哲学の道に進んでしまう人の特徴。書評「哲学者にならない方法」

ジモコロのインタビュー記事を読んで、哲学者の土屋賢二さん面白いな〜と思って「哲学者にならない方法」という本を読んでみました。

「哲学でビッグになろうとしてる若者に喝を申す」というテーマ自体がユニークなのですが、哲学の「て」の字も知らずに東大に入学した土屋さんが、なぜ哲学を研究する道に入ったのか(入ってしまったのか)を紹介するエッセイ。タイトルからして好き。

主に、自分の家庭環境や大学時代の生活を掘り下げてるのですが、特にいいなと思ったところをアウトプットします。

怠けている人間は決して世の中をナメて安心しきっているのではない

怠けている人間は決して世の中をナメて安心しきっているのではない。宿題をしなくてはいけないという義務感が心の底から離れることはなく、心から楽しく遊べることはない。ただ、いけないと自分を責めながらも、実際に宿題をするよりも、自分を責めながら遊ぶ方がマシだと思うのだ。

だれでも、食べてはいけないと思いながらカロリーの高い料理を食べ、浮気はいけないと思いながら浮気をし、深酒をし、仕事を一日延ばしにし、夜更かしをする。そのような葛藤を抱え、罪悪感にさいなまれているのがふつうの人間だ。

これは…マジでそう!!!

なんだか自分を肯定してくれるような気分になる(ダメ人間)

夏休みの宿題は最終日に泣きながら全部やるタイプだったという土屋さん。坂口安吾の「堕落論」を思い出させます。

やはり自分は「頑張ろう」とか自分の意思を全く信用しておらず、環境と習慣で決まると思ってるので納得でした。

哲学の道に進んでしまう人とは

学生時代にドストエフスキーを読み、音楽や美術に触れたことで強固だと思っていた土台を次々と突き崩され、満身創痍になっていた土屋さんに最後のトドメを刺したのが哲学でした。

その時の心情を綴った文章が、とても良いんですね。

哲学によってわたしのもっていた一切の信念、この世界のすべてが闇の中に沈み込んだ。人生をいかに生きるべきか、何が重要なことなのか、何が自分にとってトクなのか、といった価値の問題ですら、どうでもよくなった。それよりもさらに深い闇が垂れ込めている所へ迷い込んだのだ。しかも哲学がどんなものかをまだ知りもしないのだ。あがこうにも、どうあがいていいのかも分からない。

こんな状態で、まともに生活する気になるだろうか。幸福を求めて人生設計を立て、結婚相手を探し、就職活動をする気になるだろうか。とうていそんなことをする気になれなかった。将来のことさえ考えられなかった。ただ毎日を呆然とした状態で過ごすしかなかった。

そして、ハイデガーの「存在と時間」を理解するために、専門的に哲学を研究する道へ。

この本を読んで、哲学者になってしまう人がどういう人か少しだけ分かった気がします。