最近、今までの視点を変えて色々な書物からインプットをしているのですが、たまたま出会った雑誌から、「好きなことで生きていく」の本当の意味を理解できた気がしたので、アウトプットしたいと思います。

いまの「好きなことで生きていく」は他者依存で成り立っている

 

2014年にYouTubeのCMで「好きなことで生きていく」という言葉が広まり、今の時代の生き方・働き方を象徴するタグラインになりました。

この言葉の広がりと共に、インターネットを駆使して好きなことを仕事にする若者、とりわけブロガーやYouTuber、インフルエンサーといった生き方をする人たちも増えていきました。

僕もプロ無職として、好きな所で、好きなことをして、感じたことを発信することを生業にしていますが、どうも「好きなことで生きていく」という言葉に違和感を感じ始めたんですよね。

なぜなら、発信活動をはじめて3年経って、苦しい状況に自分が陥ったからです。

世界中を旅しながら得た情報を発信していくことは、紛れもなく好きですし、これからも続けていきたいことです。

ただ発信活動を続けていく中で、フォロワーさんの反応やいいねの数を気にはじめていた自分がいたんです。

 

本当は自分が感動したことをストレートに発信すればいいのに、その先にある反応が気になって、結局ユーザーが求める情報とコンテンツを作り、フォロワーを集め、どこかのタイミングで集金する…。

はじめのころは、あんなに無我夢中で楽しく情報発信していたのに、見てくれる人が増えていくと「もっとバズらせなきゃ」「多くの人に届くように分かりやすく発信しなきゃ」という呪縛にかかっていた…という訳です。

つまり、僕が実践していた「好きなことで生きていく」は、完全に他者依存ありきで成り立っていたのです。

「フォロワーは自分に向いている銃口の数である」自分を服従させて、何が好きなことで生きていくかなのか?

自分の中に、自分を監視する他者の視線を内在化してしまう、これを「自発的服従」とミシェル・フーコーは呼びました。

昔の刑務所には囚人を服従させるために、囚人側からは見えないがこっちからは監視できるような建物があったと言います。結果として、囚人は監視されてないのに自分の行動をコントロールして生活するのです。

つまり、いま現在語られている「好きなことで生きていく」の多くは、フォロワーの視線によって自分を服従させることで成り立っているのです。

YouTuberやブロガーだってフォロワーを増やしていくために面白い企画を連発しなければいけませんし、アーティストだって食っていくためには買ってもらえるような絵や音楽を作っていかなければいけません。

借金玉さんのこの言葉は本質だと思います。

 

「他人にかっこよく見られたい、沢山のいいねが欲しい、だからウケることを発信しよう、コンテンツを作ろう」

それは本当の意味での「好きなことで生きていく」なのか?答えはもちろん、NOです。

あらゆる面倒は失着や欲望によるものですが、人に認められたいという名誉欲や、存在認知欲求で行動してると、自分で自分に満足することができなくなります。

「好きなことで生きていく=人に自分の存在を認めてもらおうという前提で行動すること」が、すでに他者に依存してる弱さということですから。

SNSで人の評価を数値化できてしまったこの時代、孤独や違和感を感じる人が増えてしまったのでしょう。

「自己を習うこと、それは自己を忘れるということ」

鎌倉時代初期の禅僧であり、曹洞宗の開祖、道元は「仏道を習うということは、自己を習うこと」だと述べました。

「自己を習うとは自己を忘れるということ。そうすると、万法が明らかになる。一度自分に戻り、そして自分を忘れる、これが禅のやり方だ」と。

正直最初この文章を見たとき、意味が分かりませんでした。なんで自分を知ることが、自分を忘れることに繋がるんだ?と。

しかし、ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルが「無我と無私」の中で分かりやすい例を説いてくれました。

 

例えば弓を習う時、弓を射る人はどうしても的に当てたくなってしまうが、師範は待てと言います。

修行を続けていくと、ある時によい「射」ができる。すると師範がお辞儀をして「今しがた、それが射ました」と言うのです。

あなたではなく、”それ”が射たと。

つまり、自分が的を射たい、自分をすごいと思いたい、自分が何かを身につけたいという意識が外れた時、自分が矢を離すのではなく、矢が離れると。

弓道には「離れ」という言葉があり、自然に離れることでそれができた、ということだそうです。

行雲流水のような生き方こそが、本当の「好きなことで生きていく」なのだ

よくスポーツの世界では「ゾーン」という言葉が使われます。プロ野球選手が「球が止まって見えた」と言うアレです。

この「ゾーンに入る」状態は何事にも失着せず、リラックスして集中している(没頭している)状態を指します。この精神を”行雲流水”とも言います。

行雲流水(こううんりゅうすい)

空をゆく雲と川を流れる水のように、執着することなく物に応じ、事に従って行動すること。

 

僕は、自己を習い、自己を忘れることで、まるで行く雲、流れる水のように自然で、失着しない状態が「好きなことで生きていく」だと結論づけました。

没頭して他人の評価や視線が気にならないくらい、自然に自分の中から湧き出る言葉やコンテンツ、生き様。

それが本当の意味での好きなことで生きていく、なんだと。

僕は暗闇のトンネルの中で、新たな表現の武器を手に入れました。「ポエトリーリーディング」です。

そしていま自分なりのポエトリーの解釈や言葉の成り立ちや意味を調べる中で、今まで見向きもしなかった視点でインプットを試してます。その結果として、いま紹介した出典や、ここまでのアウトプットに辿り着きました。

だから、いま没頭してるポエトリーの世界に感謝すると共に、これからは本当の意味での「好きなことで生きていく」を目指そうと思ってます。

楽しみにしててください。

 

この記事をかいた人

るってぃ

ただの無職が遊びを仕事にしてたらスポンサーがついて”プロ無職”へ。「多様な働き方と理想のライフスタイルの提供」をテーマに情報発信してます!YouTubeでの活動や、「スマホ1台旅」「100人取材プロジェクト」など様々なプロジェクトを手がけてます。
詳しいプロフィールはこちら
1対1の会話はLINE@から