先日、こんな記事を書きました。

つまり、僕が実践していた「好きなことで生きていく」は、完全に他者依存ありきで成り立っていたのです。

関連記事:「好きなことで生きていく」の本当の意味

「好きなことで生きていく」という言葉は聞こえは良いけれども、明日のご飯を食べていくために大衆に適応する(求められる)コンテンツを作るという意味では、資本主義の奴隷です。

しかもSNSのせいで評価が「いいね」や「リツイート」という数字でもろに計られてしまい、いつの間にか数字を稼ぐたびに脳から溢れ出るドーパミンが僕たらの感覚を麻痺させました。「数字至上主義」の完成です。

バズらせることが第一

コンテンツの中身より数字の良し悪し

むしろ数字の高いコンテンツ=良いコンテンツに見える(錯覚資産)

バズってないコンテンツ=悪(錯覚資産)

フォロワー数が多い人=すごい人

僕らの感覚はだいぶ、麻痺してしまっていたようです。

インターネットは自由で多様性がありそうで、実はない

先日、キンコン西野さんのオンラインサロンの中で、起業家のけんすうさんがこんな投稿していました。転載は規約的にアウトだと思うので、要約させていただきます。

1)2016年あたりに問題になったキュレーションメディアの炎上(Welq事件)の発端を作ったのは、けんすうさんが作った「nanapi」が根源

2)当時クラウドソーシングサイトが流行っておらず、nanapiでは「nanapiワークス」というクラウドソーシングサービスを自前で作り、500円とか払って一般の人たちに記事を書いてもらいまくる、ということを最初にしていた

3)「 いい記事をたくさん書いてたくさんの人に見てもらう」と無邪気に考えて実行した結果、より審査が甘くて楽にお金が稼げるサイトに手法を真似されまくり、社会問題に発展。結果として全員が駆逐された

4)つまり、「同じ仕組みで、質を落としたものが乱立しまくって、最終的に全員損する」ところまで想像できていなかった(質の高い記事を作り続けていれば負けないと思っていた)。だから、今作ってる「アル」というサービスは、とにかく自分たちがやる思索がどう影響していくのか、ということを緻密に考えている

5)そもそも今の広告のビジネスモデルが「 記事がバズると10万PVとかいく→ そうすると3万円の広告費が入る」だから、ビジネス的には

– とにかくコストを抑えて安く書く(数百円~数千円)
– 当たる確率が高い記事しか書かない
– ネタは他社のと同じでもいい(ユーザーはそんなにかぶらないから)

というのが合理的になる

6)結果として、多様性がなくなる。インターネットは自由度が高く、スペースの制限がないので、ニッチなものが増えてコンテンツの多様性が増えると思われいたが実は逆で、多様性が減りやすい。1記事がバズったからといって、そのメディアの他の記事まで見る人は少ないから(一期一会)、毎回1記事1記事の勝負になってしまう

7)一方で、紙の雑誌は500円で売ることによって、コンテンツ全部で課金できる。すると新人ライターに、マニアックなコラムを書かせたり、おもしろ企画をやったりさせてたりする余裕が生まれる。売れる企画があれば雑誌は売れるので、サブとして、変化球も入れ込める。つまり、

-1記事ごとに広告を稼ぐビジネスモデルのWebメディア→多様性を失っていく
-1発で課金して全部を買わせる雑誌→多様性ができる

8)だからキンコン西野さんのような、オンラインサロンを通じたダイレクト課金で色んなことをしてる人が強い(サロン内のコンテンツの多様性は広く、月額980円払えば全部見れるから。そしてサロンに多くの人が在籍してるから多様性のあるニッチなコンテンツを気にせず作れるという好循環)

自由で多様性が豊かなように見えるインターネットだけど、実はノウハウが確率されるとみんな真似して多様性が失われる…意外ですよね。でもけんすうさんのこのケース、僕も身を以て体験してるんです。

2年前に「1週間で1000人増!Twitterのフォロワーを増やすためにやった16のこと【完全保存版】」という記事を描きました。

「Twitterを活用して発信力をつけて生きれる人が増えたらいいな〜」という想いから、これまで培ったノウハウを余すことなく入れ込み、無料で公開しました。そしたらめちゃくちゃバズって、未だに多くの人に読まれますし、感謝もされます。

ただ結果として、Twitterを使って広くアウトプットするためのHow toをトレースしたものの、中身のない言葉やノウハウを発信して「フォロワーを増やすことだけ」に注力する人たちが増えてしいました。しかも集まったフォロワーに対して、粗悪な商品や思想を販売するような人たちも出てきたりして。

最終的に、発信元である僕が疲れました。僕だけでなく先人の発信者たちも疲れました。そして、そういった人たちを攻撃をするカウンター勢力も生まれ、安易な発信をする人たちに対する炎上が何度も起こりました。

「良かれ」と思ってノウハウを無料公開した結果、駆逐された先の例と似ています。

Twitterだけでなく、「YouTubeのチャンネル登録者を増やす方法」や「インスタグラムのフォロワーを増やす方法」が確立され、結果として大衆から支持されるために適応した、似たようなコンテンツが乱立しました。

多様性が失われて均一化したYouTube

 

多様性が失われて均一化したインスタグラム

コンテンツの外見(フレーム)はどこも一緒で、じゃあ中身はどうなんだと言われたら、言ってることも大体一緒。これ、完全に多様性を失ってるパターンなんです。

早すぎるインターネットの消費スピードに焦っている

どうしてこんなことが起こるかというと、インターネット世界の流れが早すぎて、みんな焦ってるからだと分析してます。

今の世代はSNSが生活のインフラになっていて、常時誰かと繋がっていて発信することが当たり前になってます。となると、自分の投稿に対するいいね数などの反応が気になったり、SNSをしばらく見ないだけで仲間の輪に外された不安を覚えます。これが、SNSがもたらした孤独と孤立です。世界中どこにいても繋がれるようになったはずなのに、逆に孤独感を生み出しました。

そして発信してる人は自分の中に常に誰かに監視されてるような、他者の視線を内在化してしまうようになります(これを”自発的服従”と言います)。結果として、ユーザーが求める”数字を追うようなコンテンツ”を発信するようになるのです。

まあここまでは良いとして、問題は「消費スピードが異常なほど早くなってること」です。

今の若者は「2時間の映画が観れない」と聞きます。映画だけでなく、間にCMが入るテレビも見なくなってると。その代わりYouTuberの投稿する10分ほどの動画や、今ではTikTokの15秒コンテンツが人気です。つまり2時間、1時間、10分、15秒…と、コンテンツの消化されるスピードがどんどん早くなってきているのです。

先日僕の友人が「仕事終わりにSNSのタイムラインを眺めてた。でも、指をスクロールしながら眺めてただけで、内容は全く頭に入ってなかった。それを無意識にやっていて怖いと思った」と言ってました。無意味にSNSを眺めて時間だけを消費してしまってる人、実はけっこう多いんじゃないかな〜と思います。

いま、「遅いインターネット」が必要なのではないか

薄く、浅いコンテンツ(アウトプット物)やそれらを集めたSNSが増えたことで、記憶に残らないのに時間だけが消費される…このような空虚な世界を僕は危惧しています。

だから、多様性を育み、長く残るコンテンツを生み出すために「遅いインターネット」が必要なのです。つまり、流行り廃れのない、長く残るアウトプットが求められていくと思います。それが僕が提唱する”アウトプット3.0領域”です。

流れの早いインターネットを、あえて遅くするインターネットがいま必要じゃないのかな〜と。これはPLANETSの宇野さんも「バズりすぎてはいけない」という記事を書いてました。

僕たちPLANETSが目指すべきは、インターネットの「隠れ大手」だ。僕らの出す記事は「バズら」なくてもいい。もちろん、ある程度は広く読まれてほしいけれどむしろバズりすぎてはいけない。それはこのイジメでつながる陰湿な世界に「適応」してしまったことの証だからだ。そしてそんな陰湿な、不毛なインターネットにうんざりしている人たちに、しっかり届く良質な記事をつくるべきなのだ。僕らの記事をしっかり評価してくれる、知的に良質で精神的に成熟した読者に届けばいい

だからこそ、コンテンツの主戦場を月額864円のメルマガと、それをサポートするオンラインサロンに置くと。

廃れると散々言われていたメルマガを藤沢数希や高城剛、ホリエモンが10年前から今も継続してる理由。そして、こちらも廃れると散々言われてるいる本の出版を今でも猛スピードで続ける理由はこれです。そして、オンラインサロンを始める理由も同じく。

先ほどのけんすうさんの言葉にあった「コンテンツの多様性を育むために、1発でダイレクト課金してもらって全部買わせる」というわけです。

今のWebメディアやインフルエンサーの広告モデルに、転換が求められています。

心から好きなもので惹きつけれる人になりたい

昨日、友人であり画家の宮森さんと飲んでた時に出た話です。

クリエイターは「求められるもの」を作る=期待に応えるものを作る

アーティストは「自分の好きなもの」を作って惹きつける=期待を裏切るものを作る

しかも「引き寄せる」と「惹きつける」は意味が全く違い、後者が芸術家だと。

どちらが良いか悪いかの話ではありません。

ユーザーが求めるものを作り、広く届けるクリエイターも素晴らしいです。でも、こんな文章を書いてる僕は、おそらく後者の生き方を求めてるのでしょう。僕らは早すぎるインターネットの中で生き急ぎすぎました。数字に囚われ、なんでもかんでもバズらせなきゃいけないと思ってました。むしろ広く届ければ、それをキャッチした人々の中から多様性のあるコンテンツが生まれるものだと。

でも実は違うんだと。

生まれるのはフレームだけ切り取った二番煎じです。本当にオリジナルを持ってる人なんてその中の0.01%。

ならば、インターネットを遅くして、自分の好きなものを作り、もっと成熟した知識のある人たちに良質なコンテンツを届ければいいのです。そしてゆっくり、受け手とコンテンツを育むのがベストなのでしょう。

誰にも理解されない心の叫びを出す「ポエトリーリーディング」に惹かれたのも全く同じ理由です。インターネットで活動はじめて3年経ったからこそ、感じたこと。

これらかは、自分の心の声に従って発信していきたいと思う次第です。

この記事をかいた人

るってぃ

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