なぜか僕なんかに、学生の進路や、独立を考える人から相談のメールが届きます。
その中でも特に「親の存在」によって路頭に迷う…という人が、とても多いように感じます。
「本当はAに行きたいけれど、親の気持ち的にはBに行って欲しいようで…」
「今まで大切に育ててくれた親に悪いと思って、夢を諦めて試験を受けようと思ってます」
試行錯誤の結果の選択であれば、それでいいんでしょうが、言葉の裏に後悔の念が見受けられるような。
常々思うのですが、過度な期待が人を殺すと思うんです。
家入さんのこのツイート良かったなぁ。
僕の、全ての他者に対する態度は「信じるが、期待せず」です。期待するということは相手にとっても、そして自分にとっても呪縛となる。期待するから、自分の望む結果にならない時に絶望してしまう。信じるとは、その結果がどうなろうと全てを引き受ける、一方的な行為だと思っています。
— 家入一真 (@hbkr) 2018年8月21日
勝手に期待され、そして勝手に絶望される側も辛いよね笑。親子にしろ会社組織にしろ友人関係にしろ恋愛にしろ、「期待」という名の呪縛をかけてしまいがち。期待という名のもとに見返りを求めるのではなく、ただ一方的に信じる、その結果は全て信じる側が背負う、ということのみ真実だと思っています。
— 家入一真 (@hbkr) 2018年8月21日
仏教みがある。
他人に期待するというエゴ
期待に応えるために本来やりたかったことを諦める人たちや、プレッシャーに潰される人たち。
仕事を依頼するとき、一切の期待をしないよう心がけてます。
お金を払っても、想像を超えてくるものが納品されると思わないようにする。
なんならその人が急に飛んだとしても、平常運転で仕事ができるようにする。
「最悪を想定し、最善を尽くす」を心がける。
こう言うと冷たく感じるかもしれませんが、「他人に期待をしない」というのは相当難しい。やっぱり心のどこかで、良い仕事して欲しいなぁとか願っている自分がいます。
これって言葉をかける側に問題があるのかも。エゴを消すのムズすぎる。
もちろん可能性を広げるための最善のサポートや応援はしますよ。
接し方と言葉の使い方ひとつで、その人の人生の選択肢を生かすのも殺すのも自分次第と自戒の念を込めて…!