インターネットを通じて言葉を発信することをはじめて3年半、そんな僕ですがここ最近急速に言葉に興味を失ってます。

言葉にしたいことが一周回ってなくて、Twitter廃人だった僕がこんなことを言う始末。

これどういうことかと言うと、言葉を使わない絵や写真、映像、音楽で伝えたいという気持ちが大きくなってきました。ポエトリーリーディングに関しても、日本語を使って日本語が理解できない海外の人に向けてやりたいと思えてきました。

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伝わらないからこそ、本当に伝えたいと思う大切なこと。言葉じゃ表現できない感情、そういうのを発信したいな〜と思うのです。

科学が直感力を奪いつつある

20世紀、21世紀は科学によって大きく文明が発達してきたことは間違いない事実です。しかし、いつのまにか「科学的に解明できることこそ正しい」みたいな風潮が強まった気もします。

僕らが直感的に「あれカッコいいな」「なんか懐かしいな」と感じるものは、時に科学的に説明できないものがあります。昔の人はスポーツでさえアートにカテゴリーしていた訳ですが、気づけば「科学と芸術は混じり合えない」という対立構造ができたように感じます。抽象的で言語化できないものは気持ち悪い…みたいな。僕も「芸術なんてサッパリ」な人間だったので気持ちは分かります。

ロジカル思考が求められ、情報が無尽に飛び交う現代こそ、昔の人たちが大切にしていた「直感力」を取り戻さないといけないのではと感じます。それが、僕が提唱する”アウトプット3.0”領域です。

まあ単純に科学の範囲であらゆる物事が収まってしまったら生きてて面白くないですよね。たまにはスピリチュアルや、神がいるとかいないとか超常現象もあっていいじゃんと。僕は100点以上のものが見たいのです。笑

言葉すら誰かに作られたルールであり、信用しない

SNSを使ったロジカルな”アウトプット2.0”を進めてきた自分が、いまアウトプット3.0領域の研究を続ける中で、詩人の谷川俊太郎さんがとても面白いことをおっしゃってました。

「自分の中に言葉があるって、ある時期から思わなくなった。言葉を信用していない。詩を書くときは、意識下にある言葉、つまり言葉になりかかってる言葉(混沌)を探し出す」

宮沢賢治も「無意識即でないと言葉は信用できない」、中原中也も「名辞以前」と言いましたが、もはや僕らが当たり前のように使ってるこの日本語、言語すらも誰かが作ったルールであって、与えられたもの(借りもの)なんですよね。

そんな当たり前のことに気づいた時、衝撃を受けました。メディアラボの猪子さんが「もう言葉に興味がない」、起業家の山口揚平さんが「もう本を読まない」と言っていた理由と結びつきました。

先人たちは、とっくにそのことに気づいてアウトプット3.0に進んでるわけですね。

言葉という誰かが作った稚拙なものでしか表現・コミュニケーションできないから、昨今の炎上騒ぎや認識のズレ、そして心の消耗戦が起こると思っています。アンチや誹謗・中傷する人が現れるのは言葉でしか受発信ができないからです。

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“本当の自分”になるためには

例えば、昔の自分のブログやツイートを見ると、その安い言葉に吐き気がしてきます。ほかの人のもそう。今書いてるこの文章も多少そうです。

最近「日本語にしっくりきてない感」もすごいです。「だ・である調」で書けば、なんか偉そうで意識高く感じるし、「です・ます調」で書けば批判を恐れて取り繕おってるようで気持ちが悪いんです。赤ちゃん言葉とか、命令口調とか、尊敬語とかオネエ系言葉とか、日本語は多様すぎる。だから、日本にいると疲れてしまうことが多いです。

実際のあるべき自分の心と実際の身体(行動)が分離していき、病んでしまう人が多い気がします。主語が1つしかない英語やドイツ語(いわゆるローコンテクスト言語)は、心と身体の分離が少ない。だから彼らはどこに行っても「いつもの自分」、つまりナチュラルなのです。

アンナチュラル、フェイク、そんなものもうウンザリです。だからSNS見るのやめました。フェイクばかりだから。逆に絵や詩は最高に正直だ。芸術の世界は全てが平等で自由。勝ち負けも、身分も、ジェンダーも国籍もなにもない。ヨガ、スポーツ、ダンス、言葉を介さず心と身体が満たされます。だから古来より長く残る。

やっぱり本当に大切なことは言葉にできないので、言葉を使わない抽象世界を見ようと決め、今年に入ってから今までのハンドリングを大きく変えました。

もちろん、今まで言葉だけでやってきたので、全てのSNS通してフォロワーさん減ってます。「なんで絵なんか上げてるの?」「そんなん求めてねーよ、(分かりやすい)言葉をくれよ」みたいな。でも、それでいいんです。

僕は常に自由でありたいし、長期的に見ると、「分かりやすいこと」を発信していたらフォロワーさんも深く考えるクセがなくなって結果損するので、これがいいんです。

 

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具体と抽象、2つの世界を上手く行き来しながら、本当の自分をピュアに表現していきたいと思います。

この記事をかいた人

るってぃ

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