先日岡山に行った時に友人のとみやすさんと1年ぶりに再会した。
とみやすさんとの付き合いは僕がAirbnbをやってた時(つまりフリーランス独立初期)からで、当時とみやすさんが地域起こし協力隊として住んでた北海道の夕張に遊びに行きました。
かつては炭鉱で栄えていたのに財政破綻した町ということで、初めて行った時の衝撃を今でも覚えてます。




でも、数日夕張に滞在してその印象は大きく変わりました。
こんなこと言うとあれだが、ゴーストタウンになりつつある夕張は逆に面白いのだと。
一度落ちた分、伸び代しかない。例えばとみやすさんのドローンでそんな夕張を空撮したり(自然がめちゃくちゃ綺麗)、廃校の小学校に泊まったりカヌーしたり、札幌でもできないことだらけで、これまで世界含めて色々旅したけど夕張は強く記憶に残る場所でした。




そして気づいたらとみやすさんは夕張から岡山の上山という町に移住して、棚田の再生をやってました。笑
僕からすると「棚田とは!?」という感じで、でも1年前に岡山行った時に「棚田×ドローン」の映像とか見せてもらったけど、先日久しぶりに会った時に「棚田もアートかも」みたいな話が出た時に腑に落ちました。


僕も全く知らなかったのですが、棚田って平地に比べれば農業としての生産効率は鬼ほど悪いらしく、わざわざ棚田でやる意味がないらしい。マジかよ。
じゃああの棚田ってなんのためにあるんだろうって考えたら、景観が美しい棚田という文化を後世に継承することだったり、それを抜きにしても、棚田に関わる個人のプレイヤー(ここで言えばとみやすさん)の思想や哲学を棚田を通じて発信することでしょう。
そういう意味では、僕がいまやってる表現活動と方法違うだけで根本は同じだなと感じました。
アーティストが絵を描くことが問題提議なのは分かりやすいと思います。岡山にきて僕は3年ほど棚田で田んぼをやってますが、これもアートの要素が強いかもしれないと思いました。棚田も1つですが文化や歴史に携わる人たちはアーティストに近いんじゃないでしょうか?棚田であればそこの暮らしを通じて
「何でもお金で解決できる世の中だけど、自分たちで暮らしを作る生き方もありじゃない?」
「会社勤めの暮らしもありだけど、田舎で複業的な生き方をするのもありじゃない?」
例えばこんな問題提議を今の社会に問いかけることができます。文化や歴史はそれ自体が分かりやすく何かの問題を解決してくれるわけではないので、その文化歴史を通じてどんなことを伝えるかが大事なのかと思います
とみやすさんのブログ「絵を描くことと棚田で田んぼをやることの共通点」より
「棚田は生産効率悪い」というのは驚きましたが、でもだからといって合理的生産性ばかり追い求めて棚田をなくそう、というのはなんだか人間味がないですよね…。
昨年までの自分だったら理解できなかったかもだけど、「役に立つことも大事だけど、役に立たないけど意味があることをやる」という文脈で考えると、非常に納得できます。僕もブログにそんな感じのこと書いてる。
と考えると、元々とみやすさんは夕張の時からそういう場所で活動することに意味を見出してたんじゃないかな〜と勝手に考えてます。
きっととみやすさんのことなので、また僕の予想の上を行く「なんでそんなことやってんの!?」みたいなことをやるんだろうな。笑
役に立つことをやるの大事。生産性を追い求めるのも大事。
でも、役に立たないし効率悪いし、でも自分にとって意味のあることをやるのもとっても大事じゃんね。という話でした。