僕なりの本物の自由の定義と、そこに辿り着くために必要なこと

今日も今日とて、自由について考えてます。プロ無職るってぃです。

#プロ無職ってなに?

さて。前回は歴史から見た自由の危険性と大切さ、自由になる方法について書きました。自由を一色単に良しと扱い、そうなることを推奨する今の社会に危険を感じてます。本当の自由を得るには孤独や責任に耐えられる「精神力」と、問いをたて続ける「教養」が必要なのです。

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今回は「じゃあ自由ってどういう状態なの?」という、”自由の定義”を僕なりの解釈を踏まえてアウトプットしたいと思います。

結論から言えば、「今の自分の地位とか環境とか関係なく、自分が自由と思えば自由」という、いま辛くて自由になりたい人からするとガッカリ極まりない回答になります。笑

英語のフリーダム(Freedom)やリバティ(Liberty)には本来自由の儀はないことは前回の記事で説明しましたが、漢語本来の、つまり明治開国前の日本で使われてた自由はどういう意味だったのでしょう?それは「自らに由(よ)る」です。

束縛や抑圧からの解放の自由ではなく、精神的に自分の心によっていくこと。簡単に言うと、「自分の心に100%忠実に生きる」とか「好きなことで生きていく」ですね。これが本来、日本で使われていた”自由”なのです。

人間は誰しも生まれた瞬間は自由だったのに

誰しも子供のころって自由だったと思うんですよね。物心着く前の0〜3歳くらい。あのころって、周りの評価とか気にせず将来なりたいものに「ウルトラマン!」とかアホみたいな大きさの声で言ってたわけじゃないですか。

それなのに、歳を重ねるにつれて、次第に自分の夢を押し殺してなりたくないものを目指してしまったりする。それは自らによってるとは言えませんよね。

ユダヤ教でも「赤ちゃんはすべての答えを持っている」と言われてますが、お釈迦さんが修行して悟りの境地を目指したのも、ピカソが晩年に「やっと子供のような絵を描けた」と言ったのも、みなあの時の心への原点回帰を目指してるんですよね。

「原点回帰」

いまよく言われてる「好きなことで生きていく」は西洋の方の自由なんですよね。インターネットとか使って得意や好きを仕事にして、場所や煩わしい人間関係にとらわれず生きていこうね!みたいな。でも、書いたようにその幸福は長くは続きません。

哲学者ウォーコップは生きることを「生きる挙動」と「死を回避する挙動」に分けましたが、いま多くの人がやってる好きなことで生きていくは死を回避するためにやってるんですよね。生活するためにYouTuberなるから、それは心の底から好きなことで生きてるわけではないのです。

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だから自分の心の声を理解し、それにしたがって生きてる人(=自らに由ってる人)は、場所や時間に縛られてようが自由なんです。

多くの現代人はこのことを見落としてるなぁと。だから、どんなに現状が理想と違かろうと、今日この瞬間から自由になろうと思えばなれるのです。物理的な自由ではなく、心の中の、精神的な自由を追い求めたほうがいいに決まってます。

不自由なルールや制限すら楽しめるかが自由になる鍵

「自分の心に100%忠実に生きる」と言っても、赤信号で横断してはいけません。赤信号では止まらなければいけないルールがありますから。

住まなければいけない家、そこに住むために払わなければいけないお金、そのお金を稼ぐためにしなきゃいけない仕事、その仕事をするために通わなければいけない場所、養わなければいけない家族…

僕らはたくさんの不自由なルールの中で生きてます。この言葉すら、先人が作ってきたルールです。こう書くと、もう不自由だらけですね。笑

だけどそのルールを無視して生きることが本当の自由だとは思いません。むしろ、その不自由の中で自分はどう楽しむか?与えられた手札をうまく活用して最大限輝ける人こそ、自由だと思います。

つまり、今ある環境や仕事も「自分次第で面白くもできる」ということです。やっぱり物理ではなく、心が重要になってきますね。

“あるがまま”生きれるように

僕は大真面目に「プロ無職ってやばいな」と思ってるんですけど、プロ無職とはつまり自由になるための概念だと思ってるんですよね。無職は無色ですよ。つまり、自我の消滅。お釈迦様が目指し、言語化した世界です。

上は僕が作った自らの心に由る、あるがままの世界(Suchness、悟りの境地、フロー、ゾーンとも言う)に行くための簡略図です。

まず外側の7大要素(お金、ノマド、発信力、ミニマリズム、コミュニケーション能力、外注化、健康)をクリアし、次は西洋的な自由に入ってそれを悟り攻略し、そしてようやく中心の東洋的な自由にいけると。さらに言うと、ぼくはさらにその先もあると思ってます(まだ探求中です)

お釈迦さまとか2400年も前からそんなことを考えてたわけですけど、僕プロ無職るってぃは現代版の自由の境地を探求できれば、と思ってます。そのために今日も今日とて勉強の日々です。

「あなたは今日も、心の声にしたがって生きてますか?」

この問いに確証を持ってハイと答えられる人が、自由に近いと思います。