「好きなことで生きていく」の本当の意味

2014年にYouTubeのCMで「好きなことで生きていく」という言葉が広まり、今の時代の生き方・働き方を象徴するタグラインになりました。

この言葉の広がりと共に、インターネットを駆使して好きなことを仕事にする人たちが増えてきました。

自分もその1人で、プロ無職を名乗り、好きな所で好きなことをして、感じたことを発信するライフワークを行ってましたが、4年経ってその生き方に違和感を抱きはじめました。

ブログやYouTubeで情報発信していると、フォロワーさんの反応やいいね!の数を意識することを避けて通れません。

本当は自分が感動したことをストレートに発信すればいいのに、その先にある反応が気になって、結局ユーザーが求める情報とコンテンツを作り、フォロワーを集め、どこかのタイミングでマネタイズする…。

はじめのころは無我夢中でブログ書いていたのに、見てくれる人が増えていくと「もっとバズらせなきゃ」「人の役に立つように分かりやすく発信しなきゃ」という呪縛にかかる…あるあるですね。

つまり「好きなことで生きていく」は、完全に他者ありきで成立しています。

SNSで「好きなことを生きていく」を実現しようとすると衝突するジレンマ

監視の目を服従させることが「好きなことで生きる」なのか

自分の中に、自分を監視する他者の視線を内在化してしまう、これを「自発的服従」とミシェル・フーコーは呼びました。

昔の刑務所には囚人を服従させるために、囚人側からは見えないが監視員からは常に監視できる建物ありました。

すると、囚人たちは監視されてないのに、自分の行動をコントロールして生活しはじめます。

「他人にかっこよく見られたい」「沢山のいいね!が欲しい」「だからウケることを発信しよう」

それは本当の意味での「好きなことで生きていく」なのでしょうか。

「人に自分の存在を認めてもらう前提で行動すること」がすでに他者に依存しており、他者の監視の目を自らに服従させていることになります。

SNSで世界中の人と24時間繋がることができたのに、孤独を感じることが増えたのは、あらゆる情報が数字や言語で可視化してしまったからではないでしょうか。

FIREブームに思うこと…多くの人は憧れの「自由」に殺される

私たちはがそうした数字に囚われず、欲望を自制して生活できるようになるのでしょうか。

そのヒントは仏教、とりわけから見出せるかもしれません。

「自己を習うこと、それは自己を忘れるということ」

鎌倉時代初期の禅僧であり、曹洞宗の開祖・道元は「仏道を習うということは、自己を習うこと」だと述べました。

自己を習うとは自己を忘れるということ。そうすると、万法が明らかになる。一度自分に戻り、そして自分を忘れる、これが禅のやり方だ

最初この文章を見たとき全く意味が理解できませんでした。なぜ自分を知ることが、自分を忘れることに繋がるんだ?と。

しかし、ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルが「無我と無私」の中で分かりやすい例を説いてくれました。

例えば弓を習う時、弓を射る人は的に当てたくなってしまうのが普通です。それに対して師範は「待て」と言います。

修行を続けていくと、ある時によい「射」ができる。すると師範がお辞儀をして「今しがた、それが射ました」と言うのです。

あなたではなく、”それ”が射たと。

つまり「自分が的を射たい」「自分をすごいと思いたい」「自分が何かを身につけたい」という意識が外れた時、自分が矢を離すのではなく、矢が離れると。

弓道には「離れ」という言葉があり、自然に離れることでそれができた、ということだそうです。

(オイゲン・ヘリゲルの「弓と禅」も非常に有名な本なのでぜひ…!)

行雲流水のような生き方こそ、本当の「好きなことで生きていく」

よくスポーツの世界では「ゾーン」、心理学の世界では「フロー」という言葉が使われます。

このゾーンやフローに入ってる状態は何事にも失着せず、リラックスして集中している(没頭している)状態を指します。

この精神を仏教では”行雲流水”とも呼びます。

行雲流水(こううんりゅうすい)

空をゆく雲と川を流れる水のように、執着することなく物に応じ、事に従って行動すること。

自己を習い、自己を忘れることで、まるで行く雲、流れる水のように自然で、執着しない状態こそ「好きなことで生きていく」のニュアンスとして近いような気がしてます。

他人の評価や視線が気にならないくらい没頭して、自然に自分の中から湧き出る言葉や生き様がいいな。

そんな自分がいま新たな表現の武器として見出したのがポエトリーリーディングです。

ポエトリーの解釈や歴史を調べる中で、今まで触れてこなかった情報が集まり、仏教や禅にも興味を抱き始めました。

これからは本当の意味での「好きなことで生きていく」を目指そうと思ってます。楽しみにしててください。