昨年秋から「歩行」や「移動」について考えることが多いワイです。
最近こもって作業ばかりしていたので全然歩けずにいました。1日最低1万歩を日課としてる俺としてはありえない事態です。
昨日ひとつ山場を超えたので、何の目的もなく歩いてみることにしました。
代々木八幡から原宿、渋谷、池尻大橋、そして三軒茶屋まで…途中展示を見たり、閉店したと思ってたカフェが営業再開してて嬉しくなったり、銭湯入ったり。
歩いても歩いても疲れるどころか、身体が完全に喜んでおりました。
「もっと!もっと!」みたいな感じで足が全然止まらない。お前もずっと歩きたがってたんやなぁ!なんて気持ち悪いこと考えながらグングン歩く。
昨日はとても寒かったので、結局14000歩でフィニッシュ。
久しぶりにフラフラ歩いて感じたのが歩くって非常に贅沢な行為だなと。
忙しい日々を過ごす私たち現代人ですが、あらゆる移動手段の中で、遅くゆっくり進むことを選択するには、大前提時間のゆとりが必要です。
交通機関一切使わず徒歩だけで旅する人いますが、長期で休み取れないとできない事ですし。
ウォークスの中で「歩くことは何もしないことだ」という言葉が出てきますが、常に手を動かすことを求められる社会において「何もしないをする」ほど難しいものはなく、また、歩行はそうした社会に抵抗する手段でもあると。
巡礼やお遍路とかね。1年前に書いたこの記事思い出しました。
今日も今日とて、自分の身体を振り子のように使って連続した世界を生きようと思います。はい、完全にウォークスに出てきた文言パクってカッコつけました。
ちなみに歩数は「Xiaomi Smart Band」で記録。2021年のベストバイです。
ウォークス 歩くことの精神史 /左右社/レベッカ・ソルニット