【プロフィール紹介】”プロ無職”が生まれるまで

こんにちは!”プロ無職”という肩書きで活動してます、るってぃ(@rutty07z)です。

かなりボリュームがあるので動画バージョンも用意してます。自信作なのでこちらもぜひご覧ください!

現在は

  • 理想のライフ・ワークスタイルを提供すること
  • 埋もれている価値あるコンテンツを分かりやすく広く届けること
  • 特に日本人が知らない海外の情報を発信して考えてもらうこと

といったことを軸にして活動してます。

趣味は自分が今やってる仕事全てです。起きてる間全て時間捧げることができます!当サイトでるってぃが書いた記事はこちらから全て読めます。

6年連続!通信簿には「落ち着きがない」/るってぃの小学校時代

石川県の金沢市で伸び伸び育ちます。通信簿に1~6年生まで絶対に書かれていたのは「落ち着きがない」。給食の時間とにかく話しまくるので、隣の静かで地味だったクラスに派遣されそうになるほど。

小学校時代は本当に学校が大好きで、土日が嫌いでした。友達にも恵まれ、良い思い出しかありません。

ちなみに小4くらいの道徳の時間にあった『自分の名前の由来を親に聞いてみよう』なるコーナーで、僕の塁(るい)という名前は母親が付けたのですが、「なんで塁って名前なのー?」って聞いたら「ノリっ!!」って元気よく返ってきました。

おかげさまでノリで人生かいくぐってるような子になりました。

最近金沢に帰省して、母に改めて「名前の由来」を聞いてみると「当時ラモス瑠偉とか流行ってたから。今っぽかったから」って。

俺野球もやらなければサッカーもやらなかったけど!?!?

スターウォーズと出会った るってぃ中学校時代

公立中学校に進学。当時149㎝だった身長も卒業時には172㎝へ。小5から姉の影響で始めたバドミントン部に入部。しかし自分がいた男子バドミントン部は当時「市内弱小」。入部当初、大会に出場しても午前中には帰ってこれるくらいに弱かったです。

対して女子バドミントン部は当時「市内最強」。特に僕の同世代が圧倒的強さを誇っており、悔しさと劣等感の塊でした。思春期。

中学2年の秋、部長になる。女子には負けたくないという悔しさから練習メニューを一新し仲間と共に猛練習。

中3の夏大会では3位に入賞し、県大会へ。そのまま自分たちの代は引退になりましたが、その後男子バドミントン部は全国で常連になるほどの強豪校になりました。

そして、僕の人生において忘れてはいけない事件が2005年8月に起こります。

スターウォーズとの衝撃の出会い

中学2年の夏休み、父に劇場に連れて行ってもらった「スターウォーズエピソード3/シスの復讐」に衝撃を受けてスターウォーズにどハマり。擦り切れるほどDVDを鑑賞し、グッズを集め、一夏にしてスターウォーズ狂になりました。2005年の夏ほど暑かった夏はない。

2015年12月、「コスプレをしてスターウォーズ最新作を本場ハリッウドで観る」という10年ぶりの夢を叶えました。1人で。わざわざ有給使って。

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マジでしょうもない夢だな

この時からアメリカや海外に対して強い憧れを抱くようになり、「映画監督になること」が当時の夢(てゆか今でもワンチャンあると思ってる)で、中3の学祭の総合演劇で監督をしました。

中学時代も友人に恵まれ、死ぬほど楽しかったです。

ブログとブレイクダンスに出会う るってぃ高校時代

中学時代も友達に恵まれて楽しかったのですが、なんとなく少し環境を変えたくなって隣町の自称進学校に進学。同じ中学の人がほとんどいなくなったため、とても新鮮でした。

しかしここで色々もがき苦しむことになります。

遅めの中二病発症。

高校は帰宅部に。「放課後に青春ごっこするのが高校生の美徳」と大きな勘違いをし、中学まで割と本気で続けていたバドミントンを辞めました。

バイトしながら、高校の友達と遊ぶ日々。「高校生と言えば文化祭!目立ちたい!モテたい!」という理由でギターを始めるも長続きすることもなくあえなく終了。

高1の終わり頃から高校生活がだんだん飽きてきて、結局中学時代の友達と頻繁に遊ぶように。高校も遠かったので、行ったり休んだりを繰り返すように。入学当初は特進クラスにいたのに、勉強もロクにすることもなくなり、成績はドベに転落。

