映画評「ラストエンペラー」坂本龍一が新しい音楽を作る理由

今月何本映画観たか分からないけど、ぶっちぎりで「ラストエンペラー」が良かったです。さすがアカデミー賞9部門受賞。

史実をベースに巨匠ベルナルド・ベルトルッチによるフィクションの力をうまく混ぜ込んだ力作。「コオロギ」を使った表現は映画ならではだと思います。そしてラストの、あんなに壮大な人生を送った溥儀の人生をたった三行で説明してしまう観光ガイドのシーン…見事でした。

面白すぎて、満州事変から日中戦争、その後の辛亥革命、というかそもそも「日本の軍部はどうして力を付けていったんだっけ?」という疑問から二・二六事件について調べてたら1日終わってました。

さらにはあの素晴らしい曲を生み出した坂本龍一について調べていたら今日も1日終わってました。

この動画は「永久保存」リストに入れた。死ぬまでに生で聴かないと後悔しそうだな…。

退屈だから新しい音楽を作る

坂本龍一先生のことディグっててたまたま拝見したこちらの記事が共感の嵐でした。

食い下がって「自分の作品で、人の心を動かしたいとは思いませんか」と聞く。

「それは……病気だよ。すごく恥ずかしいこと。誰かを動かしたいだなんて。音楽で世界は救えないし、癒やしもしない」

力む私に「……退屈だから新しい音楽を作るんだよ」と、ふわりと答えを差し出す。

出典:坂本龍一は”ボツ”も愉しむ

誰かを救いたい、誰かの心を動かしたい。それは表現者として傲慢な考えなのかもしれません。上から目線的な。

あなたの怒りや過去の記憶はあなたのものであって、誰のものでもない。正直、泣かせてやろうみたいな映画で泣いてしまうと、悔しい気持ちにもなる。くっそ!やられた!みたいな。

退屈だからやる。モテたいからやる。自分のためにやる。泣かそうとか助けようとかじゃない。そういうものを超えた何かに挑むため。

なんて坂本龍一はそんなことを言いながらも、やっぱり「誰かに届けたい・心を動かしたい」と思って作ってしまうのが表現者なんじゃないのでしょうか。ずっとその狭間で悩みながら、それでも作り続けるのだと思います。