのに、全消し。こういう流れ(考え方)すごく分かる。

万人に役に立つ情報を発信してもプラットフォームが正当に評価してくれない(Googleのアルゴリズムがブラックボックスすぎる上に不安要素多すぎる)から、クローズドに閉じて自分を信用してくれる濃いファンに届ける。

というか「人の役に立つ」という路線で商売してたらいずれ限界を迎えます。役にたたない時点でみじめになるってことだし、結局ずっと「1番役に立つ」という世界線で戦わなければいけないから消耗戦です。

言葉だけで生活する危険性

そもそも僕の結論としては「言葉だけで商売しててもヤベーぞ」です。

前も書いたように、言葉にしてる時点で情報の解像度・新鮮度・信用度は落ちます。仏教でも「不立文字」や「以心伝心」なんて言われてますよね。

これからは文字を超えた言語、つまりそれは音楽や絵画や身体表現といった、ノンバーバルなコミュニケーションも磨かないといけないんじゃないかなと。

だからか、最近よくビジネスシーンで「美意識・センス・教養磨け」とか聞きますよね。

世の中のコンテンツが「分かりやすさ」ばかり追い求め、脳の外側しか使わずとも見れちゃうコンテンツが溢れています。

そうした情報ばかり見てると、深く考える力が失われる。

だからね、俺もそうでしたけど「ブログ消す」って言った時たくさんの人から「残念です」「あの記事よく読んでるから残してください」とか言われたんだけど、違うんよ!!!

文字の時点で盲信しちゃダメだし、本当に大切なことなら心に記憶されてんだよ…!って。大切じゃなかったから忘れて繰り替えし読んじゃうんでしょ。と。

ミュージシャンのライブでスマホのカメラ回してる奴らよ…記録するから忘れるんだから…。

ブログやSNSは資産にならない(むしろ負債)

情報の民主化で、僕らみたいな3〜4年前から発信していた人たちは一旦閉じていきます。そしてまたオープンに発信したりと…何度もこれを繰り返していくと思ってます。

ここ最近強く感じるのは、ブログやYouTubeでは個人の体験をストック(資産化)できないということ。

時代の流れがはやすぎて視聴者の興味の対象や、何に対して美しいと感じるかの美意識が変化するので、せいぜい賞味期限は3年くらい。賞味期限3年のものを「資産」とは当たり前だけど呼べないですよね。

なんなら、その資産が未来の自分の行動を制限する「負債」となりうる可能性も。

ただ馬車馬のごとく視聴者が求めるコンテンツを提供しつづける消耗戦に挑むのではなく、積み上げたコンテンツを何かしらの文脈や歴史と相対化し、別の価値に転換できる人は強いと思います。

コンテンツ化するプラットフォームを見極める

SNS全盛のこの時代「人生のコンテンツ化」という考えが流行りましたが「コンテンツ化するプラットフォームや対象を見極めた方がいい」というのが今の考えです。

自分はコンテンツ化する場所を「美術」に変えてみたのですが、美術史は何千年と深いから未来もなくなってはいないでしょう(その分接続も難しいですが)

何が正解とか分かりませんが、とにかく自分の信じる道を進むしかないですね。時代の流れを読んで、今生きることを表現したいと思う。

以上!今日も頑張りましょう!!!

〜続く〜

じゃあこれからの情報発信はどうしたらいいんだよ!?に対する3つの応答