当時は「何か目立つことをしたい!新しいことをしたい!」と思いながらも全ての行動が中途半端で、そしてそんな自分が嫌になって、それが更なる悪循環を生んで。と、かなり自暴自棄だったと思います。今思えば圧倒的黒歴史。

そんな痛い高校2年生だった自分に、2つの転機が訪れます。

人生で初めてブログを始める

僕が高校2年生だった2008年、世はガラケー時代。そう、あの「前略プロフ」全盛期です。

めっちゃ懐かしくない!?!?プロフ!!好きな子の「リアル」とか追跡しまくってたなwwww

モテることに全てをかけていたので当然のごとく前略プロフを作り、その中でブログを始めます。当時みんなから「るい」としか呼ばれたことはなかったのですが、この時に初めて「るってぃ」と名乗り、ブログをスタートさせます。

高校生の日常を書いていたのですが、当時からブログスタイルは今とほとんど変わってません。

このブログがウケた。非常にウケた。

他校の人からも少々知られるようになり、地元のアルプラザ歩いてる時にJKから「るってぃさんですよね?ブログいつも見てます!」と言われた時は相当勘違いした。

今でも地元に帰って友達と飲むと、話題として上がるほどです。

高校2年の秋から大学入学まで1年半ブログを書き続け、「インターネットで文章書くことが好き」というルーツは紛れもなくここからです。本当にブログのおかげで「見たこと・体験したこと全てがネタになる」ということを17歳のときに知り、一気に高校生活が楽しくなりました。

高2の冬、モテたい一新でブレイクダンスを始める

当時擦り切れるほど見ていたDVD↑

昔から好きなテレビが「めちゃいけ」で、岡村さんが大好きだったんですよ。岡村さんってブレイクダンスができる芸人として有名じゃないですか。

3つ上の姉がすでにヒップホップダンスをしており、母親から「あんたもすれば」と言われてたのですが、バドミントンの時のように「姉がしていたからなんとなく自分も始める」みたいなのが嫌で始めは無視していました。

しかし、あの番組で思春期の僕に衝撃が走ります。

「オカザイル」

あのめちゃいけの岡村乱入シリーズが大好きなのですが、このエグザイルの時は本当に凄かった。マジでカッコ良すぎた。擦る切れるほどビデオ見た。エグザイルは正直どうでもよかったけど、とにかくあの「ウインドミル」がしたかった。ブレイクダンスではなく、ウインドミル。

当時同じクラスにたまたまブレイクダンスできる奴がいて、朝早く学校行ってひたすら練習してました。モテたい一心で。ありがとう山田くん。

そしてウインドミルができるようになり、そのままダンスにのめり込むことに。その流れで高校3年生の最後の文化祭へ。別にモテはしなかったけど、「高校生活、文化祭で目立つ」という高1からの目標は当初予想もしなかった「ブレイクダンス」という形で叶うことになりました。

まあモテるために色々手を出しては飽きて…を繰り返してきたけど、結果として今の仕事でもあり人生において欠かせないものである「ブログ」と「ダンス」に出会えたので、高校時代も大切な時間でしたね。

関西大学に合格。金沢を離れ大阪へ

夏休みも終わり、9月。ブレイクダンスも一休みし、受験に突入。「映画監督になる」という想いから立命館の映像学部志望でしたが、「学費が高い。無理」という理由であえなく却下されます。

今思うとなんで強く反対しなかったのかな…まあ当時は流されて生きてたということですね。

「就職に強そう」というなんとなくの理由で、関西大学の商学部を受験。今思うとスーパー思考停止脳ですわこれ。ずっとE判定だったけど、半年間本気で勉強し(ブログもしつつ)、なんとか合格。

18年住んだ金沢を離れ、大阪へ!

関西大学に入学!もちろんダンスサークルへ

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ダンスサークルの同期

マンモス校、関西大学に入学。全国各地から集まる変人たちを見て、片田舎で育った自分にはカルチャーショックが大きすぎました。ガチでお笑い芸人目指してる人とか、超お金持ちとか、地元では見たことない人種がわんさかいましたからね。パリピ大学だと思います。

初めての1人暮らしに大都会大阪、本当に何もかもが新鮮でした。当然、サークルは関西大学唯一の「ストリートダンスサークル」へ。

しかし当時、大学のサークルといえば「活動は週1であとは飲みのウェイウェイ系」というイメージがあり、自分が入ったサークルもそんな感じだろうと舐めてました。「ゆるくチャラく、適当に彼女とか作って大学生活ウェイしようwwwウェーーーイwwww」とかマジで思ってました。

