大好きだけど大嫌いに本質がある

これは勝手な僕の所感なんですが「大好きだけ」ってのは浅い気がします。

一度「大嫌い」を味わってからの大好きの方が深度は深いだろうし、「大好きだけ」だと盲信から、失うことへの執着が生まれる。また、好きゆえに少しでも否定や反対意見が出ると反発感情も生まれます。

だから好きなことは、嫌いになるほど本気でやれば「もうむっちゃ好き」の域に辿り着けるし、人間関係だってそう。本当の友達って、好きな部分だけじゃなくて嫌いな部分を受け入れた上で本人に言えるもん。

好きなコトに捕まってしまった表現者がカッコいい

以前もブログに書いたけど、世の中には好きなコトの方に自分が捕まってしまってる人がいます。

僕はハンターハンターが大好きなのですが、作者の冨樫も捕まってしまった人。

本当は綺麗な絵を描き込みたいけど週刊連載ゆえに描けないことと、周りの作家と比べて自暴自棄になりずっと漫画に翻弄されています。だけど悟らず、売れているのに先生にもならず、ずっと中二病でい続けているから人気なのだと。表現者はハングリーでなければいけません。

「大好きなのに大嫌い」だからこそ、常にその好きなことを疑い続けることができるし、それゆえ新たなチャレンジができたり、本質を見抜けると思う。

あなたが「好き」と言ってるものやことは、同時に嫌いでもありますか。

幻冬舎の見城さんとサイバーエージェント藤田さんの共著で「憂鬱じゃなければ、仕事じゃない」という本がありましたが、その意味もなんとなく分かる。