「現代アートって何???」と疑問に感じたり、難しそうと嫌煙している人も多いかと思います。
回答も人それぞれあると思うんですが、ニューヨークで活動する現代アーティスト松山智一さんの言葉が腑に落ちたんですよね。
現代アートとは西洋技術史の文脈のなかで、そのアーティストの生きている時代を切り取って、そこにアーティスト独自のステートメントを組み込んだものです。それを「アート」と命名する。その作品に説得力があるか。見た人が「新しい」と思うか。つまり芸術家がやることは「ルールブックの改正」です。自分勝手な表現行為ではないし、職人技を極めたものづくりとも違います。
例えばポップアートの第一人者アンディ・ウォーホルは、大量生産・大量消費のアメリカ社会を、マリリン・モンローなどのスターの肖像画をシルクスクリーンで刷る、という行為を通じて表現しました。
また「印象派」と呼ばれた人たちが現れたのは、カメラが発明され一般家庭に普及したことで写実的な絵を描くことの意味を問われたことが背景にあります。
このように現代アートとは、僕らがいまどういう時代を生きているのかを教えてくれるものだと。
過去の流れからどうしてそういう時代になったのか、どういう方法でいまの時代を表現するか、作家は常に試行錯誤しています。
そして、松山さんの場合は「編集」という表現行為に目を付けたと。
美術に限らず、現代のクリエイティビティってすべからく編集ですよね。例えば、パソコンを使ってさまざまな音楽を組み合わせるとか、ヒップホップやクラブミュージックの世界ではそうやって音楽をつくっていた。オリジナリティを寄せ集めて、幕の内弁当みたいにしてしまえば、それが新たなオリジナリティになるんです。
アーティストとは言葉を生み出す人?
以前ソシュールか誰かの本を読んでこんなことを呟いたのを思い出しました。
言葉の限界について
日々の思考は言語で作られる。例えば「積読」という言葉は買ったものの読まずに積み重なってる意味だが、この状況を表す英単語はない。しかし欧米人にもその状況は普通に存在する。その言葉がないことは彼らは積読という行為に別の見方をしてるのかもだし、スルーしてたのかもだし
— Rui Yamaguchi/プロ無職るってぃ (@rutty07z) December 12, 2019
例えば「ミミズが土の中でトンネルを掘るやり方」を指す言葉もない。人間がミミズになれない(想像できない)理由の一つはミミズの動きを表現する言葉がないから。もしくはミミズの動きを人間の筋肉を使って動かすことを想像できないから言葉がない。と考えると、人間の思考は言語に制限されている
— Rui Yamaguchi/プロ無職るってぃ (@rutty07z) December 12, 2019
しかしブレイクダンスに「ワーム」という技がある。それこそミミズっぽい動きで、どこかの誰かが練習し、取得し、そういう名前を付けたのだろう。つまり起業家やアーティストの役割は「人の限界を超えた新しい概念を作り、言葉を作ること」だ。言葉ができれば思考の制限が外れ、新たな想像が生まれる
— Rui Yamaguchi/プロ無職るってぃ (@rutty07z) December 12, 2019
まだ言葉として定義されてない事象を発見・創造するために今日も世界のどこかで頑張ってる人がいて
新たな概念→言葉ができたことで思考が解放されていく人がいるんだな、などとこの本を読んで思った。言葉には限界があるけど、言葉が作れる人がリーダーだと思うhttps://t.co/TlWWQXvthy
— Rui Yamaguchi/プロ無職るってぃ (@rutty07z) December 12, 2019
以前までの自分は「言葉を使わずに表現する人」をアーティストだと思ってましたが、そこから新しい概念(言葉)を生み出すのがアーティストなのかなぁと。
今後もどんどん考え方変わっていくと思いますが。
この辺の話と通ずるかもしれません。
書評「芸術とは何か」現代人に必要とされる内容がない作品は現代美術と言えない
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