が、違いました。

なんと僕が入ったダンスサークルは全国でもレベルが高く、特に自分が専門としてるブレイクダンスの先輩たちは全国大会で2位に輝くほど(入るまで知らんかった)

そこにあった光景は「週1の活動・週6のウェイw」ではなく、週7の練習でした。

めちゃくちゃかっこいい先輩たちに感化され、そしてそこでも素晴らしい同期に恵まれ、大学時代はブレイクダンスに全てを捧げることになります。

練習が楽しすぎて、授業が終わった夕方から明かりが消える22時半まで練習、みんなでご飯を食べて駅に移動し、深夜1時から外が明るくなるまで練習という日々を送ってました。もちろん寝る時間は授業中なので単位もいっぱい落とさせて頂きました。卒業できて本当によかった〜〜〜〜〜!

大学3年 全国大会へ向けて予選に出場するも…

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当時のチーム(2012)

僕らの先輩が全国で2位を獲った『BUZZ STYLE』という学生No.1を決める大会に、大学3年のときに初めて出ることになりました。

「BUZZ STYLE」の仕組みはまず「東日本予選」と「西日本予選」があり、それぞれ優勝・準優勝だった2組ずつ、つまり西と東の計4組が全国大会に出場できます。全国の舞台は「Zepp Namba(当時はZepp Osaka)」で、あの憧れのZeppのステージに立つことを目指してずっと頑張ってきました。

大阪の大学なので僕らはまず西日本予選へ出場。遠くは沖縄から猛者が集まってきます。予選の2ヶ月前からチーム練を始め、まずは予選優勝目指して練習してきました。

チームは8名で構成されてたのですが、当時の僕は他のメンバーの中でぶっちぎりに下手で、ダンスに個性もクソもなく、相当チームの足を引っ張っていた存在だったと思います。

他のメンバーは本当に上手くて「絶対に足を引っ張らないようにしなきゃ」「ミスしないようにしなきゃ」とビクビクしながら踊っていました。自分が原因でよく怒られていたし、当時の練習は精神的にめちゃくちゃキツかったです。「ダンスは楽しいからやるもの」なのに、「ダンスが部活」みたいになって、気づいたらダンスを楽しめてない自分がいました。

そして西日本予選当日。

僕らは準決勝で敗れました。

ベスト4、つまり上位2チームへ1歩届かなかったんです。その時僕は「負けたのは絶対に自分のせいだ」と思い、ダンスが嫌いになりました。

予選が終わった後、僕は練習場所に行けなくなってしまいました。気持ちは「ダンスがしたい!」けれど体が動きません。完全に体が練習場所に行くことを拒否してたのです。

そんな僕とは対照的に、どんどんダンスシーンで頭角を現していく同期たち。当時は仲間の活躍を見るのが本当に辛かったです。

「ダンスなんて始めなければよかった」とさえ思いました。

大学4年。逃げるように単身ニューヨークへ

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中学でスターウォーズにハマって以来、「大学中にアメリカに留学したい」という想いがありました。

大学3年の12月、同期たちは就職活動を始めていましたが、どうしてもいまアメリカに行きたい気持ちが強くなりました。理由は「逃げたかったから」です。

同時期に姉の結婚と出産が被り、家計は大パニックでしたが、親の反対を強引に押し切る形で2013年8月、僕は就活と、当時のダンス仲間たちから逃げるかのようにニューヨークへ留学しました。

22歳、実はこの時が初海外でした。単身で海外へ渡る不安よりも、当時は一刻も早く日本を出たかったという気持ちでいっぱいでした。

「英語を勉強したい」とか「ダンスを学びたい」とか、本当にそんな理由じゃなく、「日本から逃げたかったから」です。

ニューヨークの熱いダンスシーンに気持ちが再燃

英語は全く話せない、知り合いも1人もいない。とにかく日本から逃げたくて、何も考えずがむしゃらにやって来たニューヨーク。

さすが「人種のるつぼ」と呼ばれるだけに、人種も文化も何もかもが違う、エネルギー溢れる街。

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人の目を気にせず大声で笑う人々、敬語のない英語という言葉、自分のスキルでお金を稼ぐ子供達。

