宮沢賢治の「春と修羅」それを机に置いたマキ・ゴロー博士(シン・ゴジラ)

今更ながら2016年の大ヒット映画「シン・ゴジラ」を鑑賞しました。期待通りおもしろかったです。

映画の感想を外れ、特に気になったシーンを紹介。

冒頭から驚いたのが、ゴジラを作ったマキ・ゴロー博士が船の中から消えたシーン。机の上に宮沢賢治の「春と修羅」が置かれていました。

これだけで、マキ・ゴロー博士がどんな人物で、どのような心境を抱えていたのかある程度予想できるのは、表現としてオシャレですよね。

「おれはひとりの修羅なのだ」が意味するもの

「春と修羅」は賢治が生前に出版した唯一の詩集です。本人は嫌がって「心象スケッチ」と称しましたが、内情は自費出版で、1000部刷ったけど100部も売れなかったそうな。

農民芸術概論」(俺めっちゃ好きこれ)も全く受け入れられず、今の賢治の偉大なる功績は、死後残された原稿の出版に努めた弟の清六や、哲学者谷川徹三(詩人谷川俊太郎さんの父)による発見が大きいそうです。よく宮沢賢治が「日本のゴッホ」と称されるのはそういうところでしょうか。

そんな賢治が心象スケッチの中で「おれはひとりの修羅なのだ」と綴りました。

最大の理解者であった妹トシも亡くなり、自分が信じるもの(信仰)を貫いて生きると決めた意志を、端的に表した一言でしょう。

シンゴジラの映画の中で、放射能で最愛の妻を失くし、日本政府に失望し、自らゴジラの実験体になることを決めたマキ・ゴロー博士の心境とピタリと当てはまります。

宮沢賢治って本当に不思議な人なんですよね。なぜ宮城の花巻というあんなローカルから、宇宙まで意識が飛び出しちゃったんでしょうか。研究していきたい人物ですな。