貧乏になると、使う言葉が汚くなる

目まぐるしいテクノロジーの進化に「お金とは何か?」と常に考えさせられているプロ無職るってぃ(@rutty07z)です。

前回、「お金の価値は下がってて、逆に個性や信頼、時間の価値が相対的に上がっている」という記事を書きました。今回は「貧乏は悪なのか」という激しそうな話題について。

お金のない状態(=貧乏)は心を蝕み、あらゆる選択肢を閉ざし、そして人の行動を悪い方へ変えます。お金がないと思考力が低下することは科学的に解明されているのです。

お金がない人はお金が欲しいから窃盗や強盗をするわけであって、お金をすでに持ってる人にとって盗みはする必要のない行為だし、そもそもリスクが高過ぎて割に合いません。

さらに、お金がなければ本当にしたいことの選択肢がどんどん閉ざされ、逆にやりたくない仕事や付き合いたくない人たちとの人間関係を強いられます。

そして最も怖いのが「他人との比較」です。インターネットの発達によって世界中の人と簡単に繋がれるようになった反面、他人の行動が簡単に可視化できるようになってしまいました。

「俺はなんてダメな人間なんだ」

「自分は上手くいってないのに、あいつは成功している」

自分と他人を比較してしまうことで、自己嫌悪に陥り、それが激しい嫉妬や、最終的に攻撃という行動に変わってしまう人がいます。特に貧乏な状態であるときほど、他人の活躍に目がいってしまいます。

本当の貧乏とは、お金がない状態からくる「思考」や発する「言葉」

前回、マザーテレサの名言「思考→言葉→行動→習慣→性格→運命」と、タイガーウッズの強さの秘密「ライバルの成功を心から願う」という思考習慣を紹介した記事を書きました。

言語を変えれば思考が変わる。思考が変われば運命が変わる。

僕が思うに、本当の貧乏とは「お金がない」という経済的状態を指すのではなく、お金がない状態から生まれる「思考→言葉→行動→習慣→性格→運命」なのだと感じます。

お金がないと自信も自己肯定感も失い、やがて他人との比較や嫉妬という「思考」にまみれます。そのネガティブな思考が他人を誹謗中傷する「言葉」に変わり、そんな言葉を言い続けていると普段の「行動」に現れ、やがて「性格」へと定着します。

人は無意識に自分とステータスや性格が似てる人と付き合う習性があるので、他人への攻撃にまみれた性格の人は同じような人と行動を共にするようになります。貧乏な人の周りには貧乏な人が、お金持ちの周りにはお金持ちが集まっている理由はこれです(だからお金持ちはよりお金持ちへ)。

ここまでくるとその人の運命(つまり人生)は、いよいよ決定づけられます。

真の貧乏とは思考状態や発する言葉、そして連鎖的に繋がっていく最終的な自分の運命を指し、お金がないとそういった状況に追い込まれやすいという話です。

お金がないという人でも、思考や心はお金持ちな人はたくさんいます。「世界一貧乏な大統領」ことウルグアイのムヒカ大統領や、1日50円で自分を売るホームレス小谷さんがそうでしょう。ホームレス小谷さんは実際に会ったことありますが、彼からは素敵な言葉しか出ないし、周りにいる人たちも素敵です。

裕福とは「心の余裕」を持つこと。そしてそこから生まれる思考や言葉を持つこと

SNSで匿名で批判している人たちは、「誹謗中傷」ではなく、他人を「応援」した方がいいのですが、自分に余裕がないとそう考えることができないのかもしれません。

才能ある彼らにもっと頑張って稼いでたくさん納税してもらい、社会を良い方向に変えてくれれば最終的に自分たちに利益が返ってくるのだから。

最近の話で言うと、不倫報道で小室哲哉さんを引退に追い込んだ週刊文春、そして下世話なゴシップに反応してしまう私たち大衆の罪は大きいと言えます。

貧乏かどうかは、最終的に自分で決めるもの。お金がなくても貧乏じゃない人はたくさんいます。逆にお金を持ってても思考が貧乏な人もたくさんいます(バブルやコネクションで知識や努力の蓄積を怠ったパターンの人)。

自己を失い、他人や社会を恨み、汚い言葉を発する貧乏こそ、悪なのではないだろうか。

なんにせよ、お金は所詮「ツール」。ツールにコントロールされる人生を送らないように努力しようと、つくづく考えさせられるのでした。

日本人に圧倒的に足りない「雇用される以外」でお金を稼ぐ力