初海外にそんな所を選んだもんだから、カルチャーショックは相当大きかったです。地下鉄の中や駅でダンスパフォーマーたちに頻繁に遭遇します。

ニューヨークに来てから、次第に自分の体が「ダンスがしたい!踊りたい!!」と言っているのが分かりました。その瞬間、駅のダンサー達に話しかけました。

「どこで練習してるの!?練習場所教えて!」

当時英語も話せなかったから地下鉄のマップを渡して、練習場所のある駅に丸をつけてもらいました。次の日、教えてもらった練習場所に行ってみるとたくさんのBboyがいました。

そして僕は数ヶ月ぶりにニューヨークという街でブレイクダンスを再開させることになります。

「周りの目を気にしない」 自分に自信を持って全力で踊ることの大切さ

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外国人って本当に周りの目を気にせず、自分に自信を持っていて、思ったことは意見としてバンバン口に出します。

「周りの目を見て、自分の意見を押し殺す」 間違ったことは言えない風潮のある日本と大違い。

正直言ってダンスの細かい技術的な部分は日本の方が上だと思います。しかし、お世辞にも上手いと言えないような人でも「自分が1番」かのような自信ある踊りをするし、disるし、相手の目を見てバトルする。

そんな彼らを見て、日本で周りの目を気にしながらビクビク踊っていた自分がアホらしくなりました。それ以来、自分の中で何かが吹っ切れたんです。

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完全にニューヨークのダンスカルチャーに魅了され、気づいたらダンスを始めた時のように「楽しすぎて」毎日練習するようになりました。

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各都市を巡る旅。初めてダンスで結果を残した日

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マイアミからさらに4時間かけて進んだセブンマイルブリッジ

「平日は語学学校、週末はダンスバトル」という、日本ではあんなに自信がなくて嫌いだったバトルに出まくってました。そしてフロリダの世界大会や、フィラデルフィア、バルチモア、ボストンなど他の都市のにも遠征するように。

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そして帰国直前、人生で初めてソロバトルで準優勝までいきました。

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嬉しすぎてホテルで1人で静かに嬉し泣きした。

帰る前に、ニューヨークの現地のダンス仲間たちから「俺たちのチームに入らないか」と誘われ、加入。かけがえのない仲間が世界にもできました。

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日本にも来てくれるし、アメリカ行く度に会う大切なひとたち!

この留学で学んだことは2つ。

もう日本にいたときのように周りの目を気にして、空気を読んで生きるのは辞めよう。自分に自信を持って堂々と生きてやる、ということ。

そして「自分が思いっきり楽しむことを追求すれば結果は後で必ず付いてくる」ということ。

一度嫌いになったダンスが、本当に楽しくて楽しくてしょうがないレベルに達してしまい、後から自分の求めていた結果が全て付いてきました。

言葉も通じない知り合いもいない。そんな環境に飛び込んだけど、ダンスに助けられ、僕の7ヶ月のニューヨーク留学は終わりました。けど僕の人生はここから始まりました

「海外行って人生変わった」とかありきたりな言葉だけど、僕はひっくり返るほど変わりました。

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このときはなぜか本当に「怖いものなし」状態だった。

本当にあの時、無理して留学させてくれた両親には頭が上がりません。あと、めっちゃ嫌だったんですが、当時のダンス動画貼っときます。あぁぁぁ。

帰国後に、自分が別人になっていたことを知る

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自分が変わったんだな、と本当に実感したのは日本に帰国した後でした。周りから「本当に変わった」とめちゃくちゃ言われました。

正直たったの7ヶ月しかいなかったので、ダンスの技術的な向上はそんなにだと自負してますが、メンタル的な変化が大きかったのだと思います。相当自信がついたのでしょう。入学当時から憧れだった先輩たちからもバトルに誘ってもらえるようになり、ダンス環境は留学前と一変しました。

そして2014年10月、準決勝で破れたあの「BUZZ STYLE」の予選に2年越しに出場することになりました(去年が僕も含めた多くのメンバーが留学でいなかったため不参加)。そして大幅にパワーアップした僕らは敵なしでした。

西日本予選優勝

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全国の切符を手にしました。

卒業前にもう1度みんなに会いたくなり、アメリカへ。

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ここでも結果は残し、さらに自信をつけていきます。

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全国優勝、「ブレイクダンス日本一」という夢を叶える

2015年3月に開催された「BUZZ STYLE  FINAL」

東日本予選を勝ち抜いた2組と、僕達を含めた西の2組が『ブレイクダンス大学生No.1』を争います。

大学1年から憧れ続けた夢のZeppの舞台。一体どれほど、この舞台に立つことを想像したでしょうか。

逆に緊張した覚えはありません。「絶対に勝てる」、という自信しかないくらい、当時のチームの一体感は無敵でした。

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そして

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僕たちは優勝しました。日本一です。

歴代の先輩たちもなし得なかった全国制覇を達成しました!!

