偶然見かけた400年前の絵に一目惚れして岡山の大原美術館に繋がった話

ある日友人と大崎駅で待ち合わせをしていたときのこと。

友人から「10分遅れる」という連絡が入ったため時間を潰すために駅の中にある本屋に入りました。

目に入ったのは、世界の名画を紹介した雑誌。表紙の絵があまりにもカッコよくて衝撃を受けました。その絵はエル・グレコの「受胎告知」という絵でした。

ジャケ買いしました。

雑誌を読むと、この受胎告知が倉敷の「大原美術館」に飾られてることを知りました。やべぇ。なんで日本の岡山にあるの

俄然気になってました。大原美術館とやら、初めて聞いたけどめっちゃ行ってみたい。

大原美術館理事長を紹介してもらうことに

それから3ヶ月後。

岡山に行くことになったことをD×Pの今井さんを取材した時に話をしてたら、なんと今井さんが大原美術館の理事長をしてる大原あかねさんと繋がってて、「るってぃ絶対会った方がいい」ということで紹介してもらうことに。

何この展開。やっぱり何でも口に出すもんだ…!

恥ずかしながら全くの無知だったため、YouTubeに上がってる動画などを拝見させてもらいましたが、大原家がどれだけすごい家柄か知ることになる。

倉敷紡績、クラレ、銀行、孤児院、労働研究所など、倉敷に留まらず近代日本の発展の礎を築いたすんげぇ家柄だった。

会ってきました。

大原家10代目、大原美術理事長の大原あかねさんです。

早速中を拝見しましたが、生で観る受胎告知(超感激)、ジャクソン・ポロックにモネやマティスなど、どれも最高でした。美観地区の美しい景観と溶け込み、雰囲気も含めて素晴らしい。

が、僕はなにより、大原美術館創設に至るストーリーに特に感動しました。

大原家7代目、大原孫三郎(あかねさんの曾じいちゃん)が、ある画家との友情日本の未来のために作られた美術館だったのです…!

日本人が西洋美術を観る機会はほとんどなかった

その画家の名前は児島虎次郎。

7代目大原孫三郎から奨学金を得てヨーロッパに美術留学し、向こうの大学も首席で合格するなど才能に恵まれた画家でした。

当時の日本人画家で本場ヨーロッパに留学できるって、それだけで優秀ですからね。

現地で西洋美術を目の当たりにした虎次郎は「日本の美術の発展のために」と、当時日本人がほとんど目にすることができなかった西洋絵画を買って日本に持ち帰りたいと孫三郎に懇願しました。

テレビもインターネットもない当時、西洋美術を観るためには誰かが模写したものか、拙い印刷技術で刷られた質の低いものを観るしかなかったのです。

大原家は虎次郎に西洋美術の買い付けを任せる

孫三郎は一度返答を見送ったものの買い付けを許可。

購入にあたって孫三郎からは一切指示を出さず、虎次郎の知恵と目によって購入する作品が選ばれました。(本当に作品に価値があるか相当資料を読み込んだ形跡も残っている)

虎次郎は当時すでに巨匠と呼ばれていたモネやマティスの元に直接買い付けに行きました。

大原家からの経済的支援により西洋美術を20点ほど買い付け、東京で展覧会を開催したところこれが大きな反響を起こしました。

その後再び虎次郎は買い付けのためにヨーロッパに渡り、その時、偶然市場に出ていたエル・グレコの「受胎告知」に出会います。

これまで孫三郎の確認を取らずに購入していた虎次郎でしたが、法外な値段で売り出されていた受胎告知に関しては3度も本当に購入していいか確認したそうです。(このエピソードめっちゃ可愛い)

虎次郎の急死と大原美術館開設

こうして、受胎告知をはじめ西欧の絵画が「日本の美術の発展のために」という想いによって日本に持ち込まれました。

しかし虎次郎は47歳という若さでこの世を去ることになります。過労死でした。

虎次郎の死を悲しんだ孫三郎は、当時倉敷紡績の業績が苦しかったにも関わらず、早急に美術館を作ることにしました。

虎次郎の死の翌年、1930年に大原美術館はオープン。もちろん展示作品は、虎次郎がヨーロッパで買い付けてきた作品です。

こうして大原美術館は日本で初めて西洋絵画を取り揃えた美術館として今日まで90年もの歴史を保ち続けたのです。

ちなみに虎次郎の作品も展示されているのですが、素晴らしい技術と和服を着た西洋人をモデルにした絵はモネを彷彿とさせて、めちゃくちゃに良いです…!

市営でも国営でも企業運営でもない唯一無二の美術館

企業の社長がコレクションした作品を展示する美術館はよくりありますが、大原美術館は少し違っていて、児島虎次郎という1人の画家が日本の未来のために、それを経済的に支援した大原家によって作られました。

だから大原は「市営でも国営でも企業運営でもない」世界でも珍しい美術館となりました。だから、基本的に入館料とサポーターからの支援で成り立ってるそうです。

それによって美術館が自由を保ってるからこそ、柔軟なプロジェクトや地域とのコラボを進めることができるうです。美術館内で婚活パーティーとかやってますからね(しかも3組結婚したらしい笑)

まるで、上場も投資家からの出資も受けずにやってる企業のようだし、個人がクラウドファンディングやファンクラブを立ち上げて自由に創作活動をできる今の時代のあり方を美術館が体現していてカッコいい。

美術館は「存在すること」に意味がある

取材の中で特に印象に残ったエピソードがこちら。

戦時中、どの美術館も閉館を余儀なくされる中で、大原美術館も表上は閉館していたけれど訪問にきた人はコッソリ迎え入れていたという。

若き特攻隊の人たちが、故郷で最後に過ごす場所として大原に来ていたそうです。しかも、敵国の絵に囲まれて…。

倉敷 戦禍しのいだ美術館守る 大原美術館理事長 大原あかねさん(語る ひと・まち・産業)

あかねさんは、美術館は「存在すること」に大きな意味があり「アートは明日生きる力を与えてくれる」と語ってくれました。

倉敷の観光客は年間380万人、対して大原美術館の入館者は30万人。10分の1にも満たないことが今の課題だとおっしゃってました。

「逆に僕らにできることってありますかね?」と聞いたら「倉敷でとことん遊んでください」と言ってくれました。

ぜひ倉敷の大原美術館へ!!!

という、倉敷でめちゃくちゃインスパイアを受けた話でした。

大崎駅の本屋でたまたま目にした雑誌の表紙から受胎告知を知り、大原美術館を知り、友人が知り合いだったから館長のあかねさんを繋げてもらい、そこから大原家や虎次郎のストーリーを知るなんて。

400年前にエル・グレコが描いたたった1枚の絵が、時を超えて大原と虎次郎のストーリーを作り、そして僕と大原美術館を繋げてくれたと考えたらロマンチック過ぎないか(単純)

芸術は時空を超越するから面白い。自分もそんな人の縁と未来を作る作品を作らねばと背筋伸びます。

そしてここで繋がった縁がまた、きっと近い将来何かに繋がることを確信してます。

みなさん、ぜひ倉敷に行ったら大原美術館へ。感動した人は、一緒に面白いこと何かできないか考えましょう。

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