本物の芸術家や経営者は、詐欺師と紙一重である

「人はみな詐欺師になりうる」

社会に出てからよく思うことです。

過去の特出した経歴や実績を組み合わせ、言葉巧みに自分や商品をプレゼンする。「優秀な人」という評価は技術ではなく、印象で決まります。それは人間が逆らうことができない脳のバグです。お金、会社、フォロワー数…この世界は虚像で満ちていて、そんな世界を正しく直観できる人などほとんどいないでしょう。

僕は考えたり人と話すのが好きで、ネットで有名になれたり、色んなチャンスを頂けてるのも全部この「印象を操作する能力」が少しだけ高いからだと自負してます。

そして、そんな自分が嫌になることもあります。実態のないからっぽの人みたいだからだ。

正直周りにこういう能力に長けた人がいてそれ自体は才能のひとつなので素晴らしいとも思うけど、疲れることも多い。同時に、本物の芸術家や経営者は詐欺師と紙一重だと思っています。

人形浄瑠璃や歌舞伎作者の近松門左衛門は「芸術は、虚構と事実との微妙な間にあるとするもの」という意味で虚実皮膜という言葉を残しました。その微妙な間に「美」みたいなものがあるのでしょうか。

正確な記憶を持つものは誰もいない

昨夜の金曜ロードショーで放送された「スタンド・バイ・ミー」は表向きはノスタルジーを喚起させる青春映画ですが、裏テーマは「正確な記憶を持つものは誰もいない」というアンチテーゼと、「だからフィクションは美しい」というテーゼを織り交ぜています。岡田斗司夫さんの解説動画がとても分かりやすいです。

スタンド・バイ・ミーは作家になった主人公の少年時代の回想録だが、その中には一部フィクション、悪く言えば「嘘」、良く言えば「話が盛られている」。

脳はどんな記憶も美化したり、逆にトラウマとして誇大化して引きずる性質を持っている。それは他の動物にはないことで、人類が進化の過程で得た「生きるために必要な要素」なのだと思います。

よく成功者の自らの言葉で人生をまとめた本などがあるが、あれを読んでも同じように成功できない理由は話が美化されているからでしょう。それは悪意ではなく、過去は脳の働きによって歪められた過去でしかありません。

そういう本やすごいっぽい人の話は「参考程度」に留めるべきで、特に、芸術の類の人たちは常にストーリーを考えているので、妄想と現実の境目が分からなくる傾向にあると岡田さんは言います(思い当たる節大いにアリ)

時間の持つ力

劇中の少年4人は、大喧嘩したとか特に大きな理由もなく、中学に進学すると自然と疎遠になっていきます。

親友だったクリスですら、最後は10年以上会わずに死んでしまいました。つまり、人を引き裂くものの本質は「時間」であり、時間の経過と共に歪められるのが記憶です。

僕らは自分の意思で生きているようで、脳の奴隷でしかないのでしょう。

だからこそ(逆説的ではありますが)フィクションは美しいのです。フィクションのない世界など窮屈でしかありません。この世界を生きていく上で必要なものだと、改めて感じます。

それにしてもリバー・フェニックスが美しかった…。23歳という若さでこの世を去ったが、彼がもし生きていたらどうなっていたのだろうか。他の3人組の今のキャリアと比較しながら、そんな妄想にふけます。