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何をするにも長続きしない中途半端だった自分が、初めて結果を残せたんです。

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この経験は後の活動にも大きな影響を及ぼします。

ちなみに人前で泣くことが大嫌いで、小中高の卒業式でも一切泣かなかったのに、上京前夜に一緒にダンスをしてきた仲間と爆泣きしました。大学3年の時に初めて挑戦した予選の時から、色々と思い出して自分でも信じられないくらい泣きました。声を出して泣きました。良い思い出です。

あった写真

ここまでが、大学を卒業する2015年3月までの話。ここからは働き方を中心とした「会社員〜フリーランスになるまで編」です。

大学卒業後、大手アパレルメーカーに就職、東京へ上京!

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留学後、一応終わらせておいた就職活動。元々長く働く気がなく、3年以内に個人で稼ぐ力をつけて辞めようと決めて就職しました。東京本社配属ということで、このタイミングで東京に出て来ます。

2015年4月、少しの期待を持って入社した会社。やっぱりそこにあったのはよく聞く話通りでした。

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  • 週末を楽しみに生きてる先輩社員達
  • 終電ギリギリの残業に上がらない給料
  • 喫煙所では上司の愚痴
  • 社内、飲み会での無駄な慣習

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よく「会社の先輩社員が未来の自分」なんて言いますが、お世辞にも尊敬できる人はいませんでした。そしてふと、「もしあと1年で死ぬとしたらこの人生後悔しかないな」と思い、行動することにしました。

衝撃のサービス「Airbnb」との出会い〜8年ぶりにブログを始める〜

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学生時代のバイト先だったゲストハウスのお客さんから教えてもらったAirbnb(エアビーアンドビー)。2015年5月に東京で始め、僕はこのサービスに大きな衝撃を受けます。Airbnbとは自宅を貸し出せる、いわゆる民泊サービスです。

元々「ゲストハウスを作りたい」という夢もあったため、会社員をしながらどっぷりとこのサービスに浸かることになります。

当時まだそんなに認知度もなかったAirbnbが、「この先必ず日本で一大ムーヴメントを起こす…!」と確信し、Airbnb特化ブログ「エアログ」をスタート。実に高校以来となる6年ぶりのブログでした。

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メディア運営を楽しみつつも、「どうやったら競合と差別化できるか」「収益が上がるか」「仕事を受注できるか」、独立という目標に向け日々戦略を考えながら記事執筆・発信を続けていました。

今思えばWebマーケティングのなんたるかはここで全て学んだと思います。

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Airbnbゲストとの写真。本当に楽しかったな〜

Airbnbしていて衝撃的だったのは、僕の普通の部屋に、世界中からエリートやユニークなゲストが泊まりに来たこと。Skypeのプロダクトマネージャーをする彼が1年のうち3ヶ月休みで、休みの間は世界中を旅して写真撮って、ギター引いて、みたいな理想のライフスタイルを送ってたんですよね。

本日のゲストはSkypeで働くリア充!エリートはなぜAirbnbを使うのか

理想とするライフスタイルを送るゲストが毎日のように家にやってくる、しかし自分は満員電車に揺られて好きでもない仕事をしている。そのギャップから火がつき、毎日毎日独立に向けてコンテンツ作って動き回ってました。

その結果、ブログ開始2ヶ月でAirbnb運営用の一軒家を家賃0円で契約。

正直この瞬間「イケる!」と確信し、退職して独立する旨を上司に報告。

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  • お前、社会ナメとるんか?
  • 将来のこと長期的に考えてるの?
  • とりあえず3年は続けなよ

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と上司や周りの友人に散々言われまし、バカにされましたが、自分を信じました。当時24歳

リスクを取るなら今だし、好きでも楽しくもないことに自分は全力を出せないし、そして1度きりの人生自分の好きな事を全力でやってみたい。

何より、ニューヨーク留学で学んだ「周りの目を気にしない、自分に自信を持って堂々と生きる」「楽しさを追求すれば結果はついて来る」ということを知っていたから。

わずか10ヶ月で会社を退社。フリーランスとして独立!それから

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2016年2月、新卒で入社した大手アパレルメーカーを10ヶ月で退職。

会社を辞めて感じたのは、今まで会社で繋がりのあった仲の良かったクライアントさんや社員さんとパッタリ連絡が途絶えたこと。

「ああ、やっぱりあの会社の山口塁でしかなかったんだな…」と。

「一個人としての”山口塁”を売り出していかないとこの先絶対にダメだ…!」と強く感じました。

そんな悔しさをバネにフリーに転身後も、ブログでAirbnbを通して学んだことや情報を発信していたら、ブログ運営7ヶ月目で本当にゲストハウス経営という夢が叶いました。さらに、独立9ヶ月目で代々木の潰れかけのパン屋さんをAirbnbで助けることに。

このパン屋さんを再生させるために奮闘していたら、『世界の素晴らしいAirbnbホスト6選』に選ばれ、世界中でこの話が紹介されました。

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ロサンゼルスのAirbnbのレセプションに招待されました!

そしてAirbnbの創業者ジョー・ゲビアも来店しました。

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エアログ開設当初の、『Airbnbの創業者に”僕に会いたい”と思わせて会う』という夢も叶いました。

本気で世界で戦える人間になりたいと思った

独立してすぐに、Airbnb創業者のジョーに会う夢が叶って少し天狗になりました。しかし、とあるイベントでジョーと一緒に仕事する日本人の姿をステージの下から眺めて、「すごい人と会うだけじゃダメだ。悔しい。もっと成長したい」と思いました。

「そうだよ、どうせ生きていくなら世界で戦える男にならないと!」

この件により、以前から興味のあったシリコンバレーにより一層関心を持つようになりました。サンフランシスコの若者の間で当たり前となってきてるモノと会社に捉われず自由に生きる「YOLO」というライフスタイル。

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—家や車は買わない、必要な時にシェアリングサービスで賄い、余計なローンは抱えず、会社に捉われず、パソコン1台で好きな場所で自由に生きる—

偶然見つけた「しばらくはAirbnbか彼女の家で」という記事は衝撃でした。

日本では10年後も理解されているか分からないライフスタイルの先端を行く、サンフランシスコのシーンをこの目で見たいと強く感じました。だから自分で渡米・取材資金をクラウドファンディングし、3週間アメリカで勉強してきました。

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その翌年には、次は欧州のスタートアップや教育に興味が沸き、クラウドファンディングでヨーロッパへ。

現地で取材して学んだことを全国で講演したり高校で授業させてもらってます。

スポンサー契約を結び「プロ無職」へ…多様な働き方を発信していきます

最初はAirbnbから入った僕ですが、今では「多様な働き方」や「ライフスタイル」に興味があります。そしてかつて自分もそうだったように、日本って同じように悩んでる人が多いですよね?それは教育の違いなのか、文化がそうさせたのか。

僕はこのブログやSNS、そして自分の生き様を通して「こうゆう生き方もあるんだよ?」「もっと楽しく生きようぜ」ということをたくさんの人に伝えたいです。

愛知の高校で授業したときの様子

そのためにも現地で取材したことや学んだことはどんどん発信していきます。もっともっと世界で勉強して発信して…を繰り返していく予定です。そうやって自分も世界で戦える人間になれたら、そして日本人がもっと楽しく働けて、豊かなライフスタイルを実現できたら、もっと面白くなりますよね!!

最近ではついに僕「るってぃ」に対して法人スポンサーがつきました。

プロ無職るってぃ、ノマド的節約術松本さんとスポンサー契約を結びました

投資してもらったお金は自分の発信力をパワーアップさせるためのお金に全て注ぎ込む予定です。そして、世界中の国を飛び回り、そこで得た情報を生き方に悩む同世代に発信し続けたいと思います。

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世界を目指するってぃの応援、よろしくお願いします

「今後の目標は?」「将来どうなってたいの?」とよく聞かれます。

それに対してハッキリとした答えは特にありません。

これだけテクノロジーが発達してる時代に、将来を先読みするなんて不可能だし意味のないことだと思ってて、それより毎日を全力で生きる。僕は明日死んでも後悔ありません。いつもそう思ってます。

“自分の生活だけでなく、人の夢をバンバン応援できるほどのお金を稼ぎ、世界中を旅しながら仕事をし、関わった地域と人を幸せにする。世の中をもっとおもしろくデザインしていく”

今の自分のモットーはこれです。自分の強みのひとつ、「発信力」を武器に、世の中の価値あるもの必要としてる人たちに届ける予定です。応援、よろしくお願いします!

ここまでクソ長い僕のプロフィール記事を読んでくれてありがとうございました。