SNSを主軸に活動していたもののインターネットの在り方や評価が全て数値化されることに違和感を抱き
「感情や意識をコントロールする術を身につけないとな」と思い、それから仏教や禅、瞑想に興味を持ちはじめました。
人から愛情や承認を受け取ると脳内ではドーパミンが分泌されるので一瞬は満たされるが、長持ちせずすぐに終わる。つまりそれを目的に人間関係構築したり行動するのは自転車操業と変わらない。
満たされるほど寂しいという矛盾
さみしさは“人とのつながり”では満たされない https://t.co/HmrihgBVBU
— Rui Yamaguchi/プロ無職るってぃ (@rutty07z) April 15, 2019
それで、山口揚平さんのFacebookにめちゃくちゃ面白い投稿があって、それを自分なりに咀嚼してるところなんですが紹介します。
モノ経済からピア経済(誰の隣にいるか・どこに環境を置くか)へ
(前回の投稿も含め)要約すると「2040年までに日本経済パラダイムシフトするからそれまでに自分の生き方のコンセプトとスタイルを確立しようね」ということなんですが。
この投稿で僕が気になったのが「意識の周波がぴったり合う所にしばらく滞在しよう。人は空間で出会うのではなく、意識の波長がシンクロした時に自然に出会うものだから。もはや空間にはなんの意味もない(やがて時間もそうなる)」です。
90年代からのインターネットの発展、そして今回のコロナによる強制的外出自粛、働き方・生き方のバーチャル空間の移動がはじまりました。
でも、オンラインで伝えられるのは所詮コンテンツ(内容)とコンテクスト(文脈)だけ。
あくまで間接業務が主役になるだけであって(それに気づいてないのがヤバい)インスピレーションや熱量といったものはリアルでしか伝染は不可能と説いてます。
だからこれからはモノ経済からピア経済=誰の隣にいるか・どこに環境を置くかといった、人は「関係性」にしかお金を払わなくなる。
つまり、オフラインで会わずともZOOMで十分な人、本当に一緒に居たい人の価値が明らかになると。
発言だけでなく、におい、触感のような五感だけでもない、その人が発する空気、気の調和、エネルギーなど人間が言語化は出来なくても知覚ができるあらゆるものが価値化され値付けされそして流通するようになると山口さんは解説します。
(コロナによってより一層)ミニマム化・バーチャル化が進むからこそ、汗をかいて自分の足で現地に生き、感覚を磨く・掴むことが大切なのです。
作る技術(昭和)→空間を越える技術(平成)→時間を越える技術(令和)
ここから一旦話は変わって、平成から令和への最大のシフトは論点が「空間(距離)」から「時間」へとシフトしたことだと論じます。
そしてコロナで世界から完全に距離が消え、これからは時間が論点になると。つまり産業創生もテロも、価値観変化も世界同時多発的に展開されるのだと述べます。整理すると
昭和は2次元、つまり「コンストラクション(作る技術)の時代」でした。業績を伸ばしたのは、例えば建設業やメーカーです。
平成は3次元、「オペレーション(空間を超える技術)の時代」。台頭したのはインターネットやLCC。自宅にいながら世界と繋がることができ、また安い値段で世界を移動することが可能になりました。
そして令和は4次元「 シンクロニシティ(時間を超える技術)の時代」。例えば BGCやブロックチェーン、5Gで時差なく世界中のあらゆる動きがリアルタイムで完結します。
今回のコロナのように、価値変動は小さな国やコミュニティ単位ではなく、世界同時多発的に勃発していくと。
コロナ時代のキーワードは「意識」と「全一性」
そして令和の次の時代は、5次元「全一性を生きる人(すべでが繋がってることを前提に生きる人)の時代」。つまり、
平成は空間が克服された(コロナがトドメで距離がゼロになった)
↓
令和は時間が克服されていく
↓
その次は光(文系的には意識)が焦点になる
「全一性を生きる人」ってすごく仏教・禅的じゃないですか。まさに多即一、一即多。私はあなた、あなたは私。
この解説を聞いて「自分の感情や意識をコントロールする術を身につける」意味や必要性を理解しました。
ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきが、アメリカでハリケーンを引き起こす「バタフライ・エフェクト」という言葉が有名ですが、空間・時間が克服され、元々繋がっていた世界が同時多発的に繋がり、ひとつひとつの動きが世界に何かしらの影響を与える前提で行動する意識が重要になってくるのです。
それくらい広く高く、奥行きのある意識を持つ・コントロールできると、楽しいと思います。そう言えばこの辺の話、熊本のサイハテで聞いた「エネルギー保存の法則」と一緒です。
そして山口さんの言った「発言だけでなく、におい、触感のような五感だけでもなく、その人が発する空気、気の調和、エネルギーなど人間が言語化は出来なくても知覚ができるあらゆるものが価値化され値付けされそして流通するようになる」の意味も理解。
言葉に頼らず直観で世界と対峙する禅とやっぱり共通する。所有や支配から解体され、無執着で世界と繋がれってことと自分は解釈しました。
「何もしない」をする
「アカデミズムでの発見→それを使った産業→産業に必要な人材の教育→法律、福祉などのシステム化」
これらはそれぞれ50年のギャップがあると言われてます。
例えば1968年に「超弦理論」が発表され、50年経ったいま空前のヨガ、リトリート、臨済産業がブームとなってます。
となるとさらに50年先、今言ってきた怪しい話がデザイン工学やウェルビーイングとして法律やシステムの中に溶け込んでいくのかもしれません。
私たちがやるのは意識を鍛える(投資する)こと。意識のキャパを広げるために、あえて何もしないをやる。
しかし実際何もしないをやってみると、それがとても難しいことだと気づきます。
例えばSNSを見てると「このまま何もしなくていいのか」という焦燥感に駆られたり…。周りと比べてしまうこと、それが現代の病です。
「今日何も生産できなかった」と自己肯定感を下げる必要はなく、むしろ「意識のキャパを広げる投資をした」と思えばいいと、山口さんは語ります。
不必要な人や情報と距離を置き、断捨離することで両手に空きを作る。
さらに意識の筋トレをすることで、両手のキャパも広げる。
超簡単に言うとこんな感じ。怪しい〜!笑
今日も今日とて、「感性」と呼ばれるものを磨くのです。