鈴木大拙や南方熊楠を調べてる時に安藤礼司さんを知って、そこから安藤さんが所属する多摩美術大学の芸術人類学研究所の存在を知り、いまその所長を務める鶴岡さんの本を読んでるのですがめちゃくちゃ面白い…俺が学びたいのはこれや…!これなんや…!
芸術人類学講義 (ちくま新書 1481) [ 鶴岡 真弓 ]
芸術人類学とは
芸術人類学とは、「芸術を人類学的に考察する」のではなく、「私たちが芸術と呼ぶものの中に人類学的な要素はないか見つめ直してみる」ということ。
ただ、芸術学と人類学には大きなギャップがあると鶴岡さんは語ります。
それは当然で、美術史は14世紀のルネサンス以降(=神への没入的信仰から人間が主役として復興した)確立されたものであり、人類学と大きなギャップがあります。超簡単に言えば、ルネサンス以降の学問、科学、芸術の中に依然として残る「人の痕跡」を浮かび上がらせるということ。
それはかつて、岡本太郎が縄文土器の中に古代人の表現を発見したように。
人間の最終手段「祈り」を浮かび上がらせる
ただ「古代の諸相を近代以降の枠組みで容易に捉え直すことは危険なことでもある」と鶴岡さんは語ります。だから私たちにできるのは、芸術によってごく当たり前の自律した枠組みを疑い、力を得られずいた人類の視点から捉え直すこと。
つまりそれは「祈り」だと言うのです。
大昔もどれだけ科学技術が発達した今も、人間は大自然の前ではただの薄い皮膚一枚に覆われた生き物であり、10年前の大震災、いまのコロナ、せいぜい最後にできることは「祈ること」だけです。
そして、芸術の中に隠された「祈り」を浮かび上がらせる試みこそ、芸術人類学だと。
その意味で、芸術人類学は人類学や民俗学、社会学とは違う全く新しいジャンルだそうです(発展系でも下位交換でもない)
面白すぎる…こちらも絶対に読まなければ。