最近ハマってる銭湯行く途中にブックオフがあって、面白い本ないかな〜と思ってふらっと立ち寄ったら、なぜかヒカルの碁(俺のバイブル。好きな漫画五本の指に入る)の19巻を手に取ってて、気づいたら立ち読みでボロボロ泣いてました。
昨日ふと立ち寄ったブックオフでふと手にとったヒカルの碁18巻でボロボロ泣いてた大人、僕です
— Rui Yamaguchi/プロ無職るってぃ (@rutty07z) May 2, 2021
間違えました。19巻です。いや泣くとこ無くねー!?じゃない。好きすぎて、ふとしたところで想いが溢れて泣ける。「最強の初段だ…」とかで泣ける
— Rui Yamaguchi/プロ無職るってぃ (@rutty07z) May 2, 2021
で、昨日完全酔っ払った勢いで全巻電子書籍で買ったわけですが、美術はじめてから読むヒカルの碁はまた違う面白さがありました。
特にヒカルが最終話で高永夏(コヨンハ)に碁を打つ理由を尋ねられ「遠い過去と、遠い未来を繋ぐため」と言ったセリフは、あまりこれまでピンと来なかったのが美術はじめて腑に落ちました。
美術は過去からの積み重ね。壁画以降、先人たちが積み上げてきた技術と知恵の結晶の上で、何を否定してどんな新しいことを提示して、ルールを更新できるか。
美術の教科書に出てきた奴らのレールの中で相互的作用的に影響を受けながら表現する。
美術史と接続すること、それは人類が美とは何かに挑んだ歴史の一員になろうとすること。
「芸術は自由にやれ!感性だ!自己表現だ!」みたいなの、ちょっと疲れてきてて。
だって自由の不自由は、美術やる前にとっくに味わったもん。
そんなもの、ただ自分に酔ったオナニーで、美術じゃないのかもしれない。
なんてことを酔っ払いながら思いました。
ヒカルの碁に関しては朝まで語れるのでお誘いお待ちしております